玉祖命(タマノオヤ)とは?岩戸の勾玉を作った玉作りの祖神【古事記】

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玉祖命(たまのおやのみこと)は、天石屋戸(あめのいわやと)の場面で、勾玉を連ねた珠飾りを作った神です。この珠飾りは、鏡や布とともに榊(さかき)の枝に掛けられ、のちには天孫に授けられる品として再び物語に現れます。天孫降臨では五伴緒(いつとものお)の一柱として地上に降り、玉作りの氏族の祖となりました。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が籠るまでの経緯は 天石屋戸、岩戸開きの場面全体は 天宇受売命、鏡と珠の作り手に共通する話や五伴緒の構成は 伊斯許理度売命 の記事で扱っています。ここでは、長い名で呼ばれる珠飾りそのもの、それが榊の上の枝に置かれた意味、八尺瓊勾玉への伝承、「玉祖」と「玉屋」という二つの名、古代の玉作りとのつながり、周防と河内の玉祖神社を見ていきます。

目次

1. 玉祖命の基本情報

項目内容
神名(古事記)玉祖命
神名(日本書紀)玉屋命(一書に玉作部の遠祖として見える)
読みたまのおやのみこと
作った品八尺の勾璁の五百津の御須麻流の珠
神格玉を作る技術の神。玉作りの祖神
氏族玉祖連(たまのおやのむらじ)の祖、玉造部(たまつくりべ)の祖神
主な神社玉祖神社(山口県防府市)、玉祖神社(大阪府八尾市)

玉祖命には、親神や誕生の物語がありません。八百万(やおよろず)の神が天の安の河原に集まったとき、珠を作る神として名が現れます。『古事記』に登場するのは、石屋戸の段と、天孫降臨で五伴緒に数えられる場面の2か所です。

2. 「八尺の勾璁の五百津の御須麻流の珠」を作る

思金神(おもいかねのかみ)の計画では、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)が鏡を作ったすぐ後に、玉祖命に命じて「八尺の勾璁の五百津の御須麻流の珠(やさかのまがたまのいおつのみすまるのたま)」を作らせたと語られます。長い名ですが、大きな勾玉を数多く緒に通して連ねた珠飾り、というほどの意味です。

鏡の場合は、天の堅い石、天の金山(かなやま)の鉄、鍛冶の天津麻羅(あまつまら)と、材料も人手も書き込まれていました。ところが珠については、玉祖命に作らせたと簡潔に記されるだけで、材料は書かれていません。同じ作り手でも、原典の筆の運びははっきり違います。

3. 珠は榊の上の枝に――置かれた場所の読み方

天の香山(あめのかぐやま)から根ごと掘り取られた榊には、上の枝に珠、中の枝に鏡、下の枝に白と青の布が掛けられました。玉祖命の珠飾りは、いちばん上に置かれたことになります。榊は布刀玉命(ふとだまのみこと)が捧げ持ちました。布刀玉命

なぜ珠が上なのか、『古事記』は理由を書いていません。珠を最も尊い品として上に置いたとする読み方もあれば、祭りの飾りの決まった形を写しただけとする読み方もあり、確かなことは分かりません。

もう一つ目を引くのは、物語の中での扱いの差です。鏡は天照大御神の前に差し出されて結末を動かしますが、珠は榊に掛けられたまま、直接の働きを語られません。石屋戸の場面だけを見れば、珠は脇役にとどまっています。

4. 天孫に授けられた珠と八尺瓊勾玉

珠が再び姿を見せるのは、天孫降臨の場面です。天照大御神が邇邇芸命(ににぎのみこと)に珠と鏡と草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を授けたと『古事記』は語り、その珠は、石屋戸で玉祖命が作った珠飾りと同じ名で呼ばれています。岩戸では榊に掛けられていただけの品が、ここで天孫に託される品になるのです。

後世、この珠は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と呼ばれ、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣とともに三種の神器とされてきました。三種の神器という呼び方は原典にはなく、後に整えられた伝承です。それでも、玉祖命の作った珠が皇位のしるしにつながると語り継がれてきたことは、この神の位置づけをよく物語っています。

同じ場面で、玉祖命自身も五伴緒の一柱として天孫に従い、『古事記』は玉祖連らの祖と記します。道具を作っただけの神ではなく、天孫に付き従う神として重んじられたことがうかがえます。

5. 「玉祖」と「玉屋」――二つの名

『古事記』は名の由来を説明していません。以下は注釈書などに見える解釈です。

「玉(たま)」 は、勾玉や管玉など装身具に用いる玉を指します。石屋戸で作ったのが珠飾りであり、後に玉作りの氏族の祖とされることから、珠玉の意と取るのが一般的です。ただ、日本語の「たま」には魂や霊の意味もあり、玉を身に着けることが霊力を身に付けることと重ねられていたとする説もあります。

「祖(おや)」 は、親、祖先、あるいは物事の始まりをつかさどる者を表します。「玉祖」は、玉作りの祖、玉をつかさどる親、というほどの意味に解されています。職掌がそのまま名になっている点は、鏡作りの「石凝姥」と似ています。

『日本書紀』神代上 第七段では 「玉屋命(たまのやのみこと)」 と書かれ、玉を作る家、玉を扱う者の意と解されています。「祖」と「屋」で字は違っても、玉作りをつかさどる神という理解は変わりません。ただし氏族の呼び方には差があり、『古事記』が「玉祖連」とするところを、『日本書紀』の一書は玉作部(たまつくりべ)の遠い祖先としています。さらに『日本書紀』では、玉屋命のほか別の一書に別の神名が玉作りの祖として挙がっており、玉作りの神の伝承が一つにまとまっていなかったことがうかがえます。

6. 玉祖連・玉造部と古代の玉作り

玉祖命は玉祖連の祖、玉造部の祖神とされ、勾玉や管玉を作る工人の集団と結び付けられてきました。出雲をはじめ各地に玉作りの遺跡が知られており、こうした工人たちの信仰が、玉祖命という神の背景にあると考えられています。

ただし、特定の遺跡や集団を玉祖命と直接結び付ける記述は、原典にはありません。考古学の知見と神話を重ね合わせた解釈であることは、押さえておく必要があります。

7. 周防と河内の玉祖神社

玉祖神社(山口県防府市) は、玉祖命を主祭神とし、周防国の一宮として信仰されてきました。この神の名を社名にそのまま持つ神社で、玉祖命を祀る中心的な社として知られています。

玉祖神社(大阪府八尾市) は、河内国で玉祖命を祀る神社です。この地は古く玉作りの工人と関わりがあったとされ、防府の玉祖神社から神霊を迎えて祀ったと伝えられています。

ご利益としては、玉作り、宝石、装身具をはじめとする工芸の守護、物作りの技術の向上や仕事の成就が挙げられます。玉が魂や霊力と重ねられてきたことから、開運や厄除けとも結び付けられています。眼鏡やレンズ、時計など精密な細工に関わる産業と関係づけて語られることもありますが、これらは後世の信仰です。

8. 脇役の品が重みを増していくまで

玉祖命の珠飾りは、岩戸開きの中で戸を開ける働きをしたわけではなく、上の枝に掛けられて祭りの場を整える一部にすぎませんでした。それが天孫に授けられ、やがて皇位のしるしとして語られるようになります。物語の中で目立たなかった品が、長い時間を経て重い意味を帯びていく、という流れがここに見て取れます。

これは『古事記』の記述を越えた読み方で、原典が伝えるのは、珠飾りを作り、榊に掛けられ、のちに天孫に授けられた、という事実のつながりまでです。それでも、各地に残る玉作りの遺跡や、防府と八尾の玉祖神社を思い浮かべると、手仕事を続けてきた人々がこの神に自分たちの姿を重ねてきた歴史が感じられます。

まとめ

  • 玉祖命は、大きな勾玉を数多く連ねた「八尺の勾璁の五百津の御須麻流の珠」を作った神です。
  • 鏡と違い、珠の材料は原典に書かれず、榊の上の枝に掛けられたまま岩戸の場面では直接働きません。
  • その珠は天孫降臨で邇邇芸命に授けられ、後世に八尺瓊勾玉として三種の神器の一つとされました。
  • 『日本書紀』では玉屋命と書かれ、一書に玉作部の遠祖として見えますが、玉作りの祖の名は書によって揺れています。
  • 玉祖連・玉造部の祖神として工人の信仰と結び付き、防府と八尾の玉祖神社に祀られています。

ゆかりの社をたずねるなら:玉祖神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
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