布刀玉命(フトダマ)とは?岩戸で榊を捧げ注連縄を張った忌部氏の祖神【古事記】

布刀玉命(ふとだまのみこと)のアイキャッチ画像

布刀玉命(ふとだまのみこと)は、天石屋戸(あめのいわやと)の場面で、岩戸開きの最後の一言を口にした神です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が外へ引き出されると、その背後に尻久米縄(しりくめなわ)を張り渡し、「ここから内へ戻らないでください」と告げました。それまでにも、珠と鏡と布で飾った榊(さかき)を捧げ持つという大事な役を務めています。祝詞(のりと)を唱えた天児屋命(あめのこやねのみこと)と組んで動いた神で、二神の分担については 天児屋命 にまとめました。天照大御神が籠るまでの経緯は 天石屋戸、岩戸開きの場面全体は 天宇受売命 の記事で扱っています。ここでは、布刀玉命ならではの二つの品、つまり「太御幣」と呼ばれた榊と、注連縄(しめなわ)の起源とされる縄を中心に、「太玉」の名、忌部(いんべ)氏の伝え、阿波と安房にまたがる神社を見ていきます。

目次

1. 布刀玉命のプロフィール

項目内容
神名(古事記)布刀玉命
神名(日本書紀)太玉命(忌部の遠祖と明記)
読みふとだまのみこと
後世の表記天太玉命(あめのふとだまのみこと)
手にした品珠・鏡・布を掛けた榊(太御幣)、尻久米縄
氏族との関係忌部首(いんべのおびと)の祖。忌部氏は斎部氏とも書く
同一視される神大麻比古神(おおあさひこのかみ)と同神とする伝承がある

布刀玉命も、生まれた経緯を語られないまま岩戸の段に現れる神です。天児屋命が「言葉」の側を受け持ったとすれば、布刀玉命が受け持ったのは「物」と「場」の側でした。榊を掲げて神を迎え、縄で神聖な場所を区切る。祭りに用いる幣(ぬさ)や神具を調え、神殿を建てることを職掌とした忌部氏がこの神を祖と仰いだのは、こうした役柄によるところが大きいと考えられます。

2. 榊を「太御幣」として捧げ持つ

岩戸の前では、まず天児屋命と二神で牡鹿の肩骨を焼く太占(ふとまに)を行い、そのあと天の香山(あめのかぐやま)の榊を根ごと掘り取りました。上の枝には勾玉の飾り、中の枝には鏡、下の枝には白と青の布が掛けられます。

原典は、布刀玉命がこの榊を「太御幣(ふとみてぐら)」として捧げ持ったと記しています。「御幣」は神に捧げる物、「太」は立派な、という美称です。飾りを掛けた榊が、そのまま神を迎えるための大きな捧げ物として扱われていることがわかります。鏡と珠を作ったのは別の神々ですが、それを一つの捧げ物にまとめて神前に掲げたのは布刀玉命でした。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)の舞のあと、戸が細めに開くと、布刀玉命は天児屋命と共に鏡を差し出しています。

3. 岩戸開きを締めくくった一言

鏡を覗こうと身を乗り出した天照大御神の手を、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が取って外へ引き出します。その直後、布刀玉命は天照大御神の背後に尻久米縄を張り、こう告げました。

此より以内に、な還り入りそ

ここから内側へは、もう戻らないでください、という意味です。天照大御神が再び籠ることのないよう、縄で境を定めたのです。天照大御神 これを受けて高天原(たかまのはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も明るさを取り戻しました。

岩戸開きの物語は、手を取って引き出した瞬間では終わりません。締めくくりの言葉が布刀玉命のものであることは、この神の役割を考えるうえで見逃せない点です。

4. 尻久米縄は注連縄の始まりか

尻久米縄は、注連縄の起源とされています。「尻久米」の語義には諸説あり、縄の端を切りそろえずに垂らしたものと読む説がよく知られています。天照大御神の後ろに張られたこの縄は、神聖な場所と外とを分けるしるしであり、神が再び隠れないよう境を示すものでした。今日の神社や家々に注連縄が張られ、清らかな場所を示しているのは、この場面に由来すると考えられています。

天手力男神と布刀玉命の連携にも目を向けておきます。引き出す力と、戻さないための縄が一組になって、光の回復が確かなものになりました。天手力男神の力が一瞬の働きであるのに対し、布刀玉命の縄は、取り戻した状態を保ち続ける働きです。天手力男神 結末を「持続させる」役の神と読むこともできますが、これは原典にない解釈です。

縄を張る役は、『日本書紀』神代上 第七段の本文では少し違って語られます。手力雄神(たぢからおのかみ)が天照大神(あまてらすおおかみ)を引き出したあと、縄を張ったのは中臣神(なかとみのかみ)と忌部神(いんべのかみ)の二神です。『古事記』では布刀玉命ひとりの仕事であるのに対し、『日本書紀』では中臣・忌部の二氏が並ぶ形になり、氏族との結び付きがいっそう表に出ています。『日本書紀』はこの神を太玉命と書き、本文で忌部の遠祖と明記しています。

5. 「太玉」の名が指すもの

『古事記』は布刀玉命の名の由来を語っていません。ここからは注釈書などに見える解釈です。

「布刀(ふと)」 は「太」にあたり、大きい、立派な、という美称と解されています。榊を「太御幣」と呼ぶのと同じ用い方で、神事の品を称える言葉です。

「玉(たま)」 の読み方は大きく二つあります。一つは文字どおり祭りに用いる玉や玉串と見る説で、「太玉」は立派な玉、大きな玉串の意になります。珠と鏡を飾った榊を捧げ持った行いとよく合うため、この解釈が広く知られています。もう一つは「玉」を「魂(たま)」と見て、神霊に関わる名と取る説です。どちらも推測で、確定はしていません。

『日本書紀』の「太玉命」は「布刀」を「太」の字で書いたもので、読みも意味も同じです。「天」を冠した「天太玉命」の形は後世に広まり、安房神社や天太玉命神社の祭神名にも使われています。

6. 忌部氏が伝えた布刀玉命――『古語拾遺』

天孫降臨の段で、布刀玉命は五伴緒(いつとものお)の一柱として邇邇芸命(ににぎのみこと)に従い、『古事記』は「忌部首等の祖」と記します。五伴緒の顔ぶれと各氏族との対応は 天児屋命 に載せています。

忌部氏の側からこの神を語った書物に、平安時代初期に斎部広成(いんべのひろなり)が著した『古語拾遺(こごしゅうい)』があります。そこでは天太玉命が多くの神々を率いて祭りの用具を調えたと記され、布刀玉命の役割がより詳しく描かれています。『古事記』『日本書紀』より後の書物で、氏族の立場が色濃く出た記述である点には注意が必要ですが、忌部氏がこの神をどう仰いだかを知る手がかりになります。

7. 阿波と安房を結ぶ社と、ものづくりの信仰

安房神社(千葉県館山市) は天太玉命を主祭神とする安房国の一宮です。阿波(現在の徳島県)の忌部が房総半島に渡って開いた地と伝えられ、祖神の天太玉命を祀ります。

大麻比古神社(徳島県鳴門市) は大麻比古神を主祭神とする阿波国の一宮です。大麻比古神は天太玉命と同神とされ、阿波忌部の祖神として祀られています。安房神社とは、阿波から安房へという忌部氏の移動の伝承で結ばれています。

天太玉命神社(奈良県橿原市) は社名に神名を掲げた神社で、忌部氏ゆかりの地に鎮座しています。

信仰の面では、神具を調え神殿を建てた忌部氏の祖であることから、産業や技術、ものづくりの神とされ、安房神社ではあらゆる産業の守護神として仰がれています。注連縄を張って神聖な場所を守ったことからは、厄除け、家内安全、開運とも結び付けられました。天照大御神が再び隠れないよう境を定めた物語が、災いを寄せつけず良い状態を保つ働きとして受け止められてきたのです。「太玉」を玉串や祭具と読む立場からは、神事の道具や供え物の神ともされます。いずれも岩戸の場面と忌部氏の職掌からの連想で、原典に直接書かれたことではありません。

8. 取り戻したものを保つという役

布刀玉命の行いは、どれも派手ではありません。捧げ物を掲げ、場を整え、境を定める。それでも、舞や力が場を動かしたあとで、その結果を形にして残す役がなければ、世界はまた闇に戻ったかもしれません。取り戻すことと、それを保つことは、別の働きとして描かれているように読めます。

もっとも、これは原典の外に踏み出した読み方で、『古事記』が語るのは、榊を捧げ、鏡を差し出し、縄を張ったという行いまでです。それでも、今も神社や家の入口に注連縄が掛けられていることを思えば、布刀玉命の縄は、日々の暮らしの中に形を変えて残り続けているといえるでしょう。

まとめ

  • 布刀玉命は、岩戸開きの最後に「此より以内に、な還り入りそ」と告げた神です。
  • 珠・鏡・布を掛けた榊を「太御幣」として捧げ持ち、神を迎える捧げ物にまとめ上げました。
  • 天照大御神の背後に張った尻久米縄は注連縄の起源とされ、『日本書紀』本文では縄を張るのが中臣神と忌部神の二神になっています。
  • 「太玉」は立派な玉・玉串と読む説と、魂に関わる名と読む説があり、決着していません。
  • 忌部首の祖で、斎部広成の『古語拾遺』は忌部氏の立場からこの神の働きを詳しく伝えています。
  • 安房神社・大麻比古神社・天太玉命神社に祀られ、産業やものづくり、厄除けの神として信仰されています。

ゆかりの社をたずねるなら:安房神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
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