大山津見神(オホヤマツミ)とは?古事記の山の神は神々の父。岩と花の願いと大山祇神社【古事記】

大山津見神(おほやまつみのかみ)のアイキャッチ画像

大山津見神(おほやまつみのかみ)は、『古事記』の神生み(かみうみ)の段で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が木の神の次に生んだ山の神です。神生みで生まれた神の多くは名前を挙げられるだけで二度と現れませんが、大山津見神は違います。八岐大蛇(やまたのをろち)の物語では老夫婦の父として名が呼ばれ、須佐之男命(すさのをのみこと)の系譜では妻の父となり、天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)の結婚の場面では、岩と花に願いを託して2人の娘を送り出します。この記事では、その登場場面をすべてたどり、神名の意味、系譜のうえでの重み、『日本書紀』の大山祇神、そして日本総鎮守と称される大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)を順に確かめます。

https://www.youtube.com/watch?v=d9iCkuXs1X0
目次

1. 大山津見神とは(基本情報)

項目内容
神名(古事記)大山津見神
神名(日本書紀)大山祇神(おほやまつみのかみ)。神代上 第五段 一書第七に山の神として、第九段に木花開耶姫(このはなさくやひめ)の父として見える
読みおほやまつみのかみ(現代仮名遣いでは おおやまつみのかみ)
親神(生まれた由来)伊邪那岐命・伊邪那美命。二柱が直接生んだ神としては13番目
誕生の場面『古事記』上巻「神生み」の第2群(志那都比古神から野椎神までの4柱)の3番目
前後の神前: 木の神 久々能智神/ 次: 野の神 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
神格・性格『古事記』が「山の神」と明記する。山を掌る神霊。足名椎・神大市比売・木花知流比売・石長比売・木花之佐久夜毘売の父
別名や同一視される神『古事記』に別名はない。『伊予国風土記』逸文は大山積の一名を和多志(わたし)の大神と伝える

大山津見神は、神生みの第2群に置かれた4柱のうちの3番目の神です。伊邪那岐命と伊邪那美命は、水の神々の系譜を書き終えたあとで、風の神、木の神、山の神、野の神を続けて生みます。大山津見神は野の神である鹿屋野比売神と組になって、さらに8柱の神を生む神でもあります。

この神を他の神生みの神と分けているのは、その後の登場回数です。神生みの神々のうち後の物語に姿を見せる神はごく少ないのですが、大山津見神は八岐大蛇退治、須佐之男命の系譜、邇邇芸命の結婚と、上巻の主要な場面に繰り返し名を出します。しかもそのすべてで「誰かの父」として現れます。山の神は、『古事記』のなかでは神々の父として働く神なのです。

2. 『古事記』にはどう書かれているか

大山津見神が『古事記』に現れる場面は4つあります。順にたどります。

神生みと山野の8神

最初の登場は神生みです。水戸(みなと)の神の子である8柱の系譜が終わったところで、『古事記』は次のように記します。

次に風の神、名は志那都比古神を生みき。次に木の神、名は久々能智神を生みき。次に山の神、名は大山津見神を生みき。次に野の神、名は鹿屋野比売神を生みき

現代語に直すと、次に風の神 志那都比古神(しなつひこのかみ)を生み、次に木の神 久々能智神(くくのちのかみ)を生み、次に山の神 大山津見神を生み、次に野の神 鹿屋野比売神を生みました、となります。

このあと『古事記』は、鹿屋野比売神の別名が野椎神(のづちのかみ)であることを注記し、4柱を一組として数えたうえで、山の神と野の神が子を生む系譜へ進みます。

此の大山津見神・野椎神の二柱の神、山野に因りて持ち別けて、生める神の名は、天之狭土神

この大山津見神と野椎神の二柱の神が、山と野をそれぞれ受け持って生んだ神の名は、天之狭土神(あめのさづちのかみ)である、という意味です。以下、国之狭土神、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神、天之闇戸神(あめのくらとのかみ)、国之闇戸神、大戸或子神(おほとまとひこのかみ)、大戸或女神(おほとまとひめのかみ)と続き、合わせて8柱です。土、霧、暗がり、迷う場所と、山と野に入った人が出会う土地の姿が順に神の名になっているように読めます。この8柱は「山野の8神」として別に扱う予定なので、ここでは名前にとどめます。 詳しくは 山野の八神 の記事をご覧ください。

八岐大蛇退治と足名椎の名乗り

2度目の登場は、高天原を追われた須佐之男命が出雲国の肥の河上に降りた場面です。泣いている老夫婦と娘に出会った須佐之男命が名を尋ねると、老翁はこう答えます。

僕は国つ神、大山津見神の子ぞ。僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、女が名は櫛名田比売と謂ふ

私は国つ神で、大山津見神の子です。私の名は足名椎(あしなづち)、妻の名は手名椎(てなづち)、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)といいます、という意味です。大山津見神自身はこの場面に姿を見せません。しかし、老翁が身元を示すために真っ先に挙げるのが「大山津見神の子」であることは、この神の名が身分の証しとして通用していたことを示しています。この名乗りを受けて須佐之男命は八岐大蛇を退治し、櫛名田比売を妻に迎えます。大山津見神は、出雲の物語の最初の結婚で、花嫁の祖父にあたる神です。この場面の詳しい流れは 八岐大蛇退治 の記事にあります。

須佐之男命の系譜と神大市比売・木花知流比売

3度目は、八岐大蛇退治のあとに記される須佐之男命の系譜です。ここで大山津見神の娘が2人、名を挙げられます。

1人目は神大市比売(かむおほいちひめ)です。須佐之男命が大山津見神の娘の神大市比売を娶って、大年神(おほとしのかみ)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を生んだと記されます。年穀の神と稲の霊とされる、農耕の信仰と深く結び付く二柱です。

2人目は木花知流比売(このはなちるひめ)です。須佐之男命と櫛名田比売の子である八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)が、大山津見神の娘の木花知流比売を娶ったと記され、この系譜は数代を経て大国主神(おほくにぬしのかみ)へつながります。「木の花の散る姫」というこの名は、後に出てくる「木の花の咲く姫」と対になる名です。

邇邇芸命の結婚と石長比売・木花之佐久夜毘売

4度目が、大山津見神が自ら言葉を発する唯一の場面です。天から降った邇邇芸命は、笠沙の御前(かささのみさき)で美しい乙女に出会います。乙女は大山津見神の娘の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と名乗り、姉に石長比売(いはながひめ)がいると答えます。邇邇芸命が結婚を申し込むと、乙女は父が答えるでしょうと言い、邇邇芸命は父のもとへ使いを送ります。

大山津見神はたいへん喜び、たくさんの贈り物を持たせて、姉の石長比売を添えた2人の娘を送り出しました。ところが邇邇芸命は、石長比売がひどく醜いのを見て恐れ、姉だけを父のもとへ送り返し、妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて一夜を共にします。それを知った大山津見神は深く恥じて、次のように言い送りました。

石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くに、常はに堅はに動かず坐さむ。亦木花之佐久夜毘売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄えまさむ

石長比売をお使いになれば、天つ神の御子の命は、雪が降っても風が吹いても、いつも岩のように、永遠に固く動かずにいらっしゃるでしょう。また木花之佐久夜毘売をお使いになれば、木の花が咲き栄えるように栄えなさるでしょう、という意味です。大山津見神は、そう誓いを立てて2人を送ったのに、石長比売を返して佐久夜毘売だけを留めたのだから、天つ神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう、と告げます。そして『古事記』は、こう締めくくります。

故、是を以ちて今に至るまで、天皇命等の御命長くまさざるなり

こういうわけで、今に至るまで、天皇たちの命は長くないのである、という意味です。天皇の寿命が永遠でない理由を、大山津見神の言葉で説明しているのです。このあと木花之佐久夜毘売は火を放った産屋で子を生みますが、それは別の場面の話になります。

3. 神名の意味

『古事記』は神名の由来を説明していません。以下は、神名の語構成と、注釈書や神名研究に見える解釈です。

「大」は美称、「山津見」は山の神霊

「大」は、大きい・立派だという意味を添える美称と解されています。神生みの大事忍男神や大屋毘古神の「大」と同じ用法です。

「山津見」の「津(つ)」は「〜の」を表す古い助詞、「見(み)」は霊格を表す語と解されています。合わせて「山の神霊」という意味になります。この「ミ」は「カミ」より古い呼び方で、神秘な力を持つ存在、あるいは見守る主宰者を指す語とする説があります。海の神である大綿津見神(おほわたつみのかみ)の名は「海(わた)」に同じ「津見」を付けたもので、大山津見神とまったく同じ構成です。山と海、二つの大きな自然の領域に、同じ形の名を持つ神が置かれているのです。大綿津見神

ここで注意したいのは、「山津見」が山に住む精霊ではなく、山を掌る支配者の性格を持つと考えられている点です。山に宿る無数の霊のひとつではなく、山という領域そのものを統べる神。「大」の美称と合わせて、大山津見神は山一般を代表する神格と捉えられています。

もう一組の「山津見」との区別

『古事記』には、「山津見」の名を持つ神がほかにもいます。伊邪那美命が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んで亡くなったあと、伊邪那岐命が迦具土神を斬ると、その死体から正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)をはじめとする8柱の山津見神が生まれます。これらは山の部位に関わる限定的な神と解され、「大」の付く大山津見神は山一般の代表格です。名前は似ていますが、生まれた経緯も位置づけも異なる神々です。

民俗の山の神との関係

日本各地には、農耕の神、出産の神、ときには海の神の側面も持つ「山の神」の信仰があります。この民俗的な山の神と大山津見神との関係については、両者を切り離して普遍的な山の神と見る見解と、共通する性格を見出す見解があり、どちらも解釈です。

4. 神話の中での役割

系譜のうえの重み

大山津見神は、目立った活躍をする神ではありません。唯一の言葉は娘を返された父の嘆きです。それでもこの神が大きな位置を占めるのは、系譜のうえで二つの大きな流れの源になっているからです。

一つは出雲の神々の系譜です。孫娘の櫛名田比売が須佐之男命と結ばれ、娘の神大市比売が須佐之男命の妻となり、木花知流比売が八島士奴美神の妻となります。出雲の神々の系譜は、大山津見神の娘や孫娘を妻に迎えることで続いていきます。

もう一つは天皇の系譜です。木花之佐久夜毘売が邇邇芸命と結ばれ、その子から天皇の家系が続きます。国つ神である大山津見神の血は、この結婚を通じて天つ神の子孫に入っていくことになります。

出雲の神々と天皇。『古事記』の上巻を貫く二つの大きな系譜の両方に、大山津見神は娘を送り込んでいるのです。

なぜ国つ神たちの祖神なのか

大山津見神が国つ神たちの祖神になっている理由については、いくつかの説があります。一つは、もともとつながりのなかった各地の国つ神を伊邪那岐命・伊邪那美命の子である大山津見神に結び付けることで、天皇による地上統治の正当性を系譜の面から示したとする説です。もう一つは、大山津見神が持つ国土の支配や農耕の権能が、娘との結婚を通じて天皇に受け継がれることを示すとする説です。いずれも『古事記』の構成から導かれた解釈です。

海の神との対応

大山津見神が邇邇芸命に2人の娘を差し出す話は、後の海幸山幸の物語で、綿津見大神が火遠理命(ほをりのみこと)に娘の豊玉毘売(とよたまびめ)を嫁がせる話と対応すると考えられています。山の神の娘が天孫と結ばれ、次の代で海の神の娘が天孫の子と結ばれる。山と海の権威が二代にわたって天孫の家に併せ持たれていく構想と解されています。

岩と花の願い

石長比売は岩のような永遠を、木花之佐久夜毘売は花のような繁栄を体現しています。大山津見神は2人を一緒に送ることで、天つ神の御子に永遠と繁栄の両方を与えようとしました。しかし邇邇芸命は花だけを選び、岩を返してしまいます。その結果、天皇の命は栄えはするものの永遠ではなくなった、と『古事記』は説明します。

石と植物のどちらを選ぶかで人の寿命が決まるという筋立ては、世界各地に類例があり、「バナナ型」と呼ばれる型の神話と比較されることがあります。『古事記』のこの話が独特なのは、その選択を天皇の家の由来として語り、しかも選択を迫る側に山の神を置いていることです。永遠と繁栄は、どちらも山の神の娘でした。山が岩も花も抱えているように、大山津見神は両方を差し出せる神だったのです。

5. 『日本書紀』との違い

『日本書紀』では、この神は大山祇神と表記されます。神代上 第五段の一書第七に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が生んだ山の神として名が見えます。第五段の本文では、伊弉諾尊・伊弉冉尊が海、川、山を生み、木の祖、草の祖を生むと記されるだけで、山の神を生む場面は簡潔です。

もう一つの登場は、第九段の天孫降臨の場面です。本文と一書に、木花開耶姫の父として大山祇神が現れます。『古事記』の木花之佐久夜毘売にあたる神です。『日本書紀』のこの段は本文と多くの一書で細部が異なりますが、山の神の娘が天孫の妻となる筋は共通しています。

『古事記』は「山の神、名は大山津見神」と役割と名を明記し、野の神と組になって8柱を生む系譜まで記すのに対し、『日本書紀』は本文で山を生むことに触れ、一書第七で山の神の名を挙げるという配分です。名の意味は同じですが、「津見」を「祇」の一字で書くところに表記の違いが表れています。

6. ご利益と信仰

大山津見神は山の神であることから、山林や鉱山、山仕事の安全と結び付けて信仰されてきました。さらに、『伊予国風土記』逸文が大山積の一名を和多志の大神と伝えるように、山の神でありながら海と渡航の神としても祀られ、航海の安全を祈る対象にもなっています。山と海の両方を守る神、という信仰です。

また、須佐之男命の妻となった神大市比売が大年神と宇迦之御魂神を生んだ系譜から、大山津見神は農耕や酒造と結び付けて語られることもあります。木花之佐久夜毘売の父であることから、縁結びや子授け、安産の願いと結び付けて語られることもあります。

ただし、これらのご利益はいずれも神格や系譜、後世の信仰から語られてきたもので、『古事記』がご利益を述べているわけではありません。

7. 祀られている神社

大山津見神を祀る神社として、確かなものを挙げます。

神社所在地祭神と位置づけ
大山祇神社愛媛県今治市大三島町宮浦(大三島)祭神は大山積大神一座。全国の大山積神を祀る神社の総本社。古来「日本総鎮守」と称される。本殿・拝殿は国指定重要文化財
樽前山神社北海道苫小牧市大山津見神(山霊)・久久能智神(木霊)・鹿屋野比売神(草霊)の三柱を祀る。詳しくは 久々能智神 の記事に記した

大山祇神社と和多志の大神

大山祇神社は、瀬戸内海の大三島に鎮座する社です。『延喜式』神名帳に伊予国越智郡の大山積神社として載り、全国の三嶋神社・山祇神社の総本社とされています。

この社の性格をよく示すのが、『伊予国風土記』逸文の記述です。そこには、御島に坐す神の名は大山積、一名を和多志の大神という、と記されています。「和多志」は「渡し」に通じる語で、山の神であると同時に海を渡る神、渡航の神でもあることを示しています。島に祀られた山の神が、海の神としての顔を持つのです。

社伝では、神武天皇の東征に先立って四国に渡った大山積大神の子孫、小千命(おちのみこと)が勧請したと伝えています。養老3年(719年)に現在地へ遷座したとされ、境内には小千命が植えたと伝わる「御手植の楠」があり、樹齢2600年余りと伝えています。本殿と拝殿は国指定の重要文化財です。

なお、この大山祇神社の祭神と『古事記』の大山津見神との関係については、研究のうえでははっきりしないとされています。もとは大三島に祀られていた別の神を、越智氏が中央の神話の大山津見神に結び付けたのではないか、という説もあります。社伝が伝える由緒と、研究上の見方とは区別して受け止める必要があります。

大山津見神を生んだ伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る神社は、伊邪那岐命の記事で紹介しています。伊邪那岐命

8. 関連する神々

久々能智神 は、大山津見神の直前に生まれた木の神です。第2群の4柱のうち、木の神は子を生まず、山の神と野の神が組になって子を生みます。樽前山神社では山霊・木霊・草霊として三柱で祀られています。久々能智神

志那都比古神 は、第2群の最初に生まれた風の神です。風、木、山、野という並びの先頭に立ちます。志那都比古神

鹿屋野比売神(野椎神) は、大山津見神の直後に生まれた野の神で、大山津見神と山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生みます。

大綿津見神 は、神生みの第1群で生まれた海の神で、「津見」を共有する名を持つ大山津見神の対にあたります。大綿津見神

足名椎・手名椎 は、八岐大蛇の物語で「大山津見神の子」と名乗る老夫婦です。足名椎・手名椎

櫛名田比売 は、足名椎・手名椎の娘で、大山津見神の孫娘にあたります。須佐之男命の妻となり、出雲の神々の系譜の始まりに立ちます。櫛名田比売

八岐大蛇退治 は、大山津見神の名が身元の証しとして呼ばれた場面です。八岐大蛇退治

須佐之男命 は、大山津見神の孫娘の櫛名田比売と、娘の神大市比売を妻とした神です。建速須佐之男命

石長比売・木花之佐久夜毘売 は、邇邇芸命に送られた2人の娘で、岩の永遠と花の繁栄を体現する姉妹です。神大市比売 と 木花知流比売 は須佐之男命の系譜に記される娘です。邇邇芸命 は木花之佐久夜毘売の夫となった天孫です。

大事忍男神 は、神生みの最初に生まれた神で、神生み全体の見取り図はこの記事にあります。大事忍男神

伊邪那岐命・伊邪那美命 は、大山津見神の親神です。二柱の生涯の全体像はそれぞれの記事で扱っています。伊邪那岐命 伊邪那美命

神生みが伊邪那美命の死で終わった後、伊邪那岐命が禊で生んだ26柱の神々は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧

国生みと神生みで生まれた島と神々の全体は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。

9. 現代につながる読み方

大山津見神の神話から読み取れるのは、「山は、山だけのものではない」という見方です。『古事記』の山の神は、山にこもって山を守っているのではありません。娘たちを出雲へ、天孫のもとへと送り出し、系譜を通じて物語のあちこちに関わっています。大三島の大山祇神社が山の神を海を渡る神としても祀っているように、山は海とつながり、川を通じて里とつながり、そこに暮らす人の家系にまでつながっていきます。山を閉じた場所ではなく、つながりの源として見る感覚が、この神話には流れているように思われます。

もう一つは、岩と花の願いです。大山津見神は、永遠と繁栄の両方を一度に贈ろうとしました。しかし受け取る側は、目に見えて美しい花だけを選び、地味で固い岩を返してしまいます。この話は、選ぶときに何を手放しているのかを考えさせます。華やかなものを選ぶこと自体は間違いではありません。ただ、山が岩も花も抱えているように、大切なものは、しばしば地味なものと華やかなものの一対で差し出されているのかもしれません。

そして、父としての神という姿です。大山津見神は戦いもせず、国も作らず、ただ子を送り出し、その先で起きたことに喜び、恥じ、言葉を残します。『古事記』の上巻を動かしているのは英雄たちですが、その妻や母の多くは、この山の神の娘や孫娘でした。目立たない場所から系譜を支えている存在に目を向けると、神話の見え方が少し変わります。山の神は、山だけの神ではなかったのです。

まとめ

  • 大山津見神は、『古事記』で伊邪那岐命・伊邪那美命が木の神 久々能智神の次に生んだ山の神で、野の神 鹿屋野比売神(野椎神)と山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生みます。
  • 八岐大蛇退治では足名椎の父、須佐之男命の系譜では神大市比売・木花知流比売の父、邇邇芸命の結婚では石長比売・木花之佐久夜毘売の父として、常に「誰かの父」として現れます。
  • 神名は「大(美称)」「山津見(山の神霊)」と読まれ、山を掌る支配者の性格を持つと解されます。火之迦具土神の死体から生まれた8柱の山津見神とは別の神です。
  • 系譜のうえで、出雲の神々と天皇の家系の両方につながる源にあたり、国つ神を天皇の統治に結び付ける構成の要と解する説があります。海の綿津見大神が娘を天孫の子に嫁がせる話とも対応します。
  • 石長比売の岩の永遠と木花之佐久夜毘売の花の繁栄のうち、邇邇芸命が花だけを選んだことが、天皇の命が長くない由来として語られます。
  • 『日本書紀』では大山祇神と表記されます。大山祇神社(愛媛県今治市大三島)は日本総鎮守と称され、『伊予国風土記』逸文は和多志の大神という一名を伝えますが、『古事記』の大山津見神との関係は研究上はっきりしないとされています。

ゆかりの社をたずねるなら:大山祇神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
  • 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
この記事が役に立ったらシェアしてもらえると嬉しいです
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次