天石屋戸(あめのいわやと)は、『古事記』上巻の中でも特に名の知られた場面です。誓約(うけい)に勝ったと宣言した建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は高天原で乱暴を重ね、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)はついに石屋戸に籠ってしまいます。太陽の神が隠れたことで、高天原も地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)も闇に包まれました。この記事では、須佐之男命の乱行が何を壊したのか、天照大御神がなぜ初めは弟をかばったのか、そして岩戸に隠れるまでの流れを扱います。八百万の神々が岩戸を開く場面は、次の記事で扱います。
1. この場面の位置(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場面名 | 天石屋戸(天の石屋戸、天岩戸、岩戸隠れ) |
| 『古事記』での位置 | 前の場面: 天照大御神と須佐之男命の誓約/次の場面: 岩戸開き(思金神の計画と天宇受売命の舞) |
| 登場する神 | 天照大御神、建速須佐之男命、天の服織女(あめのはたおりめ) |
| 舞台 | 高天原。天照大御神の田、大嘗を聞こしめす殿、忌服屋、天の石屋 |
| 生まれた神・生じた物 | この段で神は生まれない。高天原と葦原中国が闇に閉ざされ、万の禍が起こる |
須佐之男命は、父の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)に追放されたあと、姉に会って事情を告げようと高天原へ昇りました。天照大御神は弟が国を奪いに来たのかと疑い、武装して迎えます。二神は天の安の河を挟んで誓約を行い、須佐之男命は「自分の心は清い」と勝ちを宣言しました。ここまでが前の場面です。
問題は、その勝利の後に起こります。須佐之男命は勝ちに乗じて天照大御神の田を荒らし、神聖な御殿を汚し、さらに機織りの場で死者が出る事件を引き起こします。天照大御神はこれを恐れて天の石屋に籠り、世界から光が失われました。誓約と岩戸開きの間にある、いわば「光が消えるまで」の物語です。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
勝ちに乗じた乱行
誓約の場面の最後で、須佐之男命はこう宣言しました。
我が心清く明し。故、我が生める子、手弱女を得つ。此に因りて言さば、自ら我勝ちぬ
自分の心は清く明るい、だから生まれた子は手弱女(たわやめ)だった、これによれば自分の勝ちだ、という意味です。『古事記』はこの直後、須佐之男命が「勝さび」、つまり勝ったことに気持ちが高ぶって、次の三つのことをしたと記します。
一つ目は、天照大御神の営田(つくだ)の畔(あぜ)を壊すこと。二つ目は、田に水を引く溝を埋めること。三つ目は、大嘗(おおにえ)を聞こしめす殿、すなわち新穀を神に供えて食す神聖な御殿に、糞をまき散らすことです。
弟をかばった天照大御神
これほどのことをされても、天照大御神は初め弟をとがめませんでした。原典によれば、御殿を汚したのは酒に酔って吐き散らしたのだろう、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地が惜しかったからだろう、と弟の行いを善意に解釈して語ります。「我がなせの命」、つまり「わが弟の命」という親しい呼び方で、弟をかばう言葉が続くのです。
しかし『古事記』は、それでも須佐之男命の悪い行いは止まず、むしろひどくなっていったと記します。
忌服屋の事件
天照大御神が忌服屋(いみはたや)に座り、神に捧げる衣を織らせていたときのことです。須佐之男命は服屋の屋根に穴を開け、天の斑馬(あめのふちこま)を逆剥ぎにして、その中へ投げ込みました。逆剥ぎとは、通常とは逆の方向から皮を剥ぐことと解されています。これを見て驚いた天の服織女は、手にしていた梭(ひ)で身を傷つけ、亡くなってしまいました。
石屋戸に隠れる
この出来事を見た天照大御神は、恐れて石屋戸を開き、その中に籠ってしまいます。
天照大御神見畏みて、天の石屋戸を開きて、刺し許母理坐しき。爾に高天原皆暗く、葦原中国悉に闇し。此に因りて常夜往きき
天照大御神は恐ろしく思って天の石屋戸を開き、中に籠ってお隠れになった。すると高天原はすべて暗くなり、葦原中国もことごとく闇になった。こうして終わりのない夜が続いた、という意味です。続けて『古事記』は、あらゆる神の声が狭蠅(さばえ)のように満ちあふれ、あらゆる禍がことごとく起こったと記しています。狭蠅は初夏に群がる蠅のことで、騒がしさのたとえと解されています。
ここまでが、この記事で扱う範囲です。八百万の神が天の安の河原に集まり、思金神(おもいかねのかみ)が策を練り、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞う岩戸開きの場面は、次の記事で扱います。天宇受売命
3. 名前と言葉の意味
石屋戸(いわやと) は、「石屋(いわや)」と「戸(と)」からなる語です。石屋は岩でできた家、岩窟のことで、戸はその入り口、または入り口を閉ざす扉を指します。『古事記』は「天の石屋戸」と書き、後世には「天岩戸」「天の岩屋戸」などとも書かれるようになりました。原典には石屋がどのような場所かという説明はなく、洞窟と考えるか、岩でできた建物と考えるかは解釈によります。
大嘗(おおにえ) は、その年の新しい穀物を神に供え、神とともに食す祭りをいいます。「大嘗を聞こしめす殿」は、天照大御神がその祭りを行う御殿です。ここが汚されたことは、単なるいたずらではなく、祭祀そのものが侵されたことを意味すると解されています。
忌服屋(いみはたや) の「忌(いみ)」は、穢れを避けて清浄を保つことを表します。「服屋(はたや)」は機(はた)を織る建物です。つまり忌服屋は、神に捧げる衣を織るための、清浄に保たれた機織りの建物のことです。
常夜(とこよ) は「終わりのない夜」の意です。「常世(とこよ)」と同じ音ですが、ここでは明けることのない闇を表す言葉として使われています。
天つ罪との対応 も注目されています。『延喜式』に収められた大祓詞(おおはらえのことば)には、「天つ罪」として畔放(あはなち)・溝埋(みぞうめ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)などが列挙されています。これらは須佐之男命の乱行とほぼ重なるため、須佐之男命の行為が古代の「罪」の典型として語られている、という指摘があります。
4. 物語の中での役割
天石屋戸の場面は、須佐之男命の乱行と天照大御神の隠れという二つの出来事から成り立っています。
乱行が壊したもの を整理すると、三つの秩序が見えてきます。田の畔と溝は稲作の秩序です。畔は田と田を区切り、溝は水を配る仕組みですから、これを壊すことは農耕そのものを否定する行為です。大嘗の御殿は祭祀の秩序です。新穀を神に供える場を汚すことは、神と人を結ぶ営みへの冒涜です。忌服屋は神に捧げる衣を織る場ですから、これもまた祭祀に関わる神聖な場です。須佐之男命の乱行は、高天原を支える農耕と祭祀の秩序を、順に破壊していったと読むことができます。
天照大御神の態度 も見逃せません。初めは弟をかばい、その行為に善意の理由を探しました。ところが忌服屋で死者が出るに至って、天照大御神は弟を責めるのではなく、自ら身を隠すという行動を取ります。怒って罰するのではなく、恐れて姿を消す。太陽の神のこの選択によって、世界は闇に沈みます。
前後とのつながり で見ると、前の場面である誓約で「心が清い」と証明されたはずの須佐之男命が、直後に乱行に及ぶという流れになっています。誓約の結果と行いが食い違うこの構成をどう読むかは、古くから議論されてきました。次の場面では、八百万の神々が知恵を集めて天照大御神を迎え出し、その後、須佐之男命は多くの贖い物を負わされて高天原から追放されます。天石屋戸の場面は、須佐之男命が高天原を去り、地上の出雲へ降りていく物語への転換点でもあるのです。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』神代上でも、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱行と天照大神の隠れは、本文と複数の一書(あるふみ)に語られています。確かな範囲で、いくつかの違いを挙げます。
第一に、隠れた場所の表記です。『古事記』が「天の石屋」と書くのに対し、『日本書紀』は「天石窟(あまのいわや)」と書き、その入り口を閉ざす戸を「磐戸(いわと)」と呼んでいます。
第二に、梭で傷ついた人物です。『古事記』では天の服織女が亡くなりますが、『日本書紀』本文では、斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていた天照大神自身が驚いて梭で身を傷つけたとします。また一書には、稚日女尊(わかひるめのみこと)という女神が織っていて亡くなったとする伝えもあります。
第三に、乱行の内容です。『日本書紀』本文では畔を壊し溝を埋めることに加えて、春に種を重ねて蒔く、秋に斑駒を田に放つといった、季節に沿った形で乱行が語られています。
いずれの伝えでも、素戔嗚尊の乱行が原因となって天照大神が岩戸に籠り、世界が暗くなるという骨組みは共通しています。
6. 信仰と祭祀
天石屋戸の物語は、古くからさまざまな解釈を生んできました。ここでは代表的な説を、いずれも解釈として紹介します。
日食説 は、太陽が隠れて世界が暗くなるという筋を、日食の体験が神話になったものと見る説です。
冬至説 は、太陽の力が最も弱まる冬至と、そこからの回復を物語にしたものと見る説です。岩戸から出た天照大御神を、力を取り戻した太陽と読みます。
鎮魂祭起源説 は、宮中で行われる鎮魂祭(ちんこんさい、みたまふり)の由来をこの物語に求める説です。天皇の魂を振り起こして活力を与える儀礼と、隠れた太陽を呼び戻す物語との対応が指摘されています。
いずれも原典が語るところではなく、この神話の成り立ちや意味をめぐる考察です。ただ、太陽の神が一度隠れ、再び現れるという構図が、光の衰えと回復を願う祭りの心と結び付けられてきたことは確かです。
7. ゆかりの神社
天岩戸神社(宮崎県高千穂町) は、天照大御神を祀る神社で、西本宮の対岸の岩壁に「天岩戸」とされる洞窟があります。近くには、八百万の神が集まって相談したと伝えられる天安河原(あまのやすかわら)があり、仰慕ヶ窟と呼ばれる大きな洞窟が口を開けています。
伊勢神宮内宮(三重県伊勢市) は、天照大御神を祀る神社の中心です。御神体の八咫鏡(やたのかがみ)は、岩戸開きの際に作られた鏡に由来するとされ、三種の神器の一つに数えられています。この鏡が作られる経緯は、次の記事で触れます。
8. 関連する神々・場面
天照大御神と須佐之男命の誓約 は、この記事の直前の場面です。須佐之男命が高天原に昇り、天の安の河で誓約を行って勝ちを宣言するまでを扱っています。天照大御神と須佐之男命の誓約
天宇受売命と岩戸開き は、この記事の直後の場面です。思金神の計画、鏡と勾玉の製作、天宇受売命の舞、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が天照大御神を引き出すまでを扱います。天宇受売命
天照大御神 は、禊の最後に伊邪那岐命の左の目から生まれた太陽の神です。誕生と三貴子の分治については、こちらの記事をご覧ください。天照大御神
建速須佐之男命 は、鼻から生まれた三貴子の第三の神です。海原を任されながら父に追放されるまでを扱っています。建速須佐之男命
三貴子を含む、伊邪那岐命の禊で生まれた26柱の神々の全体像は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
9. 現代につながる読み方
天石屋戸の物語で目を引くのは、天照大御神が初めに弟をかばった、その言葉です。田を荒らしたのは土地が惜しかったからだろう、と善意に解釈する姿は、身内の過ちに理由を見つけて許そうとする心そのものです。ただ、その寛容は、乱行を止めることにはつながりませんでした。許すことと見過ごすことの境目は、どこにあるのか。この場面は、その難しさを静かに示しているように読めます。
もうひとつは、秩序が壊されるとき、それは一気にではなく段階を追って進むということです。田の畔、溝、御殿、そして機織りの場。ひとつひとつは修復できる範囲に見えても、積み重なれば取り返しのつかない結果を招きます。太陽の神が姿を隠すという結末は、大切なものが失われるのは突然ではなく、見過ごしの積み重ねの果てであることを物語っているのかもしれません。
そして、光が失われたとき、八百万の神々は嘆くだけでなく、知恵を集めて動き出します。その物語は、次の記事で扱います。
まとめ
- 天石屋戸は、誓約に勝ったと宣言した須佐之男命が高天原で乱行を重ね、天照大御神が石屋戸に籠って世界が闇になるまでを語る場面です。
- 須佐之男命の乱行は、田の畔を壊す・溝を埋める・大嘗の御殿を汚すの三つで、稲作と祭祀の秩序を壊すものと解されています。
- 天照大御神は初め、土地が惜しかったのだろうと弟をかばいましたが、忌服屋で服織女が亡くなる事件が起こり、石屋戸に隠れました。
- 太陽の神が隠れたことで高天原も葦原中国も闇となり、万の禍が起こりました。
- 『日本書紀』では天石窟と表記され、本文では天照大神自身が梭で傷つくなど、細部に違いがあります。
- 日食説・冬至説・鎮魂祭起源説などの解釈があります。天岩戸神社(宮崎県高千穂町)と、伊勢神宮内宮の八咫鏡の伝承がこの場面に結び付いています。
ゆかりの社をたずねるなら:皇大神宮と近くの宿、天岩戸神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
