大洗磯前神社 参拝記――神磯の鳥居と大己貴命・少彦名命【2026年10月】

大洗磯前神社 神磯の鳥居

2026年10月11日の昼、茨城県大洗町の大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)に参拝しました。この神社の御祭神は、『古事記』で国作りをした大国主神と少名毘古那神にあたる二柱です。しかも創建の由来は、平安時代の歴史書に年月日まで記されています。神話の神が、記録の残る時代に「帰って来た」と語られている点で、神話と歴史の境目を考えさせる神社です。この記事では、御祭神と由緒を神社の公式サイトで、古典の記述を國學院大學の神名データベースで確かめたうえで、境内と海岸で撮った写真を順に紹介します。

目次

1. 海に面した丘の上の社――参拝日と基本情報

項目内容
参拝日2026年10月11日(写真の記録では12時18分〜12時55分)
鎮座地茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
御祭神大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)
創建斉衡3年(856)12月、御祭神が海岸の磯に降臨したと伝わる
社殿本殿・拝殿・随神門は享保15年(1730)竣工。本殿・拝殿は茨城県の文化財

御祭神・創建・社殿は、大洗磯前神社の公式サイトによります。社殿は海を見下ろす丘の上にあり、御祭神が降り立ったと伝わる磯は、丘を下りた先の海岸にあります。

2. 白い鳥居から、海を背にして石段を上る

額を掲げた白い鳥居
白い鳥居(2026年10月11日撮影)

参拝は、社名の額を掲げた白い鳥居から始まりました。公式サイトによれば、丘のふもとには県道をまたぐ「一の鳥居」があり、昭和38年(1963)に完成したコンクリート製で、高さは15.6メートルあります。東京タワーなどを設計した内藤多仲博士も建立に携わったと紹介されています。

丘の上の鳥居へ続く長い石段
丘の上へ続く石段(2026年10月11日撮影)

社殿へは、木々に挟まれた長い石段を上ります。石段の近くには「鳥居建設の碑」という石碑がありました。碑文によれば、社頭の正面に立つ大鳥居は昭和12年に奉納されたもので、年月を経て傷みが進んだため、氏子や崇敬者から資金を募って再建し、昭和60年(1985)に完成したそうです。

石段の上の鳥居の向こうに広がる海
石段の上の鳥居と海(2026年10月11日撮影)

上りきって振り返ると、鳥居の向こうに太平洋が広がります。下の鳥居も、上から見下ろすと海を背にしています。

丘の上から見下ろした鳥居と海
丘の上から見下ろした鳥居(2026年10月11日撮影)

3. 光圀の命で建てられた随神門と拝殿

公式サイトの由緒によれば、もとの社殿は戦国時代の兵乱で焼けてしまいました。江戸時代になり、水戸藩2代藩主の徳川光圀の命で元禄3年(1690)に造営が始まり、享保15年(1730)に完成したのが、今の本殿・拝殿・随神門です。

彫刻が施された随神門
随神門(2026年10月11日撮影)

随神門の両脇には、神域を守る随神が祀られています。公式サイトは、門に施された透かし彫りのなかに、御祭神と関係の深いウサギも彫られていると紹介しています。同じ公式サイトの御祭神の説明には、大己貴命が傷ついた白兎を助けた「因幡の白兎」の話が挙げられています。

赤い柱が目を引く拝殿
拝殿(2026年10月11日撮影)

拝殿は正面の赤い柱が目を引く建物で、欄間には鳥と植物の透かし彫りが並びます。公式サイトによれば、本殿は今では珍しい茅葺きで、塀越しに江戸時代初めの神社建築の工法を見ることができます。

拝殿の前で寄り添う三匹のカエルの石像
拝殿前のカエルの石像(2026年10月11日撮影)

拝殿の前には、三匹のカエルの石像が寄り添っていました。公式サイトは「無事にかえる」などにかけて、いろいろなご利益があるかもしれない、と親しみをこめて紹介しています。

4. 御祭神の大己貴命と少彦名命――『古事記』の国作りの二柱

公式サイトは、御祭神の二柱を、力を合わせて国を作り、まじないや医薬の道を教えた神として紹介しています。大己貴命は「だいこく様」とも呼ばれる福徳の神、少彦名命は医療の祖神として信仰されているそうです。

この二柱は、『古事記』では大穴牟遅神(おおなむぢのかみ。後の大国主神)と少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の名で登場します。國學院大學の神名データベースは、『古事記』の場面を次のようにまとめています。

  • 大国主神が出雲の御大(みほ)の岬にいたとき、小さな神が波の上を船に乗ってやって来た。
  • 名を誰も知らなかったが、久延毘古(くえびこ)が、神産巣日神(かみむすひのかみ)の子の少名毘古那神だと明かした。
  • 神産巣日神はそれを認め、大国主神と共に国を作り固めるよう告げた。
  • 二神で国を作り固めたあと、少名毘古那神は常世国(とこよのくに)へ渡っていった。

神産巣日神が少名毘古那神を「我が子」と認める場面は、神産巣日神 の記事で原文とともに取り上げました。大国主神と少名毘古那神は、このブログではまだ1柱ずつの記事にしていません。神話の順に読み進めて、その場面に来たときに改めて扱います。

5. 『日本文徳天皇実録』が伝える斉衡3年の降臨

大洗磯前神社の創建は、平安時代の歴史書『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)に記されています。公式サイトによれば、斉衡3年(856)12月29日、今の「神磯」に大己貴命・少彦名命が降臨し、次のように告げたと伝わります。

我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり

「昔この国を作り終えて、東の海へ去った。今、民を救うために、また帰って来た」という意味です。國學院大學の神名データベースも、少名毘古那神の項でこの記事に触れ、常陸国鹿島郡の大洗の磯に、不思議な石とともに二神が現れたという出来事として紹介しています。

公式サイトによれば、『日本文徳天皇実録』には、このころ天然痘や飢饉、流行り病が続いた大変な時代だったことも記されています。そのなかで医薬の神が「民を救うため」に戻って来たと語られたことになります。この後、神社は「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を受け、平安時代の神社の名簿である延喜式神名帳では「大社」とされ、明治時代には国幣中社となりました。石段の近くの「鳥居建設の碑」にも、同じ斉衡3年12月の降臨と、延喜の制で名神大社に列したことが刻まれていました。

『古事記』では、国作りを終えた少名毘古那神は常世国へ渡り、話はそこで終わります。「国を作り終えて東の海へ去り、また帰って来た」という降臨の言葉は、その続きを語っているようにも読めます。ただし、これは『古事記』の物語と大洗の伝えを並べてみたときの読み方で、『日本文徳天皇実録』が『古事記』を踏まえて書かれたと示す記述があるわけではありません。

6. 海の岩礁に立つ神磯の鳥居

海岸の岩礁の上に立つ神磯の鳥居と、打ち寄せる波
神磯の鳥居が立つ海岸(2026年10月11日撮影)

丘を下りて海岸に出ると、波の打ち寄せる岩礁の上に鳥居が立っています。公式サイトによれば、御祭神が降臨したと伝わるこの磯を「神磯(かみいそ)」と呼び、足を踏み入れてはならない禁足地としてきました。鳥居は、神社だけでなく大洗町のシンボルにもなっています。

岩礁の上に立つ鳥居の足元を波が洗う
神磯の鳥居(2026年10月11日撮影)

参拝した日は、岩礁に当たった波が白いしぶきを上げ、岩の上を流れ落ちていました。鳥居は岸から少し離れた岩の上にあり、海岸から眺める形になります。

公式サイトは、徳川光圀がこの神社に参拝した折に、神磯の景色を称えて詠んだ歌を紹介しています。

あらいその岩にくだけて散る月を一つになしてかへる浪かな

岩に砕けて散った月の光を、引いていく波がまた一つにまとめて帰っていく、という情景の歌です。また毎年元日には、宮司以下の神職が海岸に下り、御祭神の降臨の地を照らして昇る初日の出を拝む「初日の出奉拝式」が行われるそうです。

7. 同じ日に参った鹿島神宮とのつながり

『日本文徳天皇実録』は、大洗の磯を「常陸国鹿島郡」と記しています(國學院大學の神名データベースによる)。この日は、同じく常陸国鹿島郡にあった鹿島神宮にも参拝しました。鹿島神宮の祭神とされる建御雷之男神は、『古事記』の国譲りの場面で大国主神と向き合う神です。鹿島神宮で撮った写真は、参拝記として別の記事にまとめました。

まとめ

  • 2026年10月11日の昼、茨城県大洗町の大洗磯前神社に参拝しました。
  • 御祭神は大己貴命と少彦名命で、『古事記』で国作りをした大穴牟遅神(大国主神)と少名毘古那神にあたります(公式サイト・國學院大學 神名データベース)。
  • 『日本文徳天皇実録』によれば、斉衡3年(856)12月、二神が大洗の磯に降臨し、「国を作り終えて東の海へ去ったが、民を救うために帰って来た」と告げたことが創建の由来です。
  • 本殿・拝殿・随神門は、徳川光圀の命で造営が始まり、享保15年(1730)に完成しました。
  • 御祭神が降り立ったと伝わる磯は「神磯」と呼ばれる禁足地で、岩礁の上に鳥居が立っています。

ゆかりの社をたずねるなら:鹿島神宮と近くの宿、大洗磯前神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 大洗磯前神社 公式サイト「御祭神・由緒」「境内案内(本殿・拝殿・随神門・神磯の鳥居・一の鳥居)」(2026年10月17日に確認)
  • 國學院大學 古典文化学事業「神名データベース」少名毘古那神(2026年10月17日に確認)
  • 大洗磯前神社境内の石碑「鳥居建設の碑」(昭和60年建立。2026年10月11日撮影)
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