水の八神とは?沫那芸神から国之久比奢母智神まで、泡・水面・水分・汲む器の神々【古事記】

水の八神(みずのはっしん)のアイキャッチ画像

『古事記』の神生み(かみうみ)の段で、水戸(みなと)の神 速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)は、河と海を分担して8柱の神を生みます。沫那芸神(あわなぎのかみ)に始まり国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)に終わるこの8柱は、まとめて「水の八神」と呼ばれることがあります。名前を読み解くと、泡、水面、水の分配、水を汲む器と、どれも水にまつわる言葉が隠れています。川の泡にまで神がいるのか、という素朴な驚きが、この8柱の入り口です。この記事では、8柱の一覧、原典の記述、4組それぞれの神名の意味、水の循環として読む説、『日本書紀』との違い、水分神(みくまりのかみ)の信仰と大和の四水分社を順に確かめます。

https://www.youtube.com/watch?v=oSxCNagy_qY
目次

1. 水の八神の位置(基本情報)

項目内容
場面名神生み。水戸の神 速秋津日子神・速秋津比売神が河海に因りて持ち別けて生んだ8柱
『古事記』での位置前: 大事忍男神から速秋津比売神までの第1群10柱 / 次: 風の神 志那都比古神(しなつひこのかみ)から始まる第2群
生んだ神速秋津日子神・速秋津比売神(伊邪那岐命・伊邪那美命が生んだ水戸の神)
舞台河と海(『古事記』は場所を特定しない)
生まれた神沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神の8柱(并せて八神)
『日本書紀』8柱も、河海を分担して生む話も見えない

8柱を『古事記』の順に並べます。「対」の列は表記から読み取れる組み合わせ、「名義の説」の列は注釈書や神名研究に見える解釈で、『古事記』自身が説明しているものではありません。

番号神名(読み)対名義の説『日本書紀』
1沫那芸神(あわなぎのかみ)那芸・那美の対(凪と波)水の泡が静まる(凪ぐ)さま見えない。別の文脈に沫蕩尊(あわなぎのみこと)がある
2沫那美神(あわなみのかみ)同上水の泡が波立つさま見えない
3頬那芸神(つらなぎのかみ)那芸・那美の対水面(つら)が凪ぐさま見えない
4頬那美神(つらなみのかみ)同上水面が波立つさま見えない
5天之水分神(あめのみくまりのかみ)天・国の対水を配り分ける神(天)見えない
6国之水分神(くにのみくまりのかみ)同上水を配り分ける神(国)見えない
7天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)天・国の対水を汲むひさごを持つ神(天)見えない
8国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)同上水を汲むひさごを持つ神(国)見えない

この8柱は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)が直接生んだ神ではありません。二柱が生んだ水戸の神、速秋津日子神・速秋津比売神が、さらに生んだ神です。神生みで生まれた神が自分たちで子を生むのは、この2柱と、山の神 大山津見神(おほやまつみのかみ)・野の神 野椎神(のづちのかみ)の2組だけで、水の八神はその最初の例です。

8柱には行動の描写がなく、『古事記』は名を並べるだけで、以後この名は再び出てきません。それでも、名前を一つずつ読んでいくと、泡、水面、分配、汲む器と、水が姿を変えていく様子が浮かび上がります。

2. 『古事記』にはどう書かれているか

『古事記』は、水戸の神 速秋津日子神・速秋津比売神の名を挙げたあと、この2柱が子を生んだことを一続きの文で記します。

此の速秋津日子・速秋津比売の二柱の神、河海に因りて持ち別けて、生める神の名は、沫那芸神。次に沫那美神

この速秋津日子神と速秋津比売神の二柱は、河と海によって受け持ちを分けて神を生みました。その名は沫那芸神、次に沫那美神といいます。「持ち別けて」は受け持ちを分けて、の意で、河と海という二つの領域を分担したと読むのが一般的です。「因りて」については、河と海を物実(ものざね)として、そこから神が生まれたことを表すという説があります。

原典は続けて、残りの6柱を並べます。

次に頬那芸神。次に頬那美神。次に天之水分神。次に国之水分神。次に天之久比奢母智神。次に国之久比奢母智神

そして最後に、数をまとめます。

沫那芸神より国之久比奢母智神まで、并せて八神

沫那芸神から国之久比奢母智神まで、合わせて8柱、という締めくくりです。大事忍男神(おほことおしをのかみ)から速秋津比売神までを「并せて十神」と数えた直後にこの8柱の系譜が挟まり、その後に風の神 志那都比古神から第2群が始まる、という構成です。

記述はこれだけで、8柱がどこにいて何をしたのかも、どの神が河の担当でどの神が海の担当かも書かれていません。泡も水面も、川にも海にもあります。このため、河と海の分担は形のうえの区分で、8柱は水に関わる自然の働き全体を表す、と見る説があります。8柱を生んだ主体をめぐる「三十五神」の数え方の問題は、速秋津日子神・速秋津比売神の記事で扱っています。速秋津日子神・速秋津比売神

3. 名前と言葉の意味

『古事記』は8柱の名の由来を説明していません。以下は、注釈書や神名研究に見える解釈を、4組に分けて紹介します。名の漢字はいずれも音に当てた借字を含み、字面だけでは意味が取れません。音に立ち返って読むのが、この8柱を理解する基本になります。

沫那芸神・沫那美神――泡の凪と波

「沫(あわ)」は水の泡です。川の水と海の水が出会う河口では、流れがぶつかって泡が多く立ちます。水戸の神の子として最初に泡の神が来るのは、そのためだとする説があります。

「那芸(なぎ)」は、『日本書紀』に見える「沫蕩(あわなぎ)」の「蕩」の字が平らかの意を持つことから、「凪(なぎ)」と解されます。泡が静まった様子です。「那美(なみ)」は「波」で、波立ち騒ぐ様子です。つまりこの一組は、泡の凪と泡の波、静と動の対と読むことができます。ナを「の」、ギを男性を表す接尾語と見て、「泡の男神」と解する説もあります。

ここで一つ、注意したい点があります。ナギ・ナミという音は、伊邪那岐・伊邪那美と同じです。このため、沫那芸神・沫那美神を伊邪那岐命・伊邪那美命になぞらえて、男神と女神の対と見る読みがあります。一方で、『古事記』の表記は「那岐」ではなく「那芸」で、字が違います。さらに、速秋津比売神には「妹(いも)」の字が冠されて女神であることが示されていたのに対し、沫那美神にも頬那美神にも「妹」の字がありません。ここから、この8柱は男女の神ではなく、凪と波という自然の状態を対にした神だとする説があります。どちらとも断定はできませんが、「妹」の有無という原典の書き方の違いは押さえておきたい点です。

頬那芸神・頬那美神――水面の凪と波

「頬(つら)」は、字だけ見ればほほのことですが、和語のツラには表面という意味があり、ここでは水面を表す借字と解されています。現代でも「上っ面(うわっつら)」のように、ツラを表面の意で使います。

この一組は、水面の凪と水面の波です。泡の一組と同じ「那芸」「那美」を末尾に持ち、静と動の対が繰り返されます。細かな泡から広い水面へと、視野が広がる順序になっています。

天之水分神・国之水分神――水を配る神

「水分(みくまり)」は、水(み)を配る(くまり)、の意です。「くまる」は分け配ることで、「みくまり」で水の分配を表します。水分神は、山の尾根で水が分かれる分水嶺や、川が枝分かれする地点に祀られ、田畑に水を配る神として信仰されてきました。

『古事記』は水分神の役割を語っていません。しかし、この8柱のうち水分神だけは、原典の外で確かな信仰の記録を持っています。大和を中心に「水分」の名を持つ神社があり、『延喜式』や祝詞(のりと)に、雨を祈る神としてその名が見えます。この点は第6節で扱います。

天之久比奢母智神・国之久比奢母智神――水を汲むひさごを持つ神

8柱のなかで最も読みにくいのが「久比奢母智(くひざもち)」です。有力な説は、「くみ(汲)ひさご(瓠)もち(持)」が縮まった形と見て、水を汲む器を持つ神と読むものです。ひさごは、ひょうたんの実をくりぬいて作った杓(ひしゃく)で、平安時代の辞書『和名類聚抄』は「杓」に「比佐古」の訓を当てています。ほかに、杙(くひ)と瓠(ひさ)を合わせた語と見る説や、モチを尊称と見る説もあります。いずれの説でも、水を汲み、分け与える神と捉える点は共通しています。

読みについても補足しておきます。「奢」を濁音で「ざ」と読み、「くひざもち」とするのが一般的ですが、清音で「くひさもち」と読む説もあります。「ひさご」の語に近づけて読むなら清音になり、どちらが本来の音かは定まっていません。

ひさごは、水を汲む日用の道具であると同時に、祭りの道具でもありました。この点は第6節で触れます。

「天之」「国之」の対はなにを分けるのか

水分神と久比奢母智神は、「天之」「国之」を冠した対になっています。この対が何を分けているのかについては、いくつかの説があります。単に対を作るための称で、天と国に実質的な区別はないとする説。天から降る雨の水と、国土から湧く水を分けたとする説。水源に近い川の上流を「天」、海に近い下流を「国」に配したとする説。天上と地上が連続していることを、神名によって保証しているとする説です。大山津見神・野椎神が生む8柱にも天之狭土神・国之狭土神のような同じ形の対があり、『古事記』の神生みに特徴的な名の作り方です。

4. 神話の中での役割

8柱には物語がなく、役割は名前と並び順から読み取るほかありません。そのうえで、この8柱をひとつながりの構成として読む説があります。

泡から器へ――水の循環として読む説

8柱を順に追うと、次のような流れが見えてきます。川の水と海の水がぶつかって泡が立つ(沫那芸神・沫那美神)。泡の下には水面が広がる(頬那芸神・頬那美神)。水面から蒸発した水は天に昇って雨となって降り、地に染みて泉として湧き、人の田畑へと配られる(天之水分神・国之水分神)。その水を、人はひさごで汲んで用いる(天之久比奢母智神・国之久比奢母智神)。8柱の並びを、河口の泡から人の手元まで、水の恵みが人に至る道筋として讃えた構成と見る読みです。

ただし、これは名前から導いた解釈であって、『古事記』が水の循環を書いているわけではありません。原典は8柱の名を並べて「并せて八神」と数えるだけです。事実として言えるのは、8柱の名がいずれも水に関わること、静と動、天と国という対で組まれていること、この二点です。循環として読むのは、その事実に筋道を与える一つの読み方だと理解しておくのがよいでしょう。

自然を系譜に組み込む

もう一つの役割は、系譜の側から見えてきます。神生みの途中で、生まれた神がさらに神を生むという展開は、『日本書紀』にはない『古事記』独自のものです。この展開には、自然の神々を伊邪那岐命・伊邪那美命の系譜のなかに組み込み、自然界全体を伊邪那岐命の子孫の統治領域として掌握する意味がある、とする説があります。水戸の神の子として水に関わる8柱を、山野の神の子として大地に関わる8柱を置くことで、水と大地からなる自然界の全体が一つの系譜に収まります。水の八神は、その前半を担う神々です。

5. 『日本書紀』との違い

『日本書紀』本文の神生みは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が海、川、山、木の祖、草の祖を順に生む、という簡潔な記述です。そこに水の八神は見えません。速秋津日命(はやあきつひのみこと)を水門の神として挙げる一書はありますが、その神が河と海を分担して子を生んだという話は、本文にも一書にもありません。8柱の系譜は『古事記』だけのものです。

ただ、一柱だけ、よく似た名の神が『日本書紀』の別の場所に出てきます。神代上の一書の一つに、国常立尊(くにのとこたちのみこと)の子孫として天鏡尊(あまのかがみのみこと)、天万尊(あまよろずのみこと)と続き、天万尊が沫蕩尊(あわなぎのみこと)を生み、沫蕩尊が伊弉諾尊を生んだ、とする系譜があります。この一書では、沫蕩尊は伊弉諾尊の親神です。『古事記』の沫那芸神が伊邪那岐命の孫の世代の神であるのと比べると、位置がまったく逆になります。

沫蕩尊と沫那芸神の関係は、はっきりしていません。名の音は同じで、「蕩」の字が「那芸」を凪と解く手がかりになっている一方、系譜上の位置は正反対です。この食い違いをめぐっては、泡から最初の神が生まれるという内陸アジアの伝承との類似を想定する説や、伊弉諾尊が水の泡から生まれたとする海人(あま)の伝承が背景にあるとする説があります。いずれも仮説の段階で、同じ神と断定することも、別の神と言い切ることもできません。泡の神の名が二つの書でまるで違う場所に置かれていること自体が、神話の系譜が一つに定まっていなかったことを示しています。

6. 信仰と祭祀

8柱のうち、原典の外で確かな信仰の記録を持つのは水分神です。残りの6柱については、古い信仰の記録がほとんどなく、神名の解釈を通じて語られるにとどまります。

水分神と雨乞い

水分神は、農業用水を配る神として、古くから雨乞いの対象になってきました。『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に雨を祈った記事が見えます。『延喜式』には、朝廷が雨を祈るときに幣(みてぐら)を奉る神社を列挙した「祈雨の神八十五座」があり、そのなかに葛木(かつらぎ)・都祁(つげ)・宇陀(うだ)・吉野(よしの)の水分社が含まれています。

祈年祭(としごいのまつり)の祝詞にも、水分神の名が見えます。祈年祭は年の初めに一年の実りを祈る祭りで、その祝詞は「水分に坐す皇神等(みくまりにますすめがみたち)」として、吉野・宇陀・都祁・葛木の四つの水分の神を挙げ、田に水が行き渡るよう祈っています。大和の四方の水源に水分神を祀り、都の田を潤す水を一年ごとに願う。これが、記録に残る水分信仰の姿です。

なお、『古事記』は水分神の役割を語らず、祝詞は「天之」「国之」を区別していません。両者がはじめから同じ神を指していたかは定かでありませんが、名が一致し、水を配るという性格が重なることから、各地の水分社は『古事記』の水分神を祭神として掲げています。

ひさごと鎮火の祭り

久比奢母智神については、神社での信仰の記録はほとんどありませんが、名に含まれるひさごが祭りの道具として使われてきたことは、祝詞から分かります。『延喜式』の鎮火祭(ひしずめのまつり)の祝詞は、火の神を鎮める品として、水とともに匏(ひさご)を挙げています。水を汲んで火を鎮めるための器です。神楽で神職や舞人が手に持つ採物(とりもの)に杓があることも、水を扱う器が神事と結び付いてきたことを示しています。ひさごを持つ神という名には、水を汲んで人に配る働きと、水で火や災いを鎮める祭りの記憶の両方が重なっている、と読むことができます。

水分神の後の姿

水分神は、後の時代に「みくまり」の音が「御子守(みこもり)」に転じ、子授けや子育ての神として信仰されるようになった、とされています。吉野水分神社が子守明神と呼ばれるのはその例で、原典にはない後世の展開です。

7. ゆかりの神社

水分神を祀る神社は大和を中心に各地にあり、なかでも『延喜式』と祈年祭祝詞に名の見える吉野・宇陀・葛木・都祁の4社は、大和の四水分社と呼ばれます。祭神の表記は神社によって異なり、水戸の神 速秋津日子神を合わせて祀る社もあります。祭神は各社の伝えによるもので、下の表は現在の案内に基づいています。

神社所在地祭神と位置づけ
吉野水分神社奈良県吉野郡吉野町天之水分大神を主祭神とするとされています。四水分社の一つで、子守明神とも呼ばれる
宇太水分神社奈良県宇陀市天水分神・速秋津比古神・国水分神を祀るとされています。四水分社の一つ
葛木水分神社奈良県御所市天水分神・国水分神を祀るとされています。四水分社の一つ
都祁水分神社奈良県奈良市速秋津彦命ほかを祀るとされています。四水分社の一つ

一方、沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神の6柱を主祭神として掲げる神社は、ごく少ないのが実情です。8柱のうち、信仰の場を持って今日まで続いているのは水分神だけだと言ってよく、残りの6柱は、『古事記』の文のなかに名を残す神々です。

8. 関連する神々・場面

速秋津日子神・速秋津比売神 は、水の八神を生んだ水戸の神です。「秋」が季節の秋ではないという神名の読み解きや、8柱を生んだ主体をめぐる「三十五神」の問題は、この記事で扱っています。速秋津日子神・速秋津比売神

大綿津見神 は、水戸の神の直前に生まれた海の神です。海一般を掌る神の次に河口の神が生まれ、その子として水の八神が並びます。海から河口へ、河口から泡へ、という順序です。大綿津見神

大事忍男神 は、神生みの最初に生まれた神で、神生み全体の見取り図はこの記事にあります。水の八神は、大事忍男神から始まる第1群10柱の直後に置かれています。大事忍男神

志那都比古神 は、水の八神の次に生まれる風の神で、ここから神生みの第2群が始まります。大山津見神・野椎神 は、第2群の山の神と野の神で、山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生みます。水の八神と対をなす、大地の八神と呼べる神々です。

伊邪那岐命・伊邪那美命 は、水の八神の祖父母に当たる神です。二柱の生涯の全体像はそれぞれの記事で扱っています。伊邪那岐命 伊邪那美命

神生みの後、伊邪那岐命が禊で生んだ26柱の神々は、一覧記事にまとめています。禊は水で穢れを流す行為で、そこにも綿津見や筒之男といった水の神々が生まれます。イザナギの禊で生まれた神々一覧

国生みと神生みで生まれた島と神々の全体は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。

9. 現代につながる読み方

水の八神の神話から読み取れるのは、目に映る小さな現象を見過ごさない、という態度です。川の泡は、立ってはすぐに消える、取るに足らないものに見えます。古代の人々は、その泡に名を与え、神として数えました。泡が凪ぐことと波立つこと、その二つの状態まで分けて、別の神にしています。当たり前に流れているものを、当たり前のままにしない。水をそれだけ細かく見ていた人々の目が、この8柱の名に残っています。

もう一つは、自然の恵みを人の手元まで追いかける、という見方です。8柱の並びを水の循環と読む説に従えば、この系譜は、泡と水面という自然の姿から始まり、水を配る神を経て、水を汲むひさごを持つ神で終わります。神の列の最後に、人が使う道具の名が来る。自然の水は、人が汲んで初めて恵みになります。水を讃えることと、水を使う暮らしを讃えることが、この系譜のなかでは一続きになっています。

そして、水分神が今も水の神として祀られていることは、この8柱が過去の名前ではないことを示しています。分水嶺に立って水の行き先を見守る神は、蛇口の向こうにある水源を意識しにくい現代でこそ、水がどこから来て、誰の手を経て届くのかを思い出させてくれます。

まとめ

  • 水の八神は、『古事記』の神生みで、水戸の神 速秋津日子神・速秋津比売神が河と海を分担して生んだ8柱です。沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神で、原典は「并せて八神」と数えます。
  • 神名は、沫=泡、頬(つら)=水面、水分(みくまり)=水を配る、久比奢母智=水を汲むひさごを持つ、と解されます。那芸・那美は凪と波、天之・国之は天と国の対です。
  • 沫那芸神・沫那美神を伊邪那岐命・伊邪那美命になぞらえて男女の対と見る読みと、「妹」の記載がないことから男女の神ではないとする説があります。
  • 8柱を、泡から水面、水の分配、汲む器へと至る水の循環として読む説がありますが、これは名前から導いた解釈で、『古事記』の記述ではありません。
  • 『日本書紀』には8柱も、河海を分担して生む話もありません。一書に伊弉諾尊の親とされる沫蕩尊が見えますが、沫那芸神との関係は明確ではありません。
  • 水分神は分水嶺に祀られる配水の神で、『延喜式』の祈雨の神や祈年祭祝詞に名が見えます。吉野・宇陀・葛木・都祁の四水分社が知られ、他の6柱を主祭神とする神社はごく少数です。

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
  • 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
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