伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、『古事記』の冒頭に現れる神世七代(かみよななよ)の最後の男神で、妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)とともに日本の国土と多くの神々を生んだ神です。妻を失って黄泉の国へ下り、そこから帰って禊(みそぎ)を行い、天照大御神・月読命・建速須佐之男命の三貴子を得るまで、『古事記』上巻の前半はこの神を軸に進みます。この記事では、伊邪那岐命の物語の全体像を順にたどり、神名の意味、『日本書紀』との違い、祀られている神社までを解説します。禊で生まれた神々や黄泉の国の物語の細部は、それぞれの個別記事に譲ります。
1. 伊邪那岐命とは(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 伊邪那岐神・伊邪那岐命(禊の段では伊邪那伎大神とも書かれる) |
| 神名(日本書紀) | 伊弉諾尊 |
| 読み | いざなぎのみこと |
| 親神(生まれた由来) | 神世七代の最後に、伊邪那美神と対で成った神。特定の親神は記されない |
| 誕生の場面 | 天地の初めに現れた神々に続く、神世七代の第七代 |
| 神格・性格 | 国土と神々を生んだ父神。禊によって穢れを祓い、三貴子を得た神 |
| 別名や同一視される神 | 伊邪那岐大神、伊弉諾尊、伊弉諾大神(神社での呼称) |
『古事記』は、天地の初めに現れた別天つ神(ことあまつかみ)五柱の後、国之常立神から始まる七代の神々を語り、その最後に伊邪那岐神と伊邪那美神を置きます。ここまでを神世七代と呼びます。それ以前の神々はほとんど名前が挙がるだけですが、この二柱から初めて具体的な行動が語られ、『古事記』の神話は実質的にここから動き始めます。伊邪那岐命の物語は、国生み、神生み、妻の死、黄泉の国への訪問と帰還、禊と三貴子の分治という五つの場面に分けられます。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
国生み
天つ神たちは伊邪那岐命と伊邪那美命に、まだ水に浮く脂のように漂っている国土を固めるよう命じ、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けます。
是の多陀用弊流国を修理め固め成せ
「多陀用弊流(ただよへる)」は「漂っている」の意です。二柱は天の浮橋に立って矛で海をかき回し、矛の先から滴った塩が積もって淤能碁呂島(おのごろじま)ができました。島に降りた二柱は天の御柱(あめのみはしら)を左右から回って出会い、結婚の言葉を交わします。しかし先に伊邪那美命が声をかけたため、生まれた水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)は子の数に数えられませんでした。天つ神に伺いを立てたうえで伊邪那岐命から声をかけ直し、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)から始まる八つの島、大八島国(おおやしまのくに)を生みました。 国生みの場面の詳細は 国生み の記事をご覧ください。
神生みと妻の死
続けて二柱は、大事忍男神 を最初に、海の神、風の神、山の神である大山津見神、食物の神である大宜都比売神など、多くの神を生みます。ところが最後に火の神、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだとき、伊邪那美命は火に焼かれて病み、やがて亡くなりました。伊邪那岐命は妻の枕元と足元に伏して泣き、妻を出雲国と伯伎国(ほうきのくに)の境の比婆之山(ひばのやま)に葬ります。そして腰の十拳剣(とつかのつるぎ)で迦具土神の首を斬り、その血と体からさらに多くの神が生まれました。
黄泉の国
伊邪那岐命は妻に会いたいと願い、黄泉の国まで追っていきます。御殿の戸口まで出て迎えた伊邪那美命に、伊邪那岐命は次のように呼びかけました。
吾と汝と作れる国、未だ作り竟へず。故、還るべし
私とあなたが作った国は、まだ作り終えていない。だから帰ってきてほしい、という意味です。伊邪那美命は、黄泉の神と相談する間は自分の姿を見ないでほしいと答えます。しかし待ちきれなくなった伊邪那岐命は、櫛の歯を折って火をともし、御殿の中をのぞいてしまいました。そこにあったのは、変わり果てた妻の姿と、その体に生じた八柱の雷神でした。伊邪那岐命は恐れて逃げ出し、伊邪那美命は黄泉醜女(よもつしこめ)や雷神たちを差し向け、最後には自ら追ってきます。黄泉の国での出来事の詳細は 伊邪那美命 の記事で扱っています。
黄泉比良坂での別れ
黄泉比良坂(よもつひらさか)で追いつかれた伊邪那岐命は、千引の石(ちびきのいわ)を据えて道をふさぎ、石を挟んで別れの言葉を交わします。伊邪那美命が、あなたの国の人々を一日に千人殺すと告げたのに対し、伊邪那岐命はこう答えました。
愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ
いとしい妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう、という意味です。こうして一日に千人が死に、千五百人が生まれるという釣り合いが定められました。
禊と三貴子の分治
地上に戻った伊邪那岐命は、穢れた国に行っていたと言って、筑紫の日向の阿波岐原(あわきはら)で禊を行います。身に着けていた物を投げ棄てるたびに神が生まれ、水に潜ってすすぐと禍の神、それを直す神、海の神が生まれました。最初に杖から生まれた神が 衝立船戸神 です。最後に顔を洗ったとき、左の目から天照大御神、右の目から月読命、鼻から建速須佐之男命が生まれます。伊邪那岐命は三柱の貴い子を得たことを喜び、それぞれに高天原・夜の食国(おすくに)・海原を治めるよう委ねました。禊で生まれた26柱については イザナギの禊で生まれた神々一覧 の記事にまとめています。
淡海の多賀に坐す
三柱のうち建速須佐之男命だけは命に従わず泣き続けたため、伊邪那岐命はこの神を追放します。その直後、『古事記』は伊邪那岐大神が淡海(おうみ)の多賀(たが)に鎮まったと記し、この神の物語を閉じます。淡海は近江のことで、現在の滋賀県多賀町の多賀大社がこの記述と結び付けられています。伝本によっては「淡路」と読む説もあります。
3. 神名の意味
『古事記』は伊邪那岐命の名の由来を説明していません。以下は後世の注釈に基づく解釈です。
もっとも広く知られている説は、「いざな」を「誘う(いざなう)」と結び付け、「き」を男性、「み」を女性を表す語とみるものです。この読み方では、伊邪那岐命は「誘う男」、伊邪那美命は「誘う女」となり、御柱を回って互いに声をかけ合う場面と対応します。「き」と「み」が男女の対を示す例としては、「おきな・おみな」などが挙げられます。
このほか、「なぎ」を海が静まる「凪」と結び付ける説などもありますが、いずれも確定したものではありません。神名が「岐」と「美」で対になっている構造そのものは原典どおりです。
4. 神話の中での役割
伊邪那岐命は、『古事記』の中で「生む神」から「祓う神」へと役割を移していく神です。前半では伊邪那美命と対になって国土と神々を生み、後半では妻を失った後に一柱で黄泉の穢れを祓い、禊によってさらに多くの神を生みました。三貴子は、夫婦ではなく伊邪那岐命一柱から生まれています。
この構成には、いくつかの読み方が示されています。ひとつは、生と死、この世と黄泉という二つの世界を、伊邪那岐命と伊邪那美命がそれぞれ受け持つ形になっているという見方です。黄泉比良坂での別れのあと、伊邪那美命は黄泉津大神として死の側に立ち、伊邪那岐命は地上に戻って生の側に立ちます。もうひとつは、天照大御神の父として、伊邪那岐命が皇祖神の系譜の出発点に置かれているという見方です。三貴子の分治で高天原を委ねたことが、以後の物語の土台になります。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と表記され、神代上の第四段と第五段が国生みと神生みに相当します。大きな違いは二つあります。
第一に、『日本書紀』の本文には黄泉の国を訪ねる話がありません。伊弉冉尊が火の神を生んで亡くなり、伊弉諾尊が黄泉へ追っていく物語は、第五段の一書(あるふみ)として伝えられています。禊の場面も一書第六に見えます。第二に、『日本書紀』の本文では、天照大神(大日孁貴)・月神・素戔嗚尊の三柱は、伊弉諾尊と伊弉冉尊が共に生んだ子とされています。禊の際に伊弉諾尊一柱から生まれたとするのは一書の伝えであり、『古事記』とは本文と異伝の関係が逆です。
また、『古事記』が淡海の多賀に鎮まったとするのに対し、『日本書紀』の一書には、伊弉諾尊が淡路に幽宮(かくれみや)を構えて静かに隠れたと記されています。兵庫県淡路市の伊弉諾神宮は、この記述と結び付けて語られています。
6. ご利益と信仰
伊邪那岐命は伊邪那美命とともに国土と神々を生んだ神であることから、夫婦の神、子宝と安産の神、縁結びの神として信仰されてきました。また、禊によって穢れを祓ったことから、厄除けや延命長寿の神ともされています。天照大御神の親神であることから、伊勢神宮の祭神の親として敬う信仰も見られます。こうした信仰は、『古事記』の記述そのものというより、後世に各神社で育まれてきたものです。
7. 祀られている神社
多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町) は、伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祀ります。『古事記』の「淡海の多賀に坐す」という記述に対応する神社とされ、延命長寿・縁結びの神として広く信仰されています。
伊弉諾神宮(兵庫県淡路市) は、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀ります。『日本書紀』の一書にある淡路の幽宮の伝承地とされ、淡路国の一宮として知られています。
江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町) は、伊邪那岐尊と伊邪那美尊を祀ります。地名の「阿波岐原」は『古事記』で禊が行われた阿波岐原と結び付けられ、禊の伝承地とされています。
筑波山神社(茨城県つくば市) は、筑波山の男体山に伊弉諾尊、女体山に伊弉冊尊を祀ります。二つの峰をそれぞれ男神と女神に当てる形で、夫婦の神として信仰されています。
8. 関連する神々
伊邪那美命 は、国生みと神生みの相手となった妻で、火の神を生んで亡くなり、黄泉津大神となりました。伊邪那美命
衝立船戸神 は、禊の最初に投げ棄てた杖から生まれた神です。衝立船戸神
天照大御神 は、禊の最後に左の目から生まれ、高天原を委ねられた神です。天照大御神
月読命 は、右の目から生まれ、夜の食国を委ねられた神です。月読命
建速須佐之男命 は、鼻から生まれ、海原を委ねられましたが、父の命に従わず追放されました。建速須佐之男命
大宜都比売神 は、神生みの段で二柱が生んだ食物の神です。大気都比売神
禊で生まれた26柱の全体像は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ島と神々は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。
9. 現代につながる読み方
伊邪那岐命の物語には、失敗とやり直しがくり返し出てきます。国生みでは最初の子がうまく生まれず、天つ神に相談してから声のかけ方を変えました。黄泉の国では「見ないでほしい」という約束を破り、逃げ帰ることになります。それでも物語はそこで終わらず、地上に戻って禊を行い、その最後に三貴子という最も貴い子を得ました。いったん立ち止まって身を清め、次に進むという流れが、この神の物語の骨格になっています。
もうひとつは、別れ方についての読み方です。黄泉比良坂で伊邪那岐命は、妻の言葉に対して「千五百の産屋を建てよう」と答え、死に対して生を置き合わせました。相手の言葉を受けとめたうえで自分の側の答えを示すこの場面は、避けられない別れとどう向き合うかという問いへの、古い時代のひとつの答え方として読むことができます。
まとめ
- 伊邪那岐命は神世七代の最後に伊邪那美命と対で成った男神で、淤能碁呂島で御柱を回り、大八島国と多くの神々を生みました。
- 火之迦具土神の誕生で伊邪那美命が亡くなると、迦具土神を斬り、妻を追って黄泉の国へ向かいますが、「見るな」の禁を破って逃げ帰ります。
- 黄泉比良坂で千引の石を挟んで別れ、一日に千五百の産屋を建てると答えました。
- 阿波岐原の禊で26柱の神を生み、最後に三貴子を得て、それぞれに高天原・夜の食国・海原を委ねました。
- 『古事記』では淡海の多賀に鎮まったとされ、『日本書紀』本文には黄泉訪問がなく、三貴子は夫婦が共に生んだ子とされています。
- 多賀大社・伊弉諾神宮・江田神社・筑波山神社などに祀られ、延命長寿や縁結びの神として信仰されています。
ゆかりの社をたずねるなら:多賀大社と近くの宿、伊弉諾神宮と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
