伊邪那美命(いざなみのみこと)は、神世七代(かみよななよ)の最後に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と対で現れ、ともに日本の国土と神々を生んだ女神です。火の神を生んだことで亡くなり、黄泉の国の神となります。国土と神々を生んだ母神でありながら、死の世界を治める黄泉津大神(よもつおおかみ)でもある、二つの顔を持つ神です。この記事では、伊邪那美命が『古事記』でどのように語られているかを、とくに死と黄泉の国の側面を中心にたどり、神名の意味、『日本書紀』との違い、祀られている神社を解説します。国生みと禊を含めた物語の全体像は 伊邪那岐命 の記事で扱っています。
1. 伊邪那美命とは(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 伊邪那美神・伊邪那美命。黄泉の国では黄泉津大神・道敷大神とも呼ばれる |
| 神名(日本書紀) | 伊弉冉尊(伊弉冊尊とも表記) |
| 読み | いざなみのみこと |
| 親神(生まれた由来) | 神世七代の最後に、伊邪那岐神と対で成った神。特定の親神は記されない |
| 誕生の場面 | 天地の初めに現れた神々に続く、神世七代の第七代 |
| 神格・性格 | 国土と神々を生んだ母神。死後は黄泉の国を治める神 |
| 別名や同一視される神 | 黄泉津大神(よもつおおかみ)、道敷大神(ちしきのおおかみ)、伊弉冉尊 |
『古事記』の伊邪那美命は、前半と後半で立場が大きく変わります。前半では伊邪那岐命と並んで島々と神々を生み、後半では火の神を生んで亡くなり、黄泉の国で夫と別れて、死の世界を治める神となります。生む神であると同時に死の神でもあるという両面は、日本神話の中でも際立った性格です。
国生みと神生みの間、伊邪那美命は必ず伊邪那岐命と並んで挙げられますが、黄泉の国の場面以降は単独で語られ、名前も黄泉津大神へと変わります。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
国生み――最初に声をかけた女神
天つ神の命を受けた二柱は、天の沼矛で海をかき回して淤能碁呂島(おのごろじま)を得、その島に天の御柱(あめのみはしら)を立てます。伊邪那岐命は右から、伊邪那美命は左から柱を回り、出会ったところで伊邪那美命が先に声をかけました。 国生みの場面の詳細は 国生み の記事をご覧ください。
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「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」という意味の言葉です。伊邪那岐命も同じように答えますが、その後に「女が先に言ったのはよくなかった」と言います。生まれた水蛭子(ひるこ)は葦の船に乗せて流され、次の淡島(あわしま)とともに子の数には入れられませんでした。二柱は天つ神に伺いを立て、今度は伊邪那岐命から声をかけて、大八島国(おおやしまのくに)を生みます。
神生みと死
国土を生み終えた二柱は、続けて神々を生みます。大山津見神や大宜都比売神をはじめ多くの神が生まれましたが、最後に火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだとき、伊邪那美命は火に焼かれて病の床につきました。苦しむ中で吐いたものや排泄したものからも、金山毘古神・金山毘売神、波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神、弥都波能売神、和久産巣日神が生まれています。そして伊邪那美命は亡くなりました。『古事記』はこれを「神避り(かむさり)」と表現しています。
伊邪那岐命は嘆き、妻は出雲国と伯伎国(ほうきのくに)の境の比婆之山(ひばのやま)に葬られました。この山の場所については諸説あり、確定していません。
黄泉の国での姿と「見るな」の禁
伊邪那岐命は妻を追って黄泉の国へ下ります。伊邪那美命は御殿の戸口まで出て夫を迎え、帰ってきてほしいと願う夫に対して、自分はすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまった、と答えます。黄泉戸喫(よもつへぐい)と呼ばれるもので、その国の食べ物を食べると、その国の住人になってしまうという考え方です。それでも夫が来てくれたことを尊いと言い、黄泉の神と相談するので、その間は自分を見ないでほしい、と頼んで御殿の中へ戻ります。
しかし伊邪那岐命は待ちきれず、櫛の歯を折って火をともし、中をのぞきました。そこにあった伊邪那美命の姿は、すでに朽ちて、体のそれぞれの場所に八柱の雷神が生じているというものでした。伊邪那岐命は恐れて逃げ出します。伊邪那美命は、恥をかかせた、と言って黄泉醜女(よもつしこめ)を追わせました。
追ってくる場面と千引の石
伊邪那岐命は髪飾りを投げると山葡萄が、櫛を投げると筍が生え、黄泉醜女がそれを食べている間に逃げます。次に八柱の雷神と千五百の黄泉の軍勢が追ってきますが、黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓で桃の実を三つ投げると、追っ手は引き返しました。最後に伊邪那美命が自ら追ってきます。伊邪那岐命は千引の石(ちびきのいわ)を坂に据えて道をふさぎ、石を挟んで向かい合い、離縁の言葉を交わしました。このとき伊邪那美命は、次のように言います。
愛しき我が汝夫の命、如此為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ
いとしいあなた、あなたがこのようにするのなら、あなたの国の人々を一日に千人殺しましょう、という意味です。伊邪那岐命は、それならば自分は一日に千五百の産屋を建てよう、と答えます。『古事記』は、こうして一日に必ず千人が死に、千五百人が生まれるようになったと説明しています。この場面を最後に、伊邪那美命は黄泉津大神と呼ばれ、また追ってきたことから道敷大神とも呼ばれるようになりました。
3. 神名の意味
『古事記』は名の由来を説明していません。以下は後世の注釈に基づく解釈です。
広く知られているのは、「いざな」を「誘う(いざなう)」と結び付け、「み」を女性を表す語とみる説です。伊邪那岐命の「き」が男性を表すのと対になり、「誘う女」と読まれます。御柱を回って互いに声をかけ合う場面と結び付いた解釈です。
黄泉の国で得た「黄泉津大神」は「黄泉の大いなる神」、つまり黄泉の国を治める神という意味です。「道敷大神」は「道に追いついた」意と解されており、夫を追って黄泉比良坂まで来たことに由来するとされています。
4. 神話の中での役割
伊邪那美命は、『古事記』の中で生と死の両方を担う神です。国生みと神生みでは、伊邪那岐命とともに世界を作り出す側に立ち、死後は黄泉津大神として、人が死ぬ理由を語る側に立ちます。黄泉比良坂での「千頭」と「千五百」の言葉は、人の生死が神の言葉によって定められたことを示す場面として、しばしば日本神話の中でも重要な箇所に数えられています。
伊邪那美命の死は、『古事記』の神々の中で最初に語られる死でもあります。それまでの神々は現れては名前が記されるだけでしたが、伊邪那美命は火の神を生むという行為の結果として亡くなり、葬られました。この死をきっかけに黄泉の国が物語に登場し、伊邪那岐命の禊が行われ、禊から三貴子が生まれます。伊邪那美命の死は、天照大御神の誕生にまでつながる出来事の起点になっていると読むことができます。
なお、須佐之男命が「母の国」である根の堅州国へ行きたいと泣く場面がありますが、『古事記』では須佐之男命は伊邪那岐命の禊から生まれており、伊邪那美命が母であるとは明記されていません。この点は、『日本書紀』本文で三貴子が夫婦の子とされていることと関連づけて論じられることがあります。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』では伊弉冉尊(いざなみのみこと)と表記され、伊弉冊尊とも書かれます。『古事記』との大きな違いは、本文に伊弉冉尊の死と黄泉の国の物語がないことです。本文では伊弉諾尊と伊弉冉尊が国土を生み、続いて天照大神(大日孁貴)・月神・素戔嗚尊などを共に生んだとされ、伊弉冉尊が火の神を生んで亡くなる話は、第五段の一書(あるふみ)に見えます。
その一書のひとつには、伊弉冉尊が火の神を生んで亡くなり、紀伊国の熊野の有馬村に葬られ、土地の人々がこの神の魂を祭るのに花の季節には花をもって祭る、という記述があります。三重県熊野市の花窟神社は、この記述と結び付けて語られています。黄泉の国を訪ねる物語や、黄泉比良坂での言葉は、一書第六などに『古事記』とほぼ同じ形で伝えられています。
6. ご利益と信仰
伊邪那美命は伊邪那岐命とともに国土と神々を生んだ母神であることから、夫婦和合、子宝、安産、縁結びの神として信仰されてきました。また、黄泉の国を治める神であることから、死者の世界を守る神、あるいは生と死を司る神としても敬われています。こうした信仰は各神社で育まれてきたもので、『古事記』の記述そのものが直接語るものではありません。
7. 祀られている神社
多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町) は、伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祀ります。二柱をそろえて祀る神社の代表格で、延命長寿・縁結びの神として広く信仰されています。
花窟神社(三重県熊野市) は、伊弉冉尊を祀ります。『日本書紀』の一書にある「紀伊国の熊野の有馬村」に葬られたという記述に対応する地とされ、巨大な岩を神体としています。
揖夜神社(島根県松江市) は、伊弉冉命を祀ります。『古事記』が黄泉比良坂を出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)と記していることから、近くに黄泉比良坂の伝承地があります。
三峯神社(埼玉県秩父市) は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱を祀ります。秩父の山中にあり、夫婦の神として信仰されています。
8. 関連する神々
伊邪那岐命 は、国生みと神生みの相手であり、黄泉の国まで伊邪那美命を追ってきた夫神です。伊邪那岐命
大宜都比売神 は、神生みの段で二柱が生んだ食物の神です。大気都比売神
衝立船戸神 は、黄泉から戻った伊邪那岐命の禊で最初に生まれた神です。衝立船戸神
天照大御神 は、禊の最後に左の目から生まれた神です。『日本書紀』本文では伊弉冉尊の子とされています。天照大御神
月読命 と 建速須佐之男命 は、同じく禊の最後に生まれた神です。須佐之男命は「母の国」へ行きたいと泣き、追放されます。月読命 建速須佐之男命
伊邪那美命の死をきっかけに行われた禊と、そこで生まれた26柱については、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ島と神々は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。
9. 現代につながる読み方
伊邪那美命の物語は、生むことと死ぬことが切り離せないものとして語られています。国土と神々を生んだ神が、生むという行為の果てに亡くなり、そして死の国を治める神になる。生と死を別々の神に割り当てるのではなく、一柱の女神の中に両方を置いたところに、この神話の特徴があります。
黄泉比良坂の言葉も、そうした読み方の延長にあります。一日に千人が死に、千五百人が生まれるという釣り合いは、死を消し去るのではなく、死があるからこそ生が続くという考え方を示していると読めます。伊邪那美命が告げた「千頭」の言葉は、生のほうへわずかに傾いた釣り合いの一方の側として受けとめることができます。避けられない別れや喪失を、世界の仕組みの一部として静かに置き直す視点が、この神話には含まれていると考えられます。
まとめ
- 伊邪那美命は神世七代の最後に伊邪那岐命と対で成った女神で、国生みでは先に声をかけたために最初の子が数に入らず、やり直して大八島国を生みました。
- 神生みの最後に火之迦具土神を生んで亡くなり、比婆之山に葬られました。
- 黄泉の国では、姿を見ないでほしいという頼みを破られ、黄泉醜女や雷神を差し向け、最後には自ら追ってきました。
- 黄泉比良坂で千引の石を挟み、一日に千人を殺すと告げ、伊邪那岐命の千五百の産屋の言葉と対になって、生死の釣り合いが定められました。
- 以後は黄泉津大神・道敷大神と呼ばれ、生む神と死の神の両面を持つ女神とされています。
- 『日本書紀』本文には死と黄泉の話がなく、一書に熊野の有馬村への埋葬と花で祭る伝承があり、花窟神社と結び付けられています。
ゆかりの社をたずねるなら:多賀大社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
