草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、『古事記』上巻の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の場面で、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が切り裂いた大蛇の尾の中から見つけた剣です。神ではなく神器ですが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上され、天孫降臨のときに鏡と珠とともに地上へ下され、後に三種の神器の一つとして数えられるようになりました。『古事記』の中巻では倭建命(やまとたけるのみこと)の東征でも重要な役割を果たします。この記事では、『古事記』での呼び名と尾から出た経緯、『日本書紀』の天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)という名とその由来、倭建命が草を薙いだ物語、三種の神器としての位置づけ、熱田神宮や壇ノ浦の伝承、そしてゆかりの神社を見ていきます。
1. 草薙剣とは(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名(古事記) | 都牟刈の大刀(つむがりのたち)、草那芸の大刀(くさなぎのたち)、草那芸剣 |
| 名(日本書紀) | 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)。後に草薙剣 |
| 読み | くさなぎのつるぎ |
| 出所 | 須佐之男命が八岐大蛇の中の尾を切ったときに現れた |
| 登場の場面 | 八岐大蛇退治(上巻)、天孫降臨(上巻)、倭建命の東征(中巻) |
| 位置づけ | 天照大御神に献上され、天孫に授けられた剣。三種の神器の一つとされる |
| 別名や関連する物 | 八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と並ぶ神器。熱田神宮の神体と伝えられる |
草薙剣は、『古事記』の中で名前を変えながら何度も登場する、数少ない「物」です。上巻では須佐之男命が手に入れて天照大御神に献上し、天照大御神が天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に授け、中巻では伊勢から倭建命の手に渡って東国へ運ばれます。剣が神々と人の世をつなぐ糸のように、物語を貫いているのです。
鏡と珠が天の石屋戸(あめのいわやと)の場面で神々によって作られたのに対し、草薙剣は地上の大蛇の体の中から出てきました。天で作られた鏡と珠、地上で見つかった剣という対比は、この剣の性格を考えるうえで一つの手がかりになります。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
八岐大蛇退治の場面の全体は、別の記事で扱っています。八岐大蛇退治 ここでは剣に関わる部分に絞って流れを追います。
高天原(たかまのはら)を追われた須佐之男命は、出雲国の肥(ひ)の河の上流で、老夫婦の足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)と娘の櫛名田比売(くしなだひめ)に出会い、娘を妻にもらう約束をして八岐大蛇を退治します。足名椎・手名椎 濃い酒を飲んで眠った大蛇を、須佐之男命は腰の十拳剣(とつかのつるぎ)で切り刻みました。その最中に、思いがけないことが起こります。
中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃毀けき。怪しと思ほして、御刀の前以ちて刺し割きて見たまへば、都牟刈の大刀在り
真ん中の尾を切ったとき、須佐之男命の剣の刃が欠けました。不思議に思って剣の先で尾を刺し割いて見ると、中に都牟刈の大刀があった、という意味です。大蛇を切っていた剣が欠けるほどの硬いものが尾の中にあり、それが立派な大刀だったという語り方になっています。
須佐之男命はこれを不思議な物と思い、天照大御神に申し上げて献上しました。『古事記』はここに一言を添えています。
是は草那芸の大刀なり
これが草那芸の大刀である、という語り手の注記です。つまり『古事記』は、尾から出たときの名を都牟刈の大刀と呼び、それが後に草那芸の大刀と呼ばれる剣であることを、この場面で先回りして読者に知らせているのです。
剣が次に登場するのは天孫降臨の場面です。天照大御神と高木神(たかぎのかみ)が邇邇芸命を葦原中国(あしはらのなかつくに)に降すとき、石屋戸で作られた珠と鏡、そして草那芸剣を授けます。鏡については、これを自分の御魂として祀るようにという言葉が添えられていますが、剣についてはそうした言葉はなく、名前だけが記されています。
中巻の倭建命の段では、東国への遠征を命じられた倭建命が、伊勢の大御神の宮に立ち寄り、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から草那芸剣と一つの袋を授かります。相武国(さがむのくに)で国造にだまされて野原に入ったところ、火を放たれて追い詰められました。倭建命は袋を開けて火打石を見つけ、剣で周りの草を薙ぎ払い、火打石で向かい火をつけて火を退け、国造たちを討ちました。この地が焼遣(やきづ)と呼ばれるようになったと『古事記』は記しています。後に倭建命は尾張で美夜受比売(みやずひめ)のもとにこの剣を置いたまま伊服岐(いぶき)の山の神に立ち向かい、病を得て亡くなります。剣は尾張に残されたと語られています。
3. 名前の意味
『古事記』は都牟刈、草那芸という名の由来を直接には説明していません。ここからは注釈書などに見える解釈です。
都牟刈の大刀(つむがりのたち) の「つむがり」は、鋭く切れる、よく切れるという意味の古語と解されることが多く、切れ味のよい立派な大刀、という呼び名だと考えられています。ただし語義未詳とする注釈もあります。
草那芸の大刀・草薙剣 は、文字どおりには「草を薙ぐ剣」です。中巻の倭建命の物語で草を薙ぎ払って火難を逃れたことが名の由来とされ、『日本書紀』は日本武尊(やまとたけるのみこと)の段で、そのときに天叢雲剣を草薙剣と改めたと記しています。一方で『古事記』は、上巻の大蛇退治の場面ですでに草那芸の大刀と呼んでおり、名の由来を倭建命の話に求める形にはなっていません。このため、「くさなぎ」の本来の意味を「奇(く)し蛇(なぎ)」、つまり不思議な蛇の剣と読む説もあります。「なぎ」を蛇を表す古語とみる読み方で、大蛇の尾から出たという出自と結び付く解釈です。どちらが正しいかは決まっていません。
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ) は『日本書紀』の呼び名で、「叢雲」は群がり集まる雲を意味します。一書(あるふみ)には、大蛇の上に常に雲がかかっていたのでこの名がある、という注記があります。
4. 物語の中での役割
草薙剣は、『古事記』の中でいくつもの局面をつなぐ役割を担っています。
須佐之男命から天照大御神へ の献上は、高天原を追われた弟が姉に対して差し出した、和解のしるしとも読めます。高天原で乱暴を働いた須佐之男命が、地上で大蛇を退治して得た宝を天に献上する。この流れによって、須佐之男命は荒ぶる神から地上を治める神へと性格を変えていきます。建速須佐之男命 剣は、その転換を象徴する品として置かれていると考えられます。
天照大御神から天孫へ の授与では、剣は鏡・珠と一組になります。天の石屋戸の場面で伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)が鏡を作り、玉祖命(たまのおやのみこと)が珠を作った話と、地上の大蛇から剣が出た話が、天孫降臨の場面で一つに束ねられるのです。伊斯許理度売命 鏡には天照大御神の御魂として祀れという言葉が添えられ、剣にはその言葉がない、という違いも、鏡と剣の性格の差を示していると読まれることがあります。
倭建命の東征 では、剣は天皇の血筋を引く英雄を守る武器として働きます。草を薙いで火難を逃れる場面は、剣の名の由来を語ると同時に、剣が持ち主の身を守る力を持つことを示しています。そして剣を手放したまま山の神に向かった倭建命が命を落とすという結末は、剣の力を裏側から語るものと読むことができます。
出雲の製鉄との関連 も、しばしば論じられます。八岐大蛇が氾濫する肥の河(斐伊川)の象徴であり、その尾から剣が出るのは、出雲の砂鉄と製鉄の技術を表しているという説です。出雲がたたら製鉄の地として知られることから語られる解釈で、魅力的ではありますが、原典に製鉄への言及はなく、あくまで後世の読み方であることに注意が必要です。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』神代上 第八段でも、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が大蛇の尾から剣を得て天に献上する話は共通しています。ただし剣の名は天叢雲剣で、『古事記』の都牟刈の大刀・草那芸の大刀という名はここには見えません。一書には、大蛇の上に常に雲があったから天叢雲剣というと注記されています。
『日本書紀』では、日本武尊の段でこの剣が草薙剣と改名されたと記されます。つまり『日本書紀』は「大蛇から出たときは天叢雲剣、日本武尊の時代に草薙剣」という二段階の名を語るのに対し、『古事記』は最初から草那芸の大刀と呼ぶ、という違いがあります。
このほか、『日本書紀』の一書には素戔嗚尊の足取りや剣の献上の相手について異なる伝えがありますが、細部には踏み込まず、名前の違いと改名の記事の有無を押さえておけば十分でしょう。
6. 信仰と伝承
三種の神器 としての草薙剣は、八咫鏡、八尺瓊勾玉とともに皇位のしるしとされてきました。三種の神器という呼び方そのものは『古事記』にはなく、天孫降臨の場面で鏡・珠・剣が授けられたという記事をもとに、後に整えられた考え方です。鏡は伊勢神宮内宮に、剣は熱田神宮に祀られ、宮中には鏡と剣の形代(かたしろ)、つまり本体に代わる写しが置かれていると伝えられています。
熱田神宮の伝承 では、倭建命が尾張に残した草薙剣を、美夜受比売が祀ったのが熱田神宮の始まりとされています。『古事記』は剣が美夜受比売のもとに残されたところまでを語り、熱田の名は出てきませんが、『日本書紀』には剣が尾張の熱田にあるという記事が見えます。熱田神宮が草薙剣を神体としているという伝承は、こうした記事に支えられています。
壇ノ浦の伝承 は、平安時代の末、源平の合戦で平家が滅んだとき、幼い安徳天皇とともに剣が海に沈んだという話です。このとき失われたのは宮中に置かれていた形代であり、熱田神宮の本体は無事であった、と伝えられています。これは歴史書に記された出来事と、神器をめぐる伝承とが重なり合ったもので、ここでは伝承として紹介するにとどめます。
草薙剣そのものを人が目にすることはなく、その形や材質について確かなことは知られていません。剣は武の象徴として、また災いを払う力を持つものとして信仰され、熱田神宮は厄除けや開運、武運の神社として広く参拝されています。
7. ゆかりの神社
熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区) は、草薙剣を神体として祀ると伝えられる神社です。祭神の熱田大神は、草薙剣を御霊代(みたましろ)とする天照大御神とされ、相殿に素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命(みやずひめのみこと)らを祀ります。
八重垣神社(島根県松江市) は、素盞嗚尊と稲田姫命を祀る神社で、大蛇退治の後に須佐之男命が須賀の宮で詠んだ八雲立つの歌にちなむ社名を持ちます。剣が生まれた出雲の地の、大蛇退治ゆかりの神社です。
伊勢神宮内宮(三重県伊勢市) は、天照大御神を祀り、三種の神器のうち八咫鏡を神体とすると伝えられています。剣を祀る熱田神宮と、鏡を祀る内宮とは、三種の神器を通じて対になる関係にあります。
8. 関連する神々
建速須佐之男命 は、八岐大蛇を退治し、尾から剣を得て天照大御神に献上した神です。建速須佐之男命
天照大御神 は、剣を献上され、後に天孫に授けた神です。天照大御神
足名椎・手名椎 は、大蛇に娘を奪われて泣いていた老夫婦の神で、剣が生まれるきっかけとなった物語の当事者です。足名椎・手名椎
櫛名田比売 は、大蛇から救われて須佐之男命の妻となった稲田の女神です。櫛名田比売
伊斯許理度売命 は、三種の神器のうち八咫鏡を作った神で、剣と鏡の対比を考えるうえで欠かせません。伊斯許理度売命
八岐大蛇退治 の場面全体は、場面記事で扱っています。八岐大蛇退治
須佐之男命や天照大御神が伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)で生まれた経緯や、同じ禊で生まれた神々については、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
9. 現代につながる読み方
草薙剣の物語で目を引くのは、この剣が誰かに作られたものではなく、災いをもたらしていた大蛇の体の中から出てきた、という点です。恐れられていたものの中に、宝が隠れていた。須佐之男命は大蛇を退治しただけでなく、その中から価値あるものを取り出して、姉のもとへ届けました。災いを退けることと、そこから新しいものを得ることが、一続きの行いとして語られています。
また、この剣は持ち主を次々に変えていきます。須佐之男命から天照大御神へ、天照大御神から邇邇芸命へ、そして伊勢の倭比売命から倭建命へ。剣は誰か一人の持ち物ではなく、預かって次に渡すものとして描かれています。倭建命が剣を手放した途端に命を落とす結末は、預かったものを軽く扱ってはいけない、という戒めとして読むこともできるでしょう。
もちろん、これらは原典にない読み方です。『古事記』が語るのは、剣が大蛇の尾から出て、献上され、授けられ、東国へ運ばれた、という事実の連なりまでです。それでも、目にすることのできない剣が、千年を超えて熱田の社に祀られ続けていることを思うとき、物語の中の一振りの剣に人々が託してきた思いの重さを感じ取ることができるように思われます。
まとめ
- 草薙剣は、須佐之男命が八岐大蛇の中の尾を切ったとき、刃が欠けたのを不思議に思って尾を割いて見つけた剣です。
- 『古事記』では都牟刈の大刀、草那芸の大刀と呼ばれ、天照大御神に献上された後、天孫降臨で鏡・珠とともに邇邇芸命に授けられました。
- 『日本書紀』では天叢雲剣と呼ばれ、大蛇の上に常に雲があったことが名の由来とされ、日本武尊の段で草薙剣と改名されます。
- 中巻では倭建命が東征の途中、相武国で草を薙ぎ払って火難を逃れました。剣は尾張の美夜受比売のもとに残されます。
- 三種の神器の一つとされ、熱田神宮の神体と伝えられます。壇ノ浦で失われたのは形代とする伝承があります。
- 出雲の製鉄との関連は後世の解釈で、原典には見えません。
- ゆかりの神社は熱田神宮(愛知県名古屋市)、八重垣神社(島根県松江市)、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)です。
ゆかりの社をたずねるなら:皇大神宮と近くの宿、熱田神宮と近くの宿、八重垣神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
