大禍津日神(おおまがつひのかみ)は、黄泉の国から帰った伊邪那岐命が川の中で身を清めたとき、八十禍津日神に続いて穢れから生まれた神です。名前に「大」と「禍」の字を持ち、「大いなる災いの神」として八十禍津日神と対になる存在です。この記事では、神名に込められた「大きさ」の意味、八十禍津日神との対比、そして直後に直毘神が生まれることが何を意味するのかを、順を追って見ていきます。
1. 禍の神の2柱目という位置
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 大禍津日神 |
| 神名(日本書紀) | 見えない(一書第六には八十枉津日神のみ) |
| 読み | おおまがつひのかみ |
| 親神(生まれた由来) | 伊邪那岐命が禊で洗い流した穢れ(汚垢)から成った |
| 誕生の場面 | 筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原、川の中つ瀬で身を洗ったとき。八十禍津日神の次 |
| 神格・性格 | 大いなる災い・穢れの神。悪を懲らす正義の神とする解釈もある |
| 別名や同一視される神 | 禍津日神(八十禍津日神との総称) |
大禍津日神は、禊の神々の中で14番目に生まれました。直前は八十禍津日神、直後は禍を直すために生まれた神直毘神です。禍の神が2柱続き、その次から直しの神に切り替わるので、大禍津日神は「禍の側」の最後の1柱ということになります。
中つ瀬に潜った伊邪那岐命の体から黄泉の穢れが出てくる場面そのものは、八十禍津日神の記事で原文とともに詳しく扱っています。この記事では、2柱目であることが何を意味するのかに焦点を当てます。
2. 「此の二神」とひとまとめに語られる神
『古事記』が大禍津日神について書いているのは、次の部分です。
……成りませる神の名は、八十禍津日神。次に大禍津日神。此の二神は、其の穢繁き国に到りし時の汚垢に因りて成れる神なり。
大禍津日神だけについて語られていることは、「八十禍津日神の次に成った」という順番だけです。由来の説明は「此の二神は」と八十禍津日神とまとめて述べられ、単独の説明はありません。言い換えれば、大禍津日神は最初から八十禍津日神と組で理解されるべき神として書かれています。
この組み方は、『日本書紀』と比べるといっそう目立ちます。『日本書紀』神代上 第五段の一書第六にある禊の記事では、禍の神は八十枉津日神の1柱だけで、大禍津日神に相当する神は見えません。禍の神を2柱に分けて描くのは『古事記』だけであり、大禍津日神は『古事記』独自の神だと言えます。なぜ一方にだけ見えるのかは推測の域を出ませんが、『古事記』が「組」であることに意味を込めていた可能性は考えてよいでしょう。
3. 「大」は何の大きさか――「八十」との違い
神名は「大(おお)」「禍(まが)」「津(つ)」「日(ひ)」に分けて考えられています。「禍津日」の部分は八十禍津日神と共通で、曲がったもの、災いの霊威を表すと解釈されています(詳しくは八十禍津日神の記事を参照)。2柱を分けるのは、頭に付いた一語だけです。
「大」は「大きい」「偉大な」を意味し、神名の頭に付いてその神の力や規模が大きいことを表します。一方の「八十」は、文字通りの80ではなく「非常に多い」ことを表す言葉でした。
そうすると、2柱の違いは次のように整理できます。
- 八十禍津日神:禍の「数の多さ」を名に持つ
- 大禍津日神:禍の「一つひとつの大きさ・重さ」を名に持つ
細かな災いが無数に降りかかる状態と、一つの大きな災いが襲う状態。その両方を、同じ「禍津日」の名を共有する2柱で言い表しているという読み方です。全体としては「大いなる禍の霊威をもつ神」という意味に理解されるのが一般的です。ただし、これは神名の構成から導かれる解釈であり、『古事記』本文が2柱の役割の違いを説明しているわけではありません。
4. 禊の中の「対」の系譜
禊の段では、神々がしばしば対で語られます。たとえば、左の手纏から生まれた奥疎神と、右の手纏から生まれた辺疎神がそうです。左と右というように、一組の言葉で一つの世界を言い尽くそうとする書き方が、この段には繰り返し現れます。
八十禍津日神と大禍津日神もまた、そうした対の一つとして理解することができます。ただ、手纏の神々の対が左右の手の違いによるのに対し、禍津日神の対は「多さ」と「大きさ」という性質の違いによっています。同じ穢れから生まれ、同じ中つ瀬で、同じ「禍津日」の名を持ちながら、別の角度から禍を表す。この点が、大禍津日神を独立した1柱として立てる意味だと考えられます。
5. 大直毘神との呼応――禍の底からの折り返し
大禍津日神の直後、『古事記』は「其の禍を直さむとして」と書き、神直毘神・大直毘神・伊豆能売の3柱を生みます。
ここで注目したいのは、「大」を冠した大禍津日神に対応するように、同じく「大」を冠した大直毘神が生まれていることです。禍の神の名と直しの神の名が呼応していることから、大禍津日神の「大いなる禍」は、大直毘神の「大いなる直し」によって正されるという構図を読み取ることができます。
並べてみると、次のようになります。
| 禍の神 | 直しの神 |
|---|---|
| 八十禍津日神(多さ) | 神直毘神(霊妙さ) |
| 大禍津日神(大きさ) | 大直毘神(大きさ) |
「八十」と「神」は対応しませんが、「大」と「大」ははっきり揃っています。大禍津日神は、禍がもっとも大きくなった地点であると同時に、そこから回復へ向かう物語の折り返し点でもあると考えられます。
6. 信仰と祀られ方
大禍津日神を単独で祀るより、八十禍津日神や直毘神とあわせて「禍津日神」「祓いの神々」として信仰する形が一般的です。厄除けや災難除け、大きな不運や危機を遠ざけることと結び付けられてきたとされています。
大禍津日神を、この名前で祭神として祀る神社はほとんど知られていません。禍津日神を祀る神社として有名な福岡の警固神社でも、祭神は神直日神・大直日神・八十禍津日神の3柱で、大禍津日神は含まれていません。伊勢の荒祭宮の神を禍津日神と同一視する『倭姫命世記』の伝承でも、挙げられるのは八十枉津日神です。参拝するなら、八十禍津日神や直毘神を祀る神社で、禍津日神全体への祈りとして手を合わせるのがよいでしょう。
禍津日神を悪をなす神と見た本居宣長と、悪を懲らす神と見た平田篤胤の解釈の違いは、八十禍津日神の記事で紹介しています。
7. 災いの「種類」を分けて語る意味
大禍津日神の神話から読み取れるのは、「大きな災いも、直すことができる」という考え方です。『古事記』は、禍の神が大きく極まったところで筆を止めず、すぐに直しの神へと話を進めます。災いを描くことそのものより、災いから立ち直る過程を描くことに重きが置かれていると言えます。
日常の中でも、小さな不運が重なることと、一つの大きな出来事に見舞われることでは、受け止め方が違います。禍を2柱に分けて語る神話は、災いにも種類があり、それぞれに応じた向き合い方があることを示しているように思われます。大きな禍には大直毘神という「大きな直し」が対応するという構図は、困難の大きさに見合った立て直しの力が用意されている、という励ましとして読むこともできるでしょう。
禊を行った伊邪那岐命の物語の全体や、禊で生まれた26柱の一覧は、イザナギの禊で生まれた神々一覧 の記事からたどることができます。
まとめ
- 大禍津日神は禊の神々の14番目で、「禍の側」に立つ最後の1柱です。
- 『古事記』は八十禍津日神と「此の二神」としてまとめて語り、単独の説明はありません。
- 『日本書紀』一書第六には相当する神が見えず、『古事記』だけが禍の神を2柱に分けています。
- 「八十」が数の多さなら「大」は一つひとつの重さ、と読むことで2柱の違いが見えてきます。
- 同じ「大」を持つ大直毘神と呼応し、禍の底から直しへ折り返す位置にあると考えられます。
- この名で祀る神社はほとんど知られず、警固神社の祭神にも含まれていません。
ゆかりの社をたずねるなら:警固神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
- 本居宣長『古事記伝』(『直毘霊』を含む)
