天児屋命(あめのこやねのみこと)は、『古事記』上巻の天石屋戸(あめのいわやと)の場面で、祝詞(のりと)を唱える役を受け持った神です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が石屋戸に籠ったとき、布刀玉命(ふとだまのみこと)と組んで鹿の肩骨による占いを行い、榊(さかき)の前で祝詞を奏し、戸が開くと鏡を差し出しました。天孫降臨では五伴緒(いつとものお)の先頭に名が挙がり、中臣(なかとみ)氏の祖とされます。その系譜は藤原氏へと続き、天児屋命は春日大社に祀られる神となりました。天照大御神が籠るまでのいきさつは 天石屋戸、岩戸開きの場面全体は 天宇受売命 の記事に譲り、ここでは祝詞の神としての働き、布刀玉命との役割分担、五伴緒の筆頭という位置、「児屋」の名、藤原氏とゆかりの神社に絞って見ていきます。
1. 天児屋命の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 天児屋命 |
| 神名(日本書紀) | 天児屋命(中臣連の遠祖と明記) |
| 読み | あめのこやねのみこと |
| 登場のしかた | 誕生の場面も親神の記述もなく、天の石屋戸の段で初めて名が現れる |
| 担った役 | 太占(ふとまに)、祝詞の奏上、鏡の奉呈。天孫降臨では五伴緒の筆頭 |
| 後の系譜 | 中臣連の祖。中臣氏から藤原氏へ続く祖神で、春日大社第三殿の神 |
| 別の表記 | 天児屋根命(あめのこやねのみこと) |
出自が語られない代わりに、この神が何をしたかは具体的に書かれています。占い、祝詞、鏡の奉呈という、いずれも祭りの中心にあたる所作です。天宇受売命(あめのうずめのみこと)の舞が場を動かし、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)の力が結末を確かなものにしたのに対し、天児屋命が受け持ったのは祭祀そのものでした。後に朝廷の祭祀を司った中臣氏がこの神を祖と仰いだのも、この役柄によるところが大きいと考えられます。
2. 占いから鏡の奉呈まで――石屋戸の前での三つの所作
思金神(おもいかねのかみ)の計画で、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)が鏡を、玉祖命(たまのおやのみこと)が珠飾りを作ったあと、天児屋命の名が初めて出てきます。思金神
第一の所作は占いです。 天児屋命と布刀玉命は、天の香山(あめのかぐやま)の牡鹿の肩骨を丸ごと抜き取り、同じ山の波波迦(ははか)という木で焼きました。骨に入るひびで神意を問う太占です。岩戸を開く手立てが神意にかなうかを、まず占いで確かめたと読めます。
第二の所作が祝詞です。 天の香山の榊を根ごと掘り、上の枝に珠、中の枝に鏡、下の枝に白と青の布を掛けます。その榊を布刀玉命が捧げ持ち、天児屋命が「布刀詔戸言(ふとのりとごと)」を唱えて祈りました。
第三の所作が鏡の奉呈です。 天宇受売命の舞と八百万(やおよろず)の神の笑いを不審に思った天照大御神が戸を細めに開けたとき、天児屋命は布刀玉命と共に鏡を差し出しました。天照大御神が鏡に引かれて身を乗り出したところを天手力男神が引き出し、光が戻ります。天照大御神 天手力男神
3. 「布刀詔戸言」と祝詞の神
「布刀」は立派な、という意味の美称で、天児屋命の唱えた祝詞が神聖で盛大なものであったことを表す言い方と解されています。
岩戸開きの中で、言葉の力が正面に置かれている点は見逃せません。舞と笑いが天照大御神の関心を引き、鏡が決め手になったとしても、その前に天児屋命の祝詞があります。神を称え、神に語りかける言葉が、闇を破る一連の行いの土台に据えられていると考えられます。
この神が祝詞の神とされる背景には、中臣氏の職掌があります。中臣氏は古くから朝廷の祭祀を担った氏族で、大祓(おおはらえ)の祝詞が「中臣祓(なかとみのはらえ)」とも呼ばれるのは、中臣氏がこれを奏上したことによるとされています。
4. 布刀玉命と二神でひと組――言葉の側と物の側
石屋戸の場面で、天児屋命と布刀玉命はつねに並んで動きます。占いは二神で行い、榊は布刀玉命が持ち、祝詞は天児屋命が唱え、鏡は二神で差し出し、最後の縄は布刀玉命が張ります。言葉を天児屋命が、榊・幣(ぬさ)・縄といった物を布刀玉命が受け持つ形です。
この分担は、後の時代に中臣氏が祝詞の奏上を、忌部(いんべ)氏が幣や神具の奉献を受け持ったことと重なって見えます。ただ、神話が氏族の職掌を映したのか、氏族が神話を拠りどころにしたのかは、判断のしようがありません。二神の組み合わせは、そのまま中臣・忌部という二つの祭祀氏族の組み合わせでもあります。布刀玉命の側から見た役割、とくに尻久米縄(しりくめなわ)については 布刀玉命 で詳しく扱っています。
『日本書紀』神代上 第七段も、天児屋命を中臣連の遠祖、太玉命(ふとだまのみこと)を忌部の遠祖と本文で明記し、二神が天香山の榊を掘り取って鏡や玉を飾り、祈祷したと語ります。骨格は『古事記』と同じですが、縄を張る役を中臣神(なかとみのかみ)と忌部神(いんべのかみ)とするなど、二氏の名がより表に出ています。
5. 五伴緒の先頭に置かれた神
天児屋命が再び登場するのは天孫降臨の段です。天照大御神と高木神(たかぎのかみ)が邇邇芸命(ににぎのみこと)を葦原中国(あしはらのなかつくに)へ降すとき、原典は次のように記します。
天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて、天降したまひき
五柱を伴の首(おびと)として加え、天降らせた、という意味です。この列の先頭が天児屋命です。原典は続く一節で、五柱それぞれを氏族の祖に位置づけます。天児屋命は中臣連、布刀玉命は忌部首(いんべのおびと)、天宇受売命は猿女君(さるめのきみ)、伊斯許理度売命は作鏡連(かがみつくりのむらじ)、玉祖命は玉祖連(たまのおやのむらじ)の祖です。祭りを執り行う神と、祭りの品を作る神がそろって天孫に従う構成で、作り手の二柱については 伊斯許理度売命 と 玉祖命 で扱っています。
『日本書紀』の一書にも、天児屋命・太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉屋命を「五部神(いつとものおのかみ)」として天孫に従わせる記述があり、『古事記』の五伴緒に対応します。別の一書では、天児屋命と太玉命に天孫のそばで神事を司るよう命じる場面があるとされ、中臣・忌部両氏の職掌の由来として語られています。
6. 語義未詳の「児屋」をどう読むか
『古事記』は天児屋命の名の由来を説明していません。以下は注釈書などに見える解釈です。
「天(あめ)」は高天原に属する神を示す接頭語、「命(みこと)」は尊称です。問題は 「児屋(こやね)」 で、意味がはっきりしません。「小屋(こや)」、すなわち神を祀るために設けた小さな建物と読んで、祭場を守る神とする説があります。祝詞を唱える神聖な屋、あるいは「言(こと)」に関わる語と結び付け、言葉の神と見る説もあります。「根(ね)」を親しみや尊敬を表す語尾と取る説もありますが、どれも推測の域を出ず、多くの注釈書は「語義未詳」としています。
後世には「根」を補った「天児屋根命」の表記も広まり、春日大社や枚岡神社はこの形を用いています。なお『古事記』には親神が見えませんが、『日本書紀』の一書には、天児屋命を興台産霊(こごとむすひ)の子とする系譜があります。名から意味を確かめられないぶん、この神の性格は、岩戸での行いと、中臣氏の祖という系譜から形づくられてきたといえます。
7. 中臣氏から藤原氏へ――春日の神としての信仰
中臣氏は、7世紀に中臣鎌足(なかとみのかまたり)が藤原の姓を賜って藤原氏となります。その氏神を祀る神社に、天児屋命は祖神として迎えられました。
春日大社(奈良県奈良市) は藤原氏の氏神を祀る神社で、第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神(ひめがみ)を祀ります。春日信仰の広がりと共に、各地の春日神社でも天児屋命が祀られています。
枚岡神社(大阪府東大阪市) は天児屋根命を主祭神とする河内国の一宮です。春日大社の神はここから勧請されたと伝えられ、「元春日(もとかすが)」とも呼ばれます。
吉田神社(京都府京都市左京区) は、平安時代に藤原氏が春日の神を勧請して創建したと伝えられ、天児屋根命を含む春日の四神を祀ります。
ご利益としては、祝詞を唱えた神であることから、祭祀の守護、言霊(ことだま)にまつわる願い、弁舌や学問の上達と結び付けられてきました。藤原氏の祖神であることから出世や開運、一族の繁栄を願う神ともされ、藤原氏が長く朝廷の中枢にあったことに重ねて、国家安泰や政治の守護神と見る向きもあります。太占を行ったことから占いの神とされることもありますが、これは岩戸の場面からの連想で、広く語られる信仰ではありません。
8. 行いの前に、まず言葉で場を整える
岩戸開きは、まず神意を占い、次に言葉で神を祀り、そのうえで舞と笑いと鏡を用いる、という順に進みます。鏡や珠を作る神、舞う神、力の神がそれぞれ持ち場を担う中で、天児屋命は神意を問い、祝詞を唱えるという、目に見えにくい役を引き受けました。行動に移る前に、言葉で場を整える。その順序が、この神の役割から読み取れるように思われます。
これは原典に書かれた読み方ではなく、『古事記』が伝えるのは、占い、祝詞、鏡の奉呈という行いだけです。それでも、中臣氏の名で呼ばれてきた大祓の祝詞が今も各地の神社で唱えられていることを思えば、天児屋命の言葉は、神話の外でも祭りの言葉として生き続けてきたといえるでしょう。
まとめ
- 誕生も親神も語られず、天の石屋戸の段で思金神の計画の一員として突然名が現れる神です。
- 石屋戸の前では、太占・祝詞「布刀詔戸言」・鏡の奉呈という三つの所作を受け持ちました。
- 言葉を担う天児屋命と、榊や縄を担う布刀玉命の組み合わせは、中臣氏と忌部氏の職掌の分担と重なります。
- 天孫降臨では五伴緒の列の先頭に置かれ、『古事記』に中臣連の祖と明記されています。
- 「児屋」の意味は未詳で、小屋説・祝詞の屋説・言葉に関わる語とする説などが並びます。
- 中臣鎌足以後の藤原氏の祖神として、春日大社第三殿、元春日と呼ばれる枚岡神社、吉田神社に祀られています。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
