道俣神(ちまたのかみ)は、禊を前にした伊邪那岐命が脱ぎ捨てた褌から成った神です。「ちまた」は道が二つに分かれる地点を指す言葉で、この名前から、分かれ道を守る岐神や道祖神と重ねて語られてきました。けれども『古事記』が記すのは、褌から成ったということだけです。この記事では、「道俣」という字と褌との結び付き、同じく「道」を名に持つ神々との違い、『日本書紀』との間に見える品物と神名のずれ、そして辻に神を置いてきた信仰とのつながりを、順に読み解いていきます。
1. 褌から成った 5 番目の神(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 道俣神 |
| 読み | ちまたのかみ |
| 成った物 | 伊邪那岐命が脱ぎ捨てた褌 |
| 順番 | 身に着けた物から成る 12 柱の 5 番目(衣の次、冠の前) |
| 『日本書紀』 | この名では見えない。一書第六で褌から成るのは開囓神 |
| 名前の意味(説) | 「岐(ちまた)」=道の分かれ目、辻 |
| 重ねられる神 | 岐神(くなどのかみ・ふなとのかみ)、道祖神(いずれも後世の同一視) |
杖に始まり腕輪に終わる、身に着けた物を手放していく場面の全体は、衝立船戸神 の記事で詳しく扱っています。道俣神は、衣から成った 和豆良比能宇斯能神の次に名が挙がり、この後には冠から成った 飽咋之宇斯能神が続きます。親神の 伊邪那岐命が禊で生んだ 26 柱の一覧は、イザナギの禊で生まれた神々一覧 にまとめています。
原典には神の働きが書かれていないため、道俣神の姿を考える手がかりは、名前と、褌という品物と、後世の信仰の 3 つに限られます。以下では、この 3 つを混同しないように分けながら見ていきます。
2. 原文と、肌にいちばん近い褌
この神が登場するのは、次の一文です。
次に投げ棄つる御褌に成れる神の名は、道俣神。
訳すと「続いて、投げ捨てた御褌から成った神の名は道俣神である」となります。
褌は、衣の下に着ける、肌に最も近い物です。持ち物である杖・帯・袋を下ろし、体を覆う衣を脱いだあと、褌を外す段階に至ると、体はほぼ露わになります。道俣神は、禊で水に入る直前、最も内側の物を手放す場面に生まれていることになります。
この位置は、穢れを落とす手順が外側から内側へ着実に進んでいることを示していると読めます。褌の次には冠、そして両腕の腕輪が続きますが、体を覆う物という意味では、褌がひとつの到達点と言えるでしょう。
3. 「道俣」「岐」「股」――一つの言葉に重なる形
「道俣(ちまた)」は「岐(ちまた)」と同じ言葉で、道の分かれ目や辻を意味すると解されています。「俣(また)」は「股」に通じ、一本の道が二つに分かれる形を表しています。
褌から生まれた神がこの名を持つことについては、褌が両脚の付け根、つまり股にまとう物であることと、道が分かれる「股」の形とを重ねた連想ではないか、という説があります。体の股と道の股を結び付けた命名、という理解です。
身に着けた物から成った 12 柱の中には、品物と名前の結び付きがよく分からない神も少なくありません。その中で道俣神は、「股」という一語を介して品物と神名がつながって見える、比較的分かりやすい例と言えます。ただし、これも神名の音と文字から導かれた解釈であり、『古事記』本文が語源を説明しているわけではありません。
4. 境界・道のり・分かれ目――「道」の名を持つ 3 柱の中で
12 柱のうち「道」に関わる名を持つのは、杖から成った衝立船戸神、帯から成った 道之長乳歯神、そして褌から成った道俣神の 3 柱です。衝立船戸神は「来るな」と悪しきものを制止する境界の神、道之長乳歯神は道のりの長さに関わる神と解されるのに対し、道俣神は道が分かれる地点そのものを名に持っています。
この「分かれ目」という名を、伊邪那岐命自身の状況に重ねて読む見方もあります。黄泉の国に属していた時間と、これから水に入って清められる時間との、ちょうど分岐点に立つ神という読み方です。杖から成った衝立船戸神が禊の場の外枠となる境界を定める神だとすれば、道俣神は、その内側で穢れを落とし切る手前の「分かれ目」に置かれた神と見ることができます。
3 柱が杖・帯・褌という、外側の道具から肌着までの離れた位置に散らばっていることも興味深い点です。ただし、これらはすべて神名と場面の構造から導いた考察であり、『古事記』が明記しているわけではありません。
5. 開囓神と岐神――『日本書紀』との食い違い
『日本書紀』神代上 第五段の一書第六で、褌から成る神の名は開囓神(あきくいのかみ)です。これは、『古事記』で冠から成った飽咋之宇斯能神によく似た名前です。つまり両書の間では、似た名の神が別々の品物に割り当てられており、道俣神と開囓神は「褌」という品物では対応するものの、神名は対応していないことになります。
もう一つ注意したいのが岐神(ふなとのかみ)です。一書第六では、岐神は杖から成るとされています。「岐(ちまた)」という言葉のつながりから道俣神を岐神と重ねる見方がありますが、『古事記』で杖から成るのは衝立船戸神ですから、両書の対応から言えば、岐神に当たるのは本来そちらです。道俣神と岐神の重なりは神名の意味からの類推であり、両書の照合から直接導かれるものではありません。品物ごとの対応の一覧は 衝立船戸神 の記事で紹介しています。
6. 辻に神を置く信仰とのつながり
分かれ道は古くから、悪いものが村や家に入り込む境目と考えられ、そこを守る神への信仰が各地にありました。道俣神がそうした道の神と重ねられるのは、この神名があるからです。その結果、旅や往来の無事、集落の境で疫病や災いを食い止めること、さらには人生の分かれ道で進む先を誤らないことといった願いと、道俣神の名が結び付けて語られてきました。
ただし、『古事記』に役割の記述はなく、道俣神という名前そのものへの信仰が古くから確認できるわけではありません。この名で主祭神として祀る神社もほとんど知られていません。道祖神や塞の神は、立派な社殿よりも道端の石神や小祠の形で各地に祀られてきたもので、その広がりについては衝立船戸神の記事で触れています。道俣神に心を寄せるなら、身近な辻や村境に立つ道祖神、あるいは岐神や塞の神を祭る近くの社や祠を訪ねるのがよいでしょう。
7. 決断の手前に立つ神――現代につながる読み方
分かれ道は、どちらへ進むかを決めなければならない場所です。古い時代の人々は、そこに神を置き、悪いものが入ってこないよう見張ってもらうと同時に、旅人が迷わず進めるよう見守ってもらいました。道俣神の名には、そうした「分かれ目に立つ存在」への素朴な願いが重ねられてきたと言えます。
伊邪那岐命の禊に戻ると、褌を脱ぐ場面は、水に入る直前の、後戻りしない一歩にあたります。黄泉との縁を断ち、新しい神々を生む方へ進む。その分かれ目に道俣神が生まれていると読めば、この神は「決断の手前」に立つ神として眺めることもできそうです。日々の暮らしの中で立ち止まり、どちらへ進むかを考えるとき、辻に立つ道祖神のことを思い浮かべてみるのもよいかもしれません。
とはいえ、道俣神と道祖神を結ぶ線は、名前の意味と後世の信仰によって引かれたものです。その線がどこまで古くさかのぼれるのかは分からない、という点も含めて味わうのが、この神との付き合い方と言えるでしょう。
まとめ
- 道俣神は、衣の次に脱ぎ捨てられた褌から成った神で、12 柱の 5 番目です。
- 褌は肌に最も近い物で、道俣神は水に入る直前、最も内側の物を手放す場面に生まれています。
- 「道俣(ちまた)」は「岐」「股」に通じ、褌の股と道の分かれ目を重ねた命名とする説があります。
- 『日本書紀』で褌から成るのは開囓神で、岐神は杖から成るため、道俣神と岐神の重なりは名前からの類推です。
- この名で祀る神社はほとんど知られていませんが、辻や村境の道祖神信仰と重ねて語られてきました。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
