八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治とは?須佐之男命の作戦と草薙剣の誕生【古事記】

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八岐大蛇(やまたのおろち)退治は、高天原(たかまがはら)を追放された建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が、出雲の地で8つの頭と8つの尾を持つ大蛇を倒す、『古事記』上巻の中でもよく知られた場面です。はじめに表記を整理しておくと、『古事記』はこの怪物を「八俣遠呂智」と書き、「八岐大蛇」は『日本書紀』の表記です。今日では後者が広く使われているため、この記事では場面の名前として「八岐大蛇」を用い、『古事記』の記述に触れるときは「八俣遠呂智」の表記も添えます。この記事では、出雲への降臨から老夫婦との出会い、娘を櫛に変えた理由、八塩折(やしおおり)の酒を使った作戦、尾から出た剣、須賀(すが)の宮と歌、大国主神へつながる系譜までを順に追い、洪水説や製鉄説といった後世の解釈、『日本書紀』との違いも扱います。

目次

1. この場面の位置(基本情報)

項目内容
場面名八岐大蛇退治(『古事記』の表記は八俣遠呂智、『日本書紀』の表記は八岐大蛇)
『古事記』での位置前の場面: 天石屋戸、須佐之男命の追放、大気都比売神の死 / 次の場面: 須佐之男命の系譜と大国主神の物語
登場する神建速須佐之男命、足名椎・手名椎、櫛名田比売、八俣遠呂智
舞台出雲国の肥(ひ)の河の上流、鳥髪(とりかみ)の地。退治のあとは須賀の地
生まれた神・生じた物草那芸(くさなぎ)の大刀(草薙剣)。須賀の宮と「八雲立つ」の歌。足名椎が稲田宮主須賀之八耳神となる。須佐之男命と櫛名田比売の系譜

この場面は、『古事記』上巻の物語が高天原から地上の出雲へと舞台を移す転換点にあたります。天石屋戸の一件で高天原を追われた須佐之男命は、途中で大気都比売神(おおげつひめのかみ)を殺す出来事を経て、出雲の肥の河のほとりに降り立ちます。ここから先、『古事記』の物語はしばらく出雲を舞台に進み、須佐之男命の子孫である大国主神(おおくにぬしのかみ)の国作りへつながっていきます。

高天原では乱暴を働いて姉を岩戸に隠れさせた須佐之男命が、地上では人々を苦しめる怪物を退治し、妻を得て宮を建てる。この対照の大きさが、八岐大蛇退治を印象深い場面にしています。尾から出た剣が天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上され、後に三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)とされる点でも、後の物語に長く影響を残す場面です。

2. 『古事記』にはどう書かれているか

出雲への降臨。 高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥の河の上流、鳥髪という地に降りました。そのとき、河の上流から箸が流れてくるのを見て、上流に人が住んでいると考え、河をさかのぼっていきます。追放に至る経緯は天石屋戸の記事で、途中の大気都比売神の出来事は大気都比売神の記事で扱っています。

泣く老夫婦との出会い。 上流には老いた男と老いた女が、若い娘を間に置いて泣いていました。須佐之男命が誰であるかを問うと、老人は、自分は国つ神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、名を足名椎(あしなづち)、妻の名を手名椎(てなづち)、娘の名を櫛名田比売(くしなだひめ)という、と名乗ります。なぜ泣くのかと問われて老人が語ったのは、次のような事情でした。自分たちにはもともと8人の娘がいたが、高志(こし)の八俣遠呂智が毎年やって来て1人ずつ食べてしまい、今年もまたその時期が来た、それで泣いているのだ、というのです。須佐之男命がその怪物の姿を尋ねると、老人はこう答えました。

「其の目は赤加賀智の如くして、身一つに八つの頭八つの尾有り。亦其の身に蘿と檜榲と生ひ、其の長は谿八谷峡八尾に度りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛れつ」

目はホオズキのように赤く、一つの胴体に8つの頭と8つの尾があり、体には苔や檜、杉が生え、その長さは8つの谷と8つの峰にわたり、腹はいつも血でただれている、という描写です。「赤加賀智(あかかがち)」はホオズキのことで、『古事記』はこの語に注を添えています。

櫛への変身。 須佐之男命は、娘を自分に差し出さないか、と申し出ます。足名椎は畏れ多いことだが、あなたの名を知らないと答え、須佐之男命は、自分は天照大御神の弟で、今、天から降りてきたところだと名乗りました。足名椎は畏まって娘を差し出します。須佐之男命は、すぐに櫛名田比売を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)という櫛に変え、自分の角髪(みずら)に挿しました。櫛名田比売については櫛名田比売、足名椎と手名椎については足名椎・手名椎の記事で詳しく扱っています。

八塩折の酒の作戦。 須佐之男命は足名椎と手名椎に、何度も繰り返し醸した濃い酒「八塩折の酒」を造らせ、垣を巡らせて8つの門を作り、門ごとに桟敷(さずき)を設け、その上に酒を入れる船(酒船)を置いて、酒を満たして待つように命じました。老夫婦が言われたとおりに支度をして待っていると、八俣遠呂智が現れ、8つの頭をそれぞれの酒船に入れて酒を飲み、酔ってその場に伏して眠ってしまいます。

退治。 須佐之男命は腰に帯びていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、眠る大蛇を切り刻みました。肥の河は血に変わって流れた、と『古事記』は語ります。

尾から出た剣。 大蛇の中ほどの尾を切ったとき、剣の刃が欠けました。不思議に思って剣の先で尾を割いてみると、中から一振りの太刀が現れます。

「中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃毀けき。怪しと思ほして、御刀の前以ちて刺し割きて見たまへば、都牟刈の大刀在り」

この「都牟刈(つむがり)の大刀」を、須佐之男命はただならぬ物と考え、天照大御神に事情を申し上げて献上しました。『古事記』は注として、これが草那芸の大刀であると記しています。この剣の後の歩みは草薙剣の記事で扱います。

須賀の宮と歌。 須佐之男命は、宮を建てる場所を出雲国に求め、須賀という地に至ります。この地に来て自分の心はすがすがしい、と述べて宮を建てたので、その地を今も須賀と呼ぶ、と『古事記』は地名の由来を語ります。宮を建てたとき、その地から雲が立ち上りました。そこで須佐之男命が詠んだのが、次の歌です。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

幾重にも雲が立ち上る出雲に、幾重もの垣を作る。妻を籠らせるために幾重もの垣を作る、その幾重もの垣よ、という意味の歌です。

足名椎の任命と系譜。 須佐之男命は足名椎を呼び、自分の宮の首(おびと)に任じ、稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という名を与えました。そして櫛名田比売との間に八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)をもうけます。『古事記』はここから須佐之男命の子孫の系譜を記し、その中で大国主神が登場します。大国主神は系譜の上で須佐之男命の六世の孫にあたりますが、系譜の数え方については諸説があります。

3. 名前と言葉の意味

八俣遠呂智/八岐大蛇 の「八俣」「八岐」は、8つに分かれていることを表します。「八」は日本神話では実数というより「数が多い」ことを表す数として使われることが多く、この怪物の8つの頭と8つの尾もそのように読む見方があります。「遠呂智(おろち)」については、「お」を峰、「ろ」を助詞、「ち」を霊威を表す語と見て、峰の霊、山の霊威と解する説があります。「ち」は迦具土神(かぐつちのかみ)や野椎神(のづちのかみ)の「ち」と同じ語とみる説です。いずれも後世の考察で、『古事記』は名の由来を説明していません。

高志(こし) は、越(北陸地方)を指すとみる説が一般的です。大蛇が「高志の」と呼ばれることから、出雲の外から来る脅威と読む見方があります。

八塩折の酒 の「塩折(しおおり)」は、酒を何度も繰り返し醸すことと解されています。一度できた酒に再び米を加えて醸すことを繰り返した、濃く強い酒と考えられています。

都牟刈の大刀 の「都牟刈(つむがり)」は語義が確定しておらず、鋭く切れる、よく研がれた、といった意味とみる説があります。草那芸(くさなぎ) の名について、『古事記』は倭建命(やまとたけるのみこと)の段で、東征の際にこの剣で草を薙ぎ払って火難を逃れた話を載せています。一方で、「くさ」を臭い、または奇(く)しの意、「なぎ」を蛇の古語と見て、大蛇の剣という意味に解する説もあります。

須賀 は、須佐之男命が「すがすがし」と述べたことに由来する地名だと『古事記』は語ります。八雲立つ は、出雲にかかる枕詞として後の和歌でも用いられました。この歌は、伝統的に最古の和歌とされ、五七五七七の形を持つことから、和歌の起源として語られてきました。

4. 物語の中での役割

八岐大蛇退治は、前の場面から一つの大きな流れを引き継いでいます。三貴子の分治で海原を任されながら泣きわめいて追放され(建速須佐之男命)、高天原では乱暴を働いて姉を岩戸に隠れさせ、八百万の神に祓われて追放された須佐之男命が、地上で初めて「守る」側に立つ場面です。破壊する神から救う神へ、と読むのは後世の解釈ですが、原典の流れそのものが、この対照をはっきりと描いています。

この場面は、次の物語へ三つのものを残します。第一は、草那芸の大刀です。須佐之男命が天照大御神に献上したこの剣は、後に天孫降臨の際に邇邇芸命(ににぎのみこと)へ授けられ、三種の神器の一つとされます。第二は、須佐之男命と櫛名田比売の系譜です。ここから始まる系譜は大国主神へつながり、出雲を舞台とする国作りの物語の前提になります。第三は、須賀の宮です。須佐之男命は出雲に根を下ろし、後に根之堅州国(ねのかたすくに)の主として、大国主神に試練を与える立場で再び登場します。

また、娘を櫛に変えて髪に挿すという振る舞いも、この場面の重要な要素です。原典はその理由を説明していませんが、守られる存在から妻へと立場が変わる節目と読む見方があります。詳しくは櫛名田比売の記事で扱います。

5. 『日本書紀』との違い

『日本書紀』神代上の第八段は、本文と複数の一書(あるふみ)でこの場面を語っています。確信のある範囲で、主な違いを挙げます。

第一に、表記が異なります。『日本書紀』では、須佐之男命は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、怪物は八岐大蛇、娘は奇稲田姫(くしいなだひめ)、両親は脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)と記されます。降りた場所は出雲国の簸(ひ)の川上とされ、『古事記』の肥の河にあたります。

第二に、剣の名が異なります。『日本書紀』では尾から出た剣を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼び、一書には、大蛇の上に常に雲があったことがこの名の由来であるという注記が見えます。草薙剣という名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の段で改められた名として語られます。

第三に、一書の中には、素戔嗚尊がいったん新羅に降りてから出雲へ渡ったとする伝えがあります。『古事記』にはこの要素はありません。細かな異同はほかにもありますが、ここでは立ち入りません。

6. 信仰と祭祀

須佐之男命は、この場面で怪物を退治したことから、災いを祓う神、厄除けの神として信仰されてきました。また、櫛名田比売を妻に迎えて宮を建てたことから、縁結びや夫婦円満の神ともされています。

尾から出た剣は、三種の神器の一つとして、熱田神宮の御神体と伝えられています。剣の伝承については草薙剣の記事で扱います。

八岐大蛇退治は、出雲地方や石見地方の神楽で「大蛇(おろち)」の演目として舞われ、今も広く親しまれています。

後世の解釈としては、大蛇を肥の河(斐伊川)の氾濫の象徴とみる洪水説・治水説、大蛇の腹が血でただれ、尾から剣が出ることを出雲の製鉄(たたら)と結び付ける製鉄説、高志(越)の勢力との争いを反映するとみる説などがあります。いずれも解釈であり、『古事記』はそのような説明をしていません。

7. ゆかりの神社

須我神社(島根県雲南市) は、須佐之男命と稲田比売命を祀り、須賀の宮の伝承地として「日本初之宮」と称しています。「八雲立つ」の歌が最古の和歌とされることから、和歌の発祥の地としても語られています。

八重垣神社(島根県松江市) は、素盞嗚尊と稲田姫命を祀る神社で、「八重垣」の名は須佐之男命の歌に由来します。縁結びの神社として知られています。

須佐神社(島根県出雲市) は、須佐之男命を主祭神とし、社名に「須佐」の名を持つ神社です。

熱田神宮(愛知県名古屋市) は、草薙剣を御神体とすると伝えられる神社です。

氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区) は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命(おおなむちのみこと。大国主神)を祀る神社で、この場面に登場する神とその子孫を合わせて祀っています。

8. 関連する神々・場面

建速須佐之男命 は、この場面の主人公です。誕生から追放までは建速須佐之男命の記事で扱っています。

天照大御神 は、須佐之男命の姉で、尾から出た剣を献上された神です。天照大御神

天石屋戸 は、この場面の前にあたる場面です。須佐之男命の乱行と追放を扱います。天石屋戸

大気都比売神 は、追放された須佐之男命が出雲へ向かう途中で殺した食物の神です。大気都比売神

櫛名田比売 は、櫛に変えられ、後に須佐之男命の妻となった神です。櫛名田比売

足名椎・手名椎 は、櫛名田比売の両親で、八塩折の酒を造りました。足名椎・手名椎

草薙剣 は、大蛇の尾から出た剣で、後に三種の神器の一つとされます。草薙剣

須佐之男命が生まれた禊の場面と、そこで生まれた神々の全体像は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧

9. 現代につながる読み方

八岐大蛇退治で目を引くのは、須佐之男命が力で正面からぶつからず、相手の性質を見きわめて策を立てたことです。8つの頭に合わせて8つの門と酒船を用意し、酔って眠ったところを討つ。荒々しい神として描かれてきた須佐之男命が、ここでは周到な準備によって勝利します。困難に向き合うとき、力だけでなく相手をよく見て備えることの大切さを、この場面から読み取ることができます。

もう一つは、居場所を失った神が新しい居場所を得る物語として読むことです。父に追放され、姉のもとでも追放された須佐之男命は、出雲で人々の困りごとに向き合い、妻と宮を得て、初めて「ここに来て心がすがすがしい」と言えました。与えられた場所に収まれなかった者が、自分の役割を見つけて落ち着く。その道筋を描いた物語と読むこともできます。

そして、人々を苦しめた大蛇の尾から、後に三種の神器となる剣が出てきたことも印象的です。大きな困難を乗り越えた先に、それまで見えなかった価値が現れる。原典はそう説明しているわけではありませんが、そのように読む余地のある場面です。

まとめ

  • 『古事記』の表記は「八俣遠呂智」、「八岐大蛇」は『日本書紀』の表記で、今日では後者が広く使われています。
  • 高天原を追放された須佐之男命は出雲の肥の河の上流に降り、毎年娘を大蛇に食われて泣く足名椎・手名椎と櫛名田比売に出会いました。
  • 須佐之男命は櫛名田比売を櫛に変えて髪に挿し、八塩折の酒で大蛇を酔わせて十拳剣で切り刻みました。
  • 尾から出た都牟刈の大刀(草那芸の大刀)は天照大御神に献上され、後に三種の神器の一つ、草薙剣とされます。
  • 須賀の地に宮を建てて「八雲立つ」の歌を詠み、足名椎を宮の首に任じ、櫛名田比売との系譜は大国主神へつながります。
  • 洪水説・製鉄説・高志の勢力説などは後世の解釈で、『日本書紀』では素戔嗚尊・奇稲田姫・天叢雲剣と表記されます。

ゆかりの社をたずねるなら:熱田神宮と近くの宿、八重垣神社と近くの宿、須我神社と近くの宿、氷川神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
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