豊宇気毘売神(トヨウケビメ)とは?一膳のご飯から読む食の女神【古事記】

豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)のアイキャッチ画像

茶碗に盛られた一膳のご飯。そこにたどり着くまでには、稲の育つ田があり、水があり、器があり、炊く人の手があります。豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)は、名のなかに「食べ物」を表す語を持つと解されている女神です。ところが『古事記』は、この神について名前のほかに何も語りません。この記事の前半では、『古事記』のわずかな記述と名の読み解き、名のよく似た登由宇気神(とゆうけのかみ)をめぐる議論を確かめます。後半では資料を切り替えて、伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大御神(とようけのおおみかみ)の由緒と、朝夕に続く食事の祭り、その食事を調える田や塩や土器を見て、食卓へ戻ります。

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目次

1. 似た名が三つある――読み始める前の見取り図

この神を調べ始めると、「トヨウケ」に近い音を持つ三つの名に出会います。

神の名読み出てくる資料そこから分かること
豊宇気毘売神(豊宇気比売神とも書く)とようけびめのかみ『古事記』の、伊邪那美命が病み臥す場面和久産巣日神の子であること。ほかは書かれていない
登由宇気神とゆうけのかみ『古事記』の天孫降臨の段外宮の度相にいる神、という一文。書き方に不審な点があるとされる
豊受大御神とようけのおおみかみ伊勢神宮の由緒(公式サイト、『止由気宮儀式帳』など)外宮の祭神で、天照大御神の食事を司る神

音が近いため、三つは一柱の神の歩みとして、ひと続きに語られることがあります。けれども、1行目の神と2行目の神が同じかどうかは説が分かれています。この記事では三つの行を混ぜずに、上から順に読みます。

なお、「豊宇気毘売神」という名を掲げて祀る社は、今回確認できていません。取り上げる宮は、豊受大御神を祀る外宮だけです。

2. 『古事記』にあるのは、親神の文に添えられた一句

火の神を生んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)は病の床に伏し、その体から出たものに神々が次々と成ります。場面の全体は 火之迦具土神 の記事で順にたどっています。列のいちばん後ろに成るのが和久産巣日神(わくむすひのかみ)で、『古事記』はその名を挙げたあとに、こう添えます。

この神の子は、豊宇気毘売神と謂ふ

「この神」は和久産巣日神のことです。その子の名を豊宇気毘売神という、と述べているだけの句で、親神を紹介する文の後ろに名が置かれています。

母にあたる神がいるのか、どのようにして生まれたのか、生まれて何をしたのか。どれも記されていません。読み取れるのは、親が和久産巣日神であることと、名に「毘売」が付くので女神であること、この二つです。

位置には特徴があります。病の床の場面で名の挙がる神は、鉱山の2柱、土の2柱、水の神、和久産巣日神、そして豊宇気毘売神の7柱です。このうち6柱は、伊邪那美命の体から出たものに直接成りました。豊宇気毘売神だけは、そうして成った神の子です。伊邪那美命から見れば、孫にあたる位置にいます。原典が「孫」と書いているわけではなく、名の並びからそう読める、ということです。

『古事記』はこの句のすぐ後に、伊邪那美命が神避(かむさ)ったことを記します(伊邪那美命)。

3. 「豊」「宇気」「毘売」――名のなかにある食べ物

物語のない神を知る手がかりは、名しかありません。名は三つの部分に分けて読まれています。

「豊(トヨ)」は美称です。ただ、その中身には二つの説があります。一つは、豊かな実り、つまり豊穣の意を込めたものとする説です。もう一つは、神的なものの名に冠するたたえ言葉とする説です。

名の芯は、次の「宇気(ウケ)」です。ウケはウカと同じ語で、食物、または稲を指すと解されています。「食べ物」と取るか「稲」と取るかで神の輪郭が少し変わるので、この点は次の節で取り上げます。

「毘売」は女神を表す語で、「比売」の字でも書かれます。豊宇気比売神という表記があるのはそのためです。

4. 稲の霊と見る注――先にいる食物の神とどう違うのか

稲に絞る読み方には、よりどころがあります。『延喜式』に収められた大殿祭(おおとのほがい)の祝詞です。そこに屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)という神の名が出てきて、注が付いています。注は「是は稲の霊なり。俗の詞に、うかのみたま」と述べ、今の世で産屋の戸のあたりに束ねた稲などを置いたり、米を屋の中にまき散らしたりするのと同じ類いだ、と説明しています。

注が語っているのは屋船豊宇気姫命で、『古事記』の豊宇気毘売神を名指ししているのではありません。それでも、名に同じ「豊宇気」を持つ女神が「稲の霊」と説明されていることは手がかりになります。ここから、豊宇気毘売神を、食物全般ではなく稲に限った神格と見る見方が出ています。

この見方が意味を持つのは、『古事記』にはすでに食物の神がいるからです。大宜都比売神(おおげつひめのかみ。大気都比売神とも書きます)は、伊邪那岐命と伊邪那美命が神生みで生んだ神で、火の神のすぐ前に名が挙がっています。食物の神が先にいるのに、病の床の終わりにもう一度、食物の名を持つ神が現れる。この重なりが疑問とされてきました。豊宇気毘売神を稲の霊と見れば、さまざまな食物の神と、稲の神とに、役割が分かれることになります。ただし、これは祝詞の注などを手がかりにした見方で、『古事記』がそう書き分けているわけではありません。

二柱は、書かれ方が対照的です。大宜都比売神には、食物を差し出し、命を落とし、その体に蚕と五穀が生じるという物語があります(大気都比売神)。豊宇気毘売神には名しかありません。豊宇気毘売神を「稲を生んだ神」「稲作を伝えた神」と紹介すると、原典にない話を足すことになります。

育つ力の子として、実りが来る

親神との並びにも、一つの読み方があります。親の和久産巣日神は、名から「若々しい生成の力」の神と解されています。名の読み方と、何を生み出す力なのかをめぐる諸説は 和久産巣日神 の記事にまとめました。

病の床の神々の全体を、農耕で作物ができていく過程と解する立場があります。その立場では、列の最後に、生産の神の子として稲の霊が現れることを、生産の成果、つまり穀物の実りを表すものと見ます。

ここからは考察ですが、この説に立つと、豊宇気毘売神が「子」と書かれていることに意味が出てきます。病の床のほかの神々は母神の体から出たものに成りましたが、食の名を持つ神だけは、育つ力から一代を下って現れます。実りは力よりも後に来るという時間の差が、親子という形で書かれているようにも読めます。もっとも、病の床の神々を何の反映と見るかには農耕のほかにも見方があり、金山毘古神・金山毘売神 の記事に並べたとおり、定まってはいません。

5. 天孫降臨の段の「登由宇気神」――唐突な一文をどう読むか

『古事記』には、よく似た名がもう一か所出てきます。場面はずっと後の、天孫降臨の段です。

そこではまず、伊勢の内宮にあたる宮(原文の表記は佐久久斯侶伊須受能宮)を拝み祭ったことが述べられます。その後に、國學院大學の神名データベースの訓読では「次に、登由宇気神、此は、外宮の度相に坐す神ぞ」という一文が続きます。登由宇気神は外宮の度相にいらっしゃる神である、という意味です。

この一文は、前後とのつながりが唐突で、書き方に不審な点があるとされています。読み方は三つ挙げられています。

  • 「外宮之」の部分だけを後の混入と見る説。「内宮」「外宮」という呼び方は平安時代の中期以後のものなので、後の人(度会氏)が本文のわきに書いた注が、本文に紛れ込んだと考えます。
  • 一文の全体を、鎌倉時代の度会氏による書き入れと疑う説。
  • 字はそのままにして、「外宮に坐す度相神」と訓む説。

神名にも問題があります。「登由宇気」は字のとおりならトユウケですが、元の形はトヨウケと考えられています。「由」を写し誤りと見る説と、「宇」を後から書き入れられた字と見て「登由気」を元の形とする説があります。トヨは美称、ウケは食物または稲で、名の成り立ちは豊宇気毘売神と変わりません。

では、二つの名は同じ神を指しているのでしょうか。名の意味が重なるのは確かです。一方で、上に引いた一文には、和久産巣日神の名も、女神であることを示す語も出てきません。同じ神かどうかは明確でなく、登由宇気神の一文がいつ、誰の手で今の形になったのかという本文の問題とも絡んで、説が分かれています。

この記事でも、「豊宇気毘売神は外宮の神である」とも「関係がない」とも言い切らずに、次へ進みます。

6. ここからは資料を切り替えます――外宮の豊受大御神と夢の告げ

ここからは資料を切り替えます。『古事記』を離れ、伊勢神宮の公式サイトと、神宮の由緒を伝える記録によって、外宮の話をします。この先に出てくるのは「豊受大御神」で、『古事記』が豊宇気毘売神について記したことではありません。

伊勢神宮の公式サイトによれば、外宮の名は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)で、三重県伊勢市の高倉山の麓にあります。祭神は豊受大御神です。天照大御神の御饌都神(みけつかみ)、つまり食事を司る神とされています。鎮座は雄略天皇22年、およそ1500年前のことで、内宮の鎮座から約500年後とされます。天照大御神を祀る内宮のことは 天照大御神 の記事で触れました。

由緒のもとになる記録は、延暦23年(804年)に禰宜らが奏上した『止由気宮儀式帳』です。そこには、次のような話が伝えられています。雄略天皇の夢に天照大神が現れた。そして、丹波国の比治の真名井にいる御饌都神、等由気大神を、自分のそばに置きたいと教えた。

年を示すのは、さらに後の書物です。平安時代後期の『太神宮諸雑事記』や鎌倉時代の『倭姫命世記』は、神託を雄略天皇21年、遷座を翌22年の7月7日としています。

神の名の書き方に目を留めておきます。儀式帳では「等由気大神」、現在の神宮では「豊受大御神」です。『古事記』の「豊宇気毘売神」「登由宇気神」と合わせると、トヨウケに近い音が四通りの字で書かれていることになります。それでも、この記事で確かめた資料の範囲では、病の床で名の挙がった和久産巣日神の子と、丹波から迎えられたと伝わる御饌都神とを、一柱の神の経歴として一本につないだ記述は出てきませんでした。

7. 朝と夕、毎日欠かさず――日別朝夕大御饌祭の品々

外宮では、いまも毎日、食事の祭りが行われています。日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)です。以下も伊勢神宮の公式サイトによります。

場所は外宮の御饌殿(みけでん)で、朝と夕の二度です。食事を奉る相手は外宮の祭神だけではなく、内宮・外宮・別宮の祭神です。

供えられる品は、次のとおりです。

  • 御飯三盛
  • 鰹節、魚、海草
  • 野菜、果物
  • 御塩、御水
  • 御酒三献

これに御箸が添えられます。箸まで添えられているところに、これが食事として調えられたものであることが表れています。

この祭りは、外宮の鎮座以来、約1500年続くとされています。公式サイトは、「国安かれ、民安かれ」という祈りと、感謝の祭りであると説明しています。

8. 田、畑、塩の浜、土器――食事を調える御料地

神々へのお供え物を御料、それを調える場所を御料地といいます。公式サイトによれば、神宮の祭りは年間1500回に及び、そのために御料地が設けられています。食事に関わるものを中心に挙げます。

調えるもの御料地と所在地公式サイトの説明から
米神宮神田(三重県伊勢市楠部町)うるち米ともち米を、五十鈴川の水で育てる
野菜・果物神宮御園(三重県伊勢市二見町)野菜と果物を育てる
塩御塩浜・御塩殿など(三重県伊勢市二見町)夏に濃い塩水を採り、炊いて荒塩にし、土器に詰めて焼き固める
あわび御料鰒調製所(三重県鳥羽市国崎町)あわびを調える
干鯛御料干鯛調製所(愛知県の篠島)干鯛を調える
土器土器調製所(三重県多気郡明和町)素焼きの土器を年に約6万個作る。一度使った土器は再び使わず、砕いて土に返す

前の節の品々と見比べると、御飯には田、野菜と果物には畑、御塩には塩の浜と、それぞれに応じた場所が用意されていることが分かります。

塩の行にも土器が出てきます。食べ物を調えることと、器を調えることとが、切り離されていません。

9. 今日の食卓へ戻る――病の床の列と、一膳の前にある列

ここからは考察です。

外宮の話から、もう一度『古事記』の病の床へ戻り、そこで名の挙がった神々を前の節の表の横に置いてみます。土の神には、土器などを作る粘土の神とする説がありました(波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神)。御料地には、素焼きの土器を作る所があります。水の神には、田へ引く水の源を司る神とする説がありました(弥都波能売神)。神田の稲は川の水で育てられ、朝夕の品には御水が入っています。鉱山の神には、土を起こす鍬に関わる神と受け取る見方がありました。そして、育つ力の神の子が、稲と解される名を持っています。

ただし、『古事記』が病の床の神々を伊勢の祭りに結び付けているわけではありません。御料地がこれらの神々に由来するという話でもありません。二つを重ねて見ているのは、読む側です。

それでも、重ねてみると共通するものが見えます。食べ物は、それだけでは現れないということです。『古事記』は食の名を持つ神を、金属と土と水と育つ力の後ろに置きました。神宮は一度の食事のために、田と畑と浜と、土器を作る所を持っています。

『古事記』が豊宇気毘売神に与えたのは、「食べ物」と読める名と、列の最後という位置だけでした。けれども、列の最後に置かれるものは、その前に並んだすべてを受けて成り立つものでもあります。

茶碗一膳のご飯の前にも、田と水と器と、育つのを待った時間が並んでいます。箸を取る前のわずかな間にその列を思い出してみると、名だけの女神が、少し近くに感じられるかもしれません。

病の床の神々が神生みの流れのどこに入るのかは、国生み・神生み(まとめ) の一覧で確かめられます。

まとめ

  • 豊宇気毘売神は、『古事記』で和久産巣日神の子として名が記されるだけの女神です。母神、生まれ方、行いは書かれていません。病の床の場面で名の挙がる神のうち、伊邪那美命から直接成っていないのはこの神だけです。
  • 名の「豊」は美称、「宇気」はウカと同じで食物または稲、「毘売」は女神の意と解されています。
  • 大殿祭の祝詞の注が屋船豊宇気姫命を「稲の霊」と説明することなどから、食物の神の大宜都比売神と区別して、稲に限った神格と見る見方があります。生成の力の子として実りが現れたと読む説もあります。
  • 天孫降臨の段の登由宇気神の一文は、唐突で不審な点があるとされ、後の書き入れを疑う説があります。豊宇気毘売神と同じ神かどうかは説が分かれています。
  • 伊勢神宮の公式サイトによれば、外宮(豊受大神宮)は豊受大御神を祀り、御饌殿では朝夕に日別朝夕大御饌祭が行われています。これは豊受大御神についての話で、『古事記』の豊宇気毘売神の記述ではありません。
  • 神宮は米、野菜、塩、土器などを調える御料地を持っています。病の床の神々と重ねる読み方は考察です。

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
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