涙がこぼれるとき、そこに神がいると考える人は少ないかもしれません。けれども『古事記』は、涙にも神の名を与えています。泣沢女神(なきさわめのかみ)は、妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)を失った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の涙に成った神です。名に「泣」の字があるため、泣いている女神と思われがちですが、原典で泣いているのは伊邪那岐命で、この神が泣いたとは書かれていません。この記事では、原典の一文、名の二通りの読み方、葬儀で泣く習俗と結び付ける説、香具山の麓で空井戸を神体とする社、そして『万葉集』に残る一首を、原典・研究上の説・土地の信仰・考察に分けて確かめます。
1. 涙にも神の名がある――原典が記すのは三つだけ
| 確かめること | 内容 | よりどころ |
|---|---|---|
| 名と読み | 泣沢女神。なきさわめのかみ(歴史的仮名遣いでは なきさはめのかみ)。別の名は伝わらない | 『古事記』 |
| 何に成ったか | 伊邪那岐命の涙 | 『古事記』 |
| どこにいるか | 香山(かぐやま)の畝尾の木の本 | 『古事記』 |
| 泣いたのは誰か | 伊邪那岐命。泣沢女神が泣いたという記述はない | 『古事記』 |
| ほかの書での字 | 啼沢女命(なきさわめのみこと)、啼沢女神 | 『日本書紀』第五段の一書第六、『先代旧事本紀』陰陽本紀 |
| 名の意味 | 水音のする沢とする説と、たくさん泣くこととする説 | 注釈・研究(定まっていない) |
| 当てられている社 | 畝尾都多本神社(奈良県橿原市木之本町) | 『延喜式』神名帳、橿原市の公式サイト |
| 歌 | 「泣沢の神社」に祈った一首 | 『万葉集』巻2・202番 |
表の上から4行が、『古事記』そのものから分かることです。まとめれば、涙に成ったこと、いる場所、名前の三つになります。姿も、行いも、言葉も記されていません。
下の4行は、原典の外にある資料です。別の書の字、名の読み解き、社、歌。泣沢女神について原典が語るのは一文だけですが、その一文に場所の名が入っていたために、土地の信仰と歌へ道がつながっています。
2. 神生みの先に訪れた別れ――枕元と足元に伏す伊邪那岐命
伊邪那岐命と伊邪那美命は、島々を生み、続けて多くの神を生んできました。その歩みは、火の神の誕生で止まります。伊邪那美命は体を焼かれて病の床に伏し、その床でも神々が成りました。最後に名が挙がるのは和久産巣日神と、その子の豊宇気毘売神です(和久産巣日神、豊宇気毘売神)。火の神が生まれてから斬られるまでは 火之迦具土神 の記事が通して扱っているので、ここでは涙の場面だけを取り出します。
伊邪那美命が神避(かむさ)る、つまり亡くなると、伊邪那岐命は声に出して嘆きます。
愛しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へつるかも
いとしい妻であるあなたを、子ひとりと取り替えることになってしまった、という嘆きです。「一つ木(ひとつけ)」は一人、神でいえば一柱のことで、「木」は神を数える語として使われていると注釈されています。火の神は、ここでは名を呼ばれず、「子の一つ木」と数えられています。
嘆きの言葉の後、伊邪那岐命は亡骸の枕元に腹這い、足元に腹這って泣きます。『古事記』は、そこに次の一文を置きます。
御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本に坐して、泣沢女神と名づく
その涙に成った神は、香山の畝尾(うねを)の木の本においでになり、名を泣沢女神という、という意味です。病の床の神々と同じく、ここでも「生む」ではなく「成る」という言い方がされています。
3. 泣いているのは伊邪那岐命――女神の涙とは書かれていない
名に「泣」と「女」の字が並ぶので、泣き濡れる女神の姿を思い描きたくなります。けれども、前の節の流れをもう一度たどると、嘆いたのも、腹這ったのも、泣いたのも伊邪那岐命です。泣沢女神は、その涙に成った神として、文の終わりに名が出てくるだけです。
原典がこの神について使っている言葉は、「成れる」「坐して」「名づく」の三つです。成った、そこにいる、そう名づける。泣いた、慰めた、語ったといった行いは、どこにもありません。泣沢女神を「夫神と一緒に泣いた女神」「悲しむ人に寄り添う女神」と紹介すると、原典にない話を足すことになります。
そのうえで、この一文には、直前の神々と違う点が二つあります。
一つは、誰の体から成ったかです。病の床の神々は、母神である伊邪那美命の体から出たものに成りました。泣沢女神は、父神である伊邪那岐命の涙に成っています。母神の側から成る神々の列が閉じ、母神が世を去った後に、今度は父神の涙から神が成る、という順序です。
もう一つは、居場所が書かれていることです。病の床の神々の文には、どこにいるかの記述がありません。泣沢女神には「香山の畝尾の木の本に坐して」と、場所が添えられています。この前後の神々のなかでは珍しい書き方で、これは注釈の説ではなく、原典の並びを見比べて分かることです。なぜ場所が書かれたのかは、6節で考えます。
4. 「沢」は水音の沢か、たくさん泣くことか――名を一つの意味に閉じない
名は「泣」「沢」「女」の3字です。読み方が分かれるのは、まん中の「沢(さは)」です。
一つ目の説は、沢を水の流れる沢と取ります。この神がいる土地の湧き水に基づいた名で、水音のする沢がもとの意味、つまり、もとは水の神だったと考えます。その「さは」が、後に「泣き多(さは)」、たくさん泣くという意味に解し直され、そこから涙に成ったという話が生まれた、という筋です。
二つ目の説は、順序が逆です。「泣き多」、たくさん泣くことがもとの意味で、声をあげて泣くことの神だったと考えます。その「さは」が後に「沢」と同じものと見られ、音を立てる沢と解されるようになった、とします。
二つの説は、水が先か、泣くことが先かで向きが反対です。ただ、どちらを取っても、この名には「水の音」と「泣くこと」の二つが重なっていることになります。片方に決めて、もう片方を捨てる必要はありません。
字の違いも手がかりにされています。『古事記』は「泣」と書き、『日本書紀』は「啼」と書きます。「泣」は涙に重点があり、涙に成った水の神であることを強調する字、「啼」は声をあげることに重点があり、泣き叫ぶことを強調する字とされています。『古事記』の一文が「御涙に成れる神」と、声ではなく涙を名指ししていることとも、この説明は合っています。
『日本書紀』でこの神が見えるのは、第五段の一書(あるふみ)第六です。一書とは本文に添えられた別の伝えのことで、そこでは「啼沢女命」と書かれます。『先代旧事本紀』の陰陽本紀には「啼沢女神」の名があります。
5. 声をあげて泣くことの力――泣き女の習俗と結び付ける説
泣くことの神という読み方と合わせて語られるのが、泣き女(哭女)の習俗です。葬儀のときに大声をあげて泣く役を受け持つ人のことで、中国や朝鮮にも見られ、日本でも昭和の初めまで各地に残っていました。『日本書紀』や、令のうち仮寧令・喪葬令にも見えます。
なぜ葬儀で声をあげて泣くのかについては、二つの説があります。死者の魂を鎮めるためとする説と、死者を呼び戻して生き返らせるためとする説です。『古事記』『日本書紀』では、天若日子の神話や、仁徳天皇即位前紀の菟道稚郎子の死の場面で、死者の蘇りが激しく泣くことと結び付けて語られています。
ここから、泣き叫ぶことには、この世とあの世の間の道を開く力があると見て、伊邪那岐命の号泣を泣き女の起源を語る神話とする説が出ています。この説に立てば、枕元と足元で泣く姿は、悲しみの表れであるだけでなく、葬りの場で泣くことの始まりを示す場面ということになります。
泣沢女神の働きについても、同じ方向の説があります。伊邪那美命の死に関わって成った神であること、8節で見る歌で死者のための祈りが捧げられていることから、死者の復活を願う祈りに応える神とする説です。
ただし、原典は伊邪那岐命が何のために泣いたのかを書いていません。泣沢女神を泣き女と呼んでもいません。魂を鎮める、呼び戻すという意味づけは、習俗とほかの場面から導かれた解釈です。
6. 香具山の麓という場所――妻は出雲との境へ、涙の神は大和に
「香山」は天の香具山のことで、大和三山の一つです。泣沢女神は、その畝尾の木の本にいると記されています。
この場所が目を引くのは、直後の文との隔たりです。伊邪那美命は、出雲国と伯伎国の境にある比婆の山に葬られます。妻の亡骸は出雲との境へ、涙に成った神は大和の香具山へ。続けて書かれた二つの文が、遠く離れた二つの土地を指しています。注釈には、香具山が、出雲や黄泉国(よみのくに)と対置される中央の場として設定されている、という見方があります。
香具山の名は、この前後の神々をめぐっても出てきます。火の神、鉱山の2柱、土の2柱には、香具山の祭祀とのつながりが指摘されています(金山毘古神・金山毘売神、波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神)。土の2柱の記事で名を挙げた畝尾坐健土安神社も香具山の麓の社で、社名の頭に、泣沢女神の居場所と同じ「畝尾」の2字を持っています。
なぜ香具山の麓なのかについては、湧き水に注目する説があります。泉が生命の復活の信仰と結び付く例は世界の各地にあり、香具山の麓の湧き水が黄泉国とつながると考えられていたのではないか、と想定する説です。また、もとは土地の湧き水の神だったものが、『古事記』の神々の系譜に組み入れられたとする説もあります。4節の一つ目の読み方と同じ向きの考え方で、この説に立てば、原典に居場所が書かれているのは、先に土地の神がいたからだということになります。いずれも説で、確かめられたことではありません。
7. 空井戸を神体とする社――畝尾都多本神社と「哭澤の神社」
泣沢女神のいる所は、『延喜式』神名帳の大和国十市郡に載る畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)に当てられています。原典の一文に見えた「畝尾」が、ここでも社の名に入っています。
橿原市の公式サイトによれば、社は奈良県橿原市木之本町、香具山の西の麓にあります。この社には本殿がありません。玉垣で囲んだ空井戸が神体です。通称は「哭澤の神社(なきさわのもり)」、祭神は哭澤女神で、境内には末社の八幡神社と万葉歌碑があります。
字に目を留めておきます。『古事記』は「泣」、『日本書紀』は「啼」、社は「哭」。同じ「なき」に、三通りの字が当てられています。また、町の名の「木之本」は、原典の「木の本」と字が重なります。
國學院大學の神名データベースによれば、この社の地は、古代の埴安池の一部、もしくは水源地だったと考えられています。名を水音の沢と読む説や、麓の湧き水に注目する説が思い描いていた水の場所と、社の立地とが、ここで結び付きます。
ここからは考察です。本殿がなく、囲いの中にあるのは井戸で、しかも空井戸です。拝む先にあるのは、建物でも像でもありません。涙もまた、誰かがいなくなったことを、残された者に知らせる小さなものです。いないということを小さなものを通して受け止める点で、原典の一文と社の姿は、どこか似通っているように思われます。もっとも、空井戸にそうした意味があると伝えられているわけではありません。
8. 「祈れども」――かなわなかった祈りが歌として残る
泣沢の神の社は、『万葉集』に名が出てきます。巻2・202番の歌です。
泣沢の神社に神酒据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ
「神社」は、この歌では「もり」と読みます。泣沢の神の社に神酒を供えて祈ったけれども、わが大君は天高く昇ってしまわれた、つまり亡くなってしまわれた、という歌です。
この歌は、高市皇子の死を悼む柿本人麻呂の長歌に添えられた反歌として、「或る書の反歌」という形で載っています。一方で、歌の左注には、『類聚歌林』の説として、檜隈女王(ひのくまのおおきみ)が泣沢の神社を怨んだ歌とする、とあります。橿原市の公式サイトは、境内の歌碑を檜隈女王の歌として紹介しています。人麻呂の長歌に添えられているという載り方と、檜隈女王の歌とする説の両方が伝わっているので、この記事では作者を一人に決めません。
歌から分かるのは、泣沢の神の社が、人の命のために祈る場所だったことです。注釈には、この歌から、皇子の蘇りを祈る意味があったとする見方があります。5節で見た、死者の復活を願う祈りに応える神とする説は、この歌をよりどころの一つにしています。確かめられるのは、こうした祈りが捧げられたという、歌の内容までです。
ここからは考察です。歌は「祈れども」のところで折れ曲がります。祈りはかなわず、左注の伝える説では、歌は神の社を怨むものでした。それでも、その歌は『万葉集』に収められ、社の名とともに今に伝わっています。願いがかなったという話ではなく、かなわなかった祈りのほうが残ったことになります。伊邪那岐命の涙も、妻を呼び戻すことはできませんでしたが、神の名として残りました。
9. 水と涙を重ねながら分ける――涙の神から次の物語へ
泣沢女神の少し前には、水の神がいました。病の床の伊邪那美命に成った弥都波能売神です(弥都波能売神)。どちらも、神の体から出た水に成った神です。泣沢女神の名にも、水音の沢と読む説がありました。二柱を一つにまとめたくなります。
けれども、原典の書き分けははっきりしています。
- 弥都波能売神は、母神の、病の床での水に成りました。名は水に関わると解され、居場所は書かれていません。
- 泣沢女神は、父神の、別れの後の涙に成りました。名には「泣」の字があり、居場所が書かれています。
水と涙は重なります。それでも『古事記』は、涙を水の神に任せず、涙のために別の名を立てました。重ねて読みつつ、同じ神にはしない。それが、書かれたとおりの読み方といえます。
最後に、この神が置かれた位置を見ておきます。ここからも考察です。原典は、涙に神の名を与えた後、涙の意味を説明しません。泣いて気が済んだとも、泣いても無駄だったとも書きません。慰めも教訓も添えずに、名と場所だけを記して次へ進みます。悲しみに結論を急いでいない、と受け止めることができます。
物語はこの後、大きく動きます。伊邪那美命は比婆の山に葬られ、伊邪那岐命は剣を抜いて火の神を斬ります(剣の八神)。それから妻を追って黄泉国へ向かい、戻って禊を行います。その歩みは 伊邪那岐命 の記事に、黄泉国での伊邪那美命のことは 伊邪那美命 の記事に、禊で成る神々は イザナギの禊で生まれた神々一覧 の一覧にあります。涙の一文は、二柱で生む物語が終わり、伊邪那岐命ひとりの物語が始まる、その境目に置かれています。国生みからここまでの神々の並びは、国生み・神生み(まとめ) の一覧で見渡せます。
まとめ
- 泣沢女神は、伊邪那美命を失った伊邪那岐命の涙に成った神です。『古事記』が記すのは、涙に成ったこと、香山の畝尾の木の本にいること、名前の三つです。
- 泣いているのは伊邪那岐命で、泣沢女神が泣いたとは書かれていません。病の床の神々が母神から成ったのに対し、この神は父神の涙から成り、前後の神々のなかでは珍しく居場所が記されています。
- 名には、水音のする沢がもとの意味とする説と、たくさん泣くことがもとの意味とする説があります。『古事記』の「泣」は涙に、『日本書紀』の「啼」は声に重点がある字とされます。
- 葬儀で泣く泣き女の習俗と結び付け、伊邪那岐命の号泣をその起源の神話とする説や、泣沢女神を死者の復活を願う祈りに応える神とする説があります。原典は泣く意味を説明していません。
- 橿原市の公式サイトによれば、畝尾都多本神社(奈良県橿原市木之本町)は本殿がなく、玉垣で囲んだ空井戸を神体とし、「哭澤の神社」と通称されます。
- 『万葉集』巻2・202番は、泣沢の神社に祈ったがかなわなかったことを歌います。柿本人麻呂の長歌に添えられた「或る書の反歌」として載り、左注に檜隈女王の歌とする説があります。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
