久々能智神(くくのちのかみ)は、『古事記』の神生み(かみうみ)の段で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が風の神の次に生んだ木の神です。久久能智神とも書きます。『古事記』は「木の神」と役割を添えてこの名を挙げますが、それ以上のことは何も語りません。ところが、この神の名は『日本書紀』に「木の祖」として現れ、宮中の祝詞では家の柱の神として呼ばれ、北海道と伊勢の神社で今も祀られています。この記事では、原典の記述、一つに決まらない神名の読み解き、『日本書紀』との違い、森の木が家の柱になるまでを追う木の信仰の広がり、樽前山神社と志等美神社(しとみじんじゃ)、そして伊勢神宮の式年遷宮で木を迎える祭儀まで、順に確かめていきます。
1. 久々能智神とは(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 久々能智神(久久能智神とも) |
| 神名(日本書紀) | 句句廼馳(くくのち)。本文で「木の祖」、神代上 第五段 一書第六で「木神等を句句廼馳と号す」 |
| 読み | くくのちのかみ |
| 親神(生まれた由来) | 伊邪那岐命・伊邪那美命。二柱が直接生んだ神としては12番目 |
| 誕生の場面 | 『古事記』上巻「神生み」の第2群(志那都比古神から野椎神までの4柱)の2番目 |
| 前後の神 | 前: 風の神 志那都比古神/ 次: 山の神 大山津見神(おほやまつみのかみ) |
| 神格・性格 | 『古事記』が「木の神」と明記する。樹木そのもの、あるいは木に宿る霊力を掌る神と解される |
| 別名や同一視される神 | 『古事記』に別名はない。大殿祭(おおとのほがい)の祝詞に見える屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)を同じ神格と見る説がある |
久々能智神は、神生みの第2群の2番目に置かれた神です。伊邪那岐命と伊邪那美命は、大事忍男神(おほことおしをのかみ)に始まる10柱を生み、その最後の水戸(みなと)の神の夫婦が河と海を分担して8柱を生みます。『古事記』はその系譜を書き終えたところで二柱の神生みに戻り、風の神、木の神、山の神、野の神の4柱を続けて挙げます。久々能智神は、その2番目、風の神のすぐ後に生まれる神です。
『古事記』がこの神について語るのは、「木の神」であることと、その名だけです。行動も言葉も記されず、以後の物語に登場することもありません。それでも木の神は、『日本書紀』では木の「祖」と位置づけられ、宮中の祝詞では家の柱に宿る神として呼び出されるなど、原典の一行からは想像できないほど広い信仰の場を持っています。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
『古事記』は、水戸の神の子である8柱の系譜を「并せて八神」と締めくくった直後に、次のように記します。
次に風の神、名は志那都比古神を生みき。次に木の神、名は久々能智神を生みき。次に山の神、名は大山津見神を生みき。次に野の神、名は鹿屋野比売神を生みき
現代語に直すと、次のようになります。次に風の神を生みました。その名は志那都比古神(しなつひこのかみ)といいます。次に木の神を生みました。その名は久々能智神といいます。次に山の神を生みました。その名は大山津見神といいます。次に野の神を生みました。その名は鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)といいます。
このあと『古事記』は、鹿屋野比売神の別名が野椎神(のづちのかみ)であることを注記し、志那都比古神から野椎神までを合わせて4柱と数えます。そして大山津見神と野椎神が山と野を分担して8柱の神を生む系譜へ進みます。久々能智神についての記述はこれで全部です。木の神であること、名が久々能智神であること、この二つが原典に書かれた事実で、姿も働きも書かれていません。
見えない風の次に、目に見える木
第2群の4柱の並びには、一つの順序が読み取れます。最初の志那都比古神は風の神で、風は目に見えません。その次に生まれる久々能智神は木の神で、木は目に見え、手で触れることができます。そのあとに山、野と続きます。見えないものから見えるものへ、そして木が立つ山、木のない野へと、土地の姿が順に描かれていくようです。この読みは並びから導かれた解釈で、『古事記』がそう述べているわけではありませんが、4柱を一組として数える原典の書き方は、この4柱がまとまりとして意識されていたことを示しています。
3. 神名の意味
『古事記』は神名の由来を説明していません。以下は、神名の語構成と、注釈書や神名研究に見える解釈です。久々能智神の名は、読み解きが一つに決まらないことで知られています。
「久々」は借字、「智」は精霊の尊称
「久々能智」の「久」「能」「智」は、意味を表す漢字ではなく、音に漢字を当てた借字です。「能(の)」は「〜の」を表す助詞と見るのが通説です。「智(ち)」は、大蛇を表す「ヲロチ」、雷を表す「イカヅチ」の「チ」と同じで、精霊や霊力を持つものに付ける尊称と解されています。ここまでは諸説にあまり違いがありません。問題は「クク」です。
説1: クク=茎
一つは、「クク」を「茎(くき)」の古い形と見る説です。『万葉集』の東歌に「ククタチ」という語があり、これは「茎立」、つまり茎が伸びた菜を指すと解されています。同じく「ククミラ」は「茎韮」、茎の立った韮です。平安時代の辞書『和名類聚抄』にも「久々太知」の表記が見えます。これらの例から、「クク」が茎を意味する語だったと考え、久々能智神を「茎のある植物の霊」、すなわち木の神と読むのです。ただし、この説には批判もあります。木の幹を「茎」とは言わない、という指摘です。草の茎を表す語で、木の神の名を説明できるのかという疑問が残ります。
説2: クク=木木
もう一つは、「クク」を「木木(きき)」の古い形と見る説です。木を「ク」と呼んだ例として、「果物」の語源とされる「クダモノ」が挙げられます。「クダモノ」は「木の物」で、この「ク」が木を表すという理解です。木を重ねた「クク」に、助詞の「ノ」と尊称の「チ」が付いて、「木々の精霊」という名になります。木の神としては、最も分かりやすい読み方です。しかし、この説にも批判があります。『古事記』には久々年神(くくとしのかみ)や久々紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)のように、同じ「クク」を持つ別の神名があり、それらと整合させると「木木」とは解しがたい、という指摘です。
決められないということ
茎と読めば草の語で木を説明することになり、木木と読めば他の神名との整合が崩れる。どちらの説も根拠を持ち、どちらの説にも弱点があります。名義は一つに決まらない、というのが現在の正直な答えです。ただ、どちらの説を取っても、久々能智神が植物の生命力、とりわけ木に宿る霊力を「チ」という尊称で呼んだ名であることは変わりません。
4. 神話の中での役割
久々能智神には行動がありません。役割を考えるには、神生みの列のなかの位置を手がかりにすることになります。
水の世界を離れて、陸の自然へ
神生みの第1群は、大事忍男神のあと、住まいに関わると解される6柱、海の神、水戸の神と続き、さらに水戸の神の子として水の細部を掌る8柱が並びました。視線は住まいから海へ、河口へ、水の流れの奥へと進んでいきます。そのあとに生まれる第2群は、風、木、山、野です。水の世界を離れて、陸の自然へと領域が移ります。久々能智神は、その陸の自然のなかで、最初に形あるものとして名指しされた神です。
木の神は子を生まない
第2群のうち、大山津見神と野椎神は、山と野を分担して天之狭土神(あめのさづちのかみ)以下の8柱を生みます。これは第1群で水戸の神の夫婦が8柱を生んだ系譜と対をなしています。一方、風の神と木の神には、こうした子の系譜がありません。木は山にも野にも生えるものです。木の神が山と野のどちらにも属さず、独立した一柱として立てられていることは、木が人の暮らしにとって特別な位置を占めていたことの表れとも読めます。木は薪になり、道具になり、船になり、家の柱になります。自然でありながら人の手に渡って暮らしの素材になる木を、山や野とは別に一柱の神として数えた、という理解です。これも並びから導かれた解釈です。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』本文の神生みは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八洲(おおやしま)を生んだ後、海、川、山を生み、次に木の祖である句句廼馳、草の祖である草野姫(かやのひめ)を生む、という簡潔な構成です。『古事記』が「木の神」と呼ぶところを、『日本書紀』本文は「木の祖」と呼びます。「神」と「祖」の違いは小さいようで、意味合いが異なります。「祖」は、すべての木の親、木というものの源、という位置づけです。『日本書紀』本文は、久々能智神を、木という種類のものの始まりとして数えていることになります。
同じ『日本書紀』の神代上 第五段 一書第六には、別の書き方が見えます。伊弉諾尊が禊を行う話を載せることで知られるこの一書は、その前に、風の神、海の神、水門の神と並べて、木の神々をまとめて句句廼馳と呼ぶ、と記しています。ここでは久々能智神は一柱の神というより、木の神々の総称のように扱われています。『古事記』は一柱の「木の神」、『日本書紀』本文は「木の祖」、一書は「木神等」の名。三つの書き方は、木の神格を一つの名で代表させる点では同じですが、その名が指す範囲の捉え方に幅があります。
なお、『日本書紀』の本文には風の神が出てきません。『古事記』で風の神の次に置かれた木の神は、『日本書紀』本文では山の次に、草の祖と並んで置かれています。木と草を一組にする並びは、『古事記』が木と山・野を一組にする並びとは少し違う発想に見えます。
6. ご利益と信仰
久々能智神は木の神であることから、林業の安全、樹木の生育、そして木で造られる家屋や船の守護と結び付けて信仰されてきました。ただし、『古事記』がそうしたご利益を述べているわけではなく、木の神という神格から後世の信仰のなかで語られてきたものです。久々能智神の信仰で特に注目されるのは、森の木の神が、家の柱の神として祀られるようになる流れです。
大殿祭の祝詞と屋船久久遅命
平安時代の『延喜式』に収められた祝詞のなかに、大殿祭の祝詞があります。大殿祭は、宮殿の平安を祈る祭りです。その祝詞は、御殿に祀る神を呼び出すところで、次の一節を持っています。
屋船久久遅命〈是は木の霊なり〉(大殿祭の祝詞)
「屋船久久遅命」という神の名に、「これは木の霊である」という注が添えられています。ここに久々能智神と同じ「ククノチ」の名が現れるのです。「屋船(やふね)」は、家屋全体を船、つまり物を入れる大きな器に見立てた語と解する説があります。屋船久久遅命は、その家屋を支える木の霊ということになります。
この神をどう理解するかについては、二つの見方があります。一つは、御殿に使われた木材そのものを神格化した神と見る説です。もう一つは、山の神を祀って伐り出した材で作った神聖な柱、いわゆる忌柱(いみばしら)に宿る神と見る説です。後者の説では、森に立つ樹木の神であった久々能智神が、伐り出された木とともに家屋の柱に移り、家屋の神として祀られるようになった、と考えます。森の木から家の柱へ。木の神の信仰は、木が人の手に渡って暮らしの一部になる道筋をそのままなぞっているのです。『古事記』の久々能智神と祝詞の屋船久久遅命を同じ神格と見るのは解釈ですが、木の霊という注記が両者を結び付けていることは確かです。
伊勢神宮の式年遷宮と木を迎える祭儀
木の神への祈りが今も続く例として、伊勢神宮の式年遷宮を挙げることができます。20年に一度、社殿を建て替えるこの祭りでは、御用材となる木を迎えるために、いくつもの祭儀が行われます。まず山口祭で、御用材を伐り出す御杣山(みそまやま)の入口の神に、伐採と搬出の安全を祈ります。次に木本祭で、社殿の中心となる心御柱(しんのみはしら)の御用材を伐るにあたり、その木の根元の神を祀ります。そして御杣始祭で、御用材を正式に伐り始めます。御神体を納める御樋代(みひしろ)の木は、「三ツ緒伐り」の古式で伐られます。伐られた木は御樋代木奉曳式や御木曳行事を経て、伊勢へ運ばれます。御杣山は、現在は木曽(長野県・岐阜県)です。
ここで一つ、区別しておくべきことがあります。これらの祭儀に久々能智神の名が出るわけではありません。祈りの対象は、山の入口の神であり、その木の根元の神です。それでも、木を伐る前に山と木の神に祈り、木を迎えるまでに長い時間をかける作法は、木を単なる材料ではなく神の宿るものとして扱う考え方を、現代まで形として伝えています。
堤防を守る木の神
伊勢には、久久能智神の名で祀られる社がもう一つあります。外宮の摂社である志等美神社です。この社の久久能智神は、木の神であると同時に、宮川の堤防を守る神とされています。川の堤を守るのが木の神である、という結び付きは、堤に植えられた木が土を固め、岸を守っていた暮らしの知恵を思わせます。木の神が、森を離れて、水と人の暮らしの境目に祀られている例です。
7. 祀られている神社
久々能智神を祭神として祀る社として確かなものは、次の2社です。
| 神社 | 所在地 | 祭神と位置づけ |
|---|---|---|
| 樽前山神社 | 北海道苫小牧市 | 大山津見神(山霊)・久久能智神(木霊)・鹿屋野比売神(草霊)の三柱を祀る。伊邪那岐命・伊邪那美命が国土を生んだ後に生んだ神々を祀ると社伝は伝える。樽前山を神体山とし、山頂に奥宮がある。近代に創建された神社 |
| 志等美神社 | 三重県伊勢市 | 伊勢神宮 外宮の摂社。久久能智神を祀る。木の神で、宮川の堤防の守護神とされる。同じ御垣内に大河内神社がある |
樽前山神社は、『古事記』の第2群の4柱のうち風の神を除く3柱、木・山・野の神を、山霊・木霊・草霊としてそろって祀る社です。志等美神社は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)を祀る内宮ではなく、外宮の摂社です。伊勢神宮を参拝する折に、木の神の社として訪ねることができます。天照大御神
8. 関連する神々
志那都比古神 は、久々能智神の直前に生まれた風の神です。第2群の最初の神で、見えない風の神の次に、目に見える木の神が続きます。志那都比古神
水の八神 は、第2群の直前に系譜として記される8柱です。水戸の神の夫婦が河と海を分担して生んだ神々で、この系譜が終わったところから、風の神と木の神に始まる第2群が始まります。水の八神
大山津見神・鹿屋野比売神 は、久々能智神に続いて生まれる山の神と野の神です。二柱は山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生みます。樽前山神社では久々能智神とともに三柱で祀られています。
大屋毘古神 は、神生みの第1群にいる家屋の神です。後に「木国の大屋毘古神」として大国主神(おほくにぬしのかみ)の物語に登場し、木の国である紀伊国と結び付きます。森の木が家屋になる、という久々能智神の信仰の流れを考えるとき、木と家屋の両方に関わるこの神は見逃せません。大屋毘古神
石土毘古神・石巣比売神 は、住居の土台に関わると解される神です。土台の石と土、屋根、家屋、風よけと続く住居の神々の列は、木の柱が立つ家の姿を思わせます。石土毘古神・石巣比売神
大事忍男神 は、神生みの最初に生まれた神で、神生み全体の見取り図はこの記事にあります。大事忍男神
伊邪那岐命・伊邪那美命 は、久々能智神の親神です。二柱の生涯の全体像はそれぞれの記事で扱っています。伊邪那岐命 伊邪那美命
神生みが伊邪那美命の死で終わった後、伊邪那岐命が禊で生んだ26柱の神々は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
国生みと神生みで生まれた島と神々の全体は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。
9. 現代につながる読み方
久々能智神の神話から読み取れるのは、木を材料としてだけ見ない、という態度です。木は伐れば柱になり、板になり、薪になります。それは今も昔も変わりません。しかし古代の人々は、その木に「チ」という尊称を付けて神と呼び、伐り出した木を家の柱に立てるときには、そこに宿る木の霊を改めて祀りました。材料になる前の木にも、材料になった後の木にも、同じ神がいると考えたのです。森の木と家の柱が一つの名でつながっている、というのが、久々能智神の信仰の核にある見方だと言えます。
もう一つは、森と水と暮らしのつながりです。志等美神社の木の神が堤防を守る神とされているように、木は水と切り離せません。林野庁の資料によれば、森林には水源を養い、土砂の流出を防ぎ、木材を供給する働きがあるとされています。山に木があるから水が蓄えられ、川の岸に木があるから土が崩れず、その木が家になる。『古事記』の神生みが、水の神々の系譜のすぐ後に風・木・山・野の神を並べたことは、水と陸の自然が一続きであることを、名前の並びで示しているようにも読めます。これは現代の目から見た解釈です。
そして、一本の木を見る視点です。森を全体として見れば、それは資源であり、環境であり、数字で語られるものになります。しかし久々能智神は、一本一本の木に宿る力を「チ」と呼んだ神です。庭の木、神社の御神木、家の柱。目の前の一本の木を、どこかの山で育ち、誰かの手で伐られ、ここまで運ばれてきたものとして見る。式年遷宮で木を迎えるまでに祭儀を重ねる作法は、その視点を今に伝えています。木はただの材料なのか、という問いに、『古事記』の一行と、それを受け継いだ人々の営みは、静かに答えているように思われます。
まとめ
- 久々能智神は、『古事記』で伊邪那岐命・伊邪那美命が風の神 志那都比古神の次に生んだ木の神で、山の神 大山津見神、野の神 鹿屋野比売神と合わせて第2群の4柱と数えられます。久久能智神とも書きます。
- 『古事記』は「木の神」と役割を明記しますが、名を挙げるだけで行動はなく、以後登場しません。
- 神名の「クク」は、茎と読む説と木木と読む説があり、それぞれ根拠と批判があって一つに決まりません。「チ」はヲロチ・イカヅチのチと同じ精霊の尊称と解されます。
- 『日本書紀』本文は「木の祖 句句廼馳」、一書第六は「木神等を句句廼馳と号す」と記し、『古事記』の「木の神」とは位置づけが少し異なります。
- 大殿祭の祝詞に見える屋船久久遅命は「木の霊」と注記され、森の木の神が家の柱の神として祀られる流れを示すと解されています。忌柱に宿る神とする説があります。
- 樽前山神社(北海道苫小牧市)は木・山・野の三柱を、志等美神社(三重県伊勢市)は宮川の堤防を守る木の神を祀ります。伊勢の式年遷宮で木を迎える祭儀は、久々能智神の名こそ出ませんが、木を神の宿るものとして扱う考え方を今に伝えています。
ゆかりの社をたずねるなら:豊受大神宮と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
- 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
