鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)は、『古事記』の神生み(かみうみ)の段で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が山の神の次に生んだ野の女神です。別名を野椎神(のづちのかみ)といいます。『古事記』は「野の神」と役割を添えてこの名を挙げ、続けて山の神 大山津見神(おほやまつみのかみ)と対になって8柱の神を生んだと記します。野は、木の茂る山と比べると、何もない場所のように見えるかもしれません。しかし野に生える草は屋根を葺き、祭りの道具になり、古代の祭祀には野に入る前に野の神を祭る作法がありました。この記事では、原典の記述、「鹿」の字に惑わされない神名の読み解き、『日本書紀』の「草の祖 草野姫」との違い、大嘗祭や天石窟の一書に見える野の神の祭祀、茅葺きの屋根と茅場という今に続く草の文化、そして樽前山神社と萱津神社(かやづじんじゃ)まで、順に確かめていきます。
1. 鹿屋野比売神とは(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 鹿屋野比売神。亦の名は野椎神 |
| 神名(日本書紀) | 草野姫(かやのひめ)。本文で「草の祖」、亦の名を野槌(のづち)とする |
| 読み | かやのひめのかみ。別名は のづちのかみ |
| 親神(生まれた由来) | 伊邪那岐命・伊邪那美命。二柱が直接生んだ神としては14番目 |
| 誕生の場面 | 『古事記』上巻「神生み」の第2群(志那都比古神から野椎神までの4柱)の4番目、最後 |
| 前後の神 | 前: 山の神 大山津見神/ 次: 大山津見神と共に生む山野の8神(天之狭土神以下)。二柱の神生みとしては、次に鳥之石楠船神(とりのいはくすふねのかみ) |
| 神格・性格 | 『古事記』が「野の神」と明記する。野に生える草、とりわけ屋根を葺く茅(かや)の霊力を掌る女神と解される |
| 別名や同一視される神 | 野椎神(『古事記』が「亦の名」として記す)。『日本書紀』の草野姫・野槌は同じ神と見られる |
鹿屋野比売神は、神生みの第2群の最後に置かれた神です。伊邪那岐命と伊邪那美命は、大事忍男神(おほことおしをのかみ)に始まる10柱を生み、水戸(みなと)の神の夫婦が河と海を分担して8柱を生む系譜を挟んで、風の神、木の神、山の神、野の神の4柱を続けて生みます。鹿屋野比売神はその締めくくりで、4柱のなかで唯一の女神です。『古事記』はこの神に「亦の名は野椎神」という別名を添えます。神生みの神々のなかで別名が記される神は多くありません。
もう一つの特徴は、この神が生む側に回ることです。『古事記』は、大山津見神と野椎神の二柱が山と野を分担して8柱の神を生んだと記します。行動も言葉も記されない神ですが、系譜のうえでは山の神と並ぶ、野の側の親神という位置を与えられています。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
『古事記』は、水戸の神の子である8柱の系譜を書き終えた直後に、次のように記します。
次に風の神、名は志那都比古神を生みき。次に木の神、名は久々能智神を生みき。次に山の神、名は大山津見神を生みき。次に野の神、名は鹿屋野比売神を生みき。亦の名は野椎神と謂ふ
現代語に直すと、次のようになります。次に風の神を生みました。その名は志那都比古神(しなつひこのかみ)といいます。次に木の神を生みました。その名は久々能智神(くくのちのかみ)といいます。次に山の神を生みました。その名は大山津見神といいます。次に野の神を生みました。その名は鹿屋野比売神といい、またの名を野椎神といいます。
『古事記』はここで、志那都比古神から野椎神までを合わせて4柱と数えます。そして、続けてこう記します。
此の大山津見神・野椎神の二柱の神、山野に因りて持ち別けて、生める神の名は、天之狭土神
この大山津見神と野椎神の二柱の神が、山と野をそれぞれ受け持って生んだ神の名は、天之狭土神(あめのさづちのかみ)である、という意味です。「持ち別けて」は、山のことは山の神が、野のことは野の神が受け持つ、と分担したことを表すと解されています。以下、8柱の名が続き、『古事記』は「并せて八神」と締めくくります。
山野の8神
生まれた8柱は、天と国、あるいは男女の対になった4組です。それぞれの名の概略は、注釈書に見える解釈です。
| 組 | 神名 | 名の概略 |
|---|---|---|
| 土 | 天之狭土神・国之狭土神(くにのさづちのかみ) | 山野の狭い土地、あるいは土そのものの霊と解される |
| 霧 | 天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)・国之狭霧神 | 山野に立ちこめる霧の神と解される |
| 闇戸 | 天之闇戸神(あめのくらとのかみ)・国之闇戸神 | 暗い谷間や、山野の暗い場所の神と解される |
| 惑い | 大戸或子神(おほとまとひこのかみ)・大戸或女神(おほとまとひめのかみ) | 山野で道に迷う場所、あるいは迷いそのものを掌る神と解される |
8柱それぞれの名前の意味と、土から霧、闇、惑いへとつなげて読む説は 山野の八神 の記事で解説しています。
土、霧、暗がり、迷い。山や野に入った人が出会う土地の姿が、順に神の名になっているように読めます。この8柱は「山野の8神」として別に扱う予定なので、ここでは名前と概略にとどめます。8柱を生んだ主体をどう読むかは 大山津見神 の記事で触れました。鹿屋野比売神についての『古事記』の記述は、以上で全部です。野の神であること、別名が野椎神であること、山の神と共に8柱を生んだこと。この三つが原典の事実で、姿も行動も書かれていません。
3. 神名の意味
『古事記』は神名の由来を説明していません。以下は、神名の語構成と、注釈書や神名研究に見える解釈です。
「鹿」は借字。鹿の女神ではない
まず確かめておきたいのは「鹿」の字です。この字から鹿の女神を思い浮かべる方がいるかもしれません。しかし「鹿屋」は、「カヤ」という音に漢字を当てた借字と解されています。「鹿」は意味ではなく「カ」の音を表しているのです。「野」は「ノ」、「比売」は「ヒメ」で、女神を表す語です。つまり「鹿屋野比売」は「カヤノヒメ」、カヤの野の女神と読み解かれます。動物の鹿と結び付ける根拠は、原典にも神名の構成にもありません。
カヤ=屋根を葺く草の総称
「カヤ」は、特定の植物の名ではありません。ススキ、チガヤ、スゲなど、屋根を葺くのに使う草をまとめて呼ぶ語です。今も「茅葺き」という言葉に残っています。屋根を葺く草の総称が神名になっているのですから、鹿屋野比売神は、野に生える草のなかでも、人の暮らしに直接役立つ草の女神と読めます。『日本書紀』がこの神を「草野姫」と書き、「草の祖」と呼ぶことも、この読みを支えています。
ノ=山裾の広い傾斜地
「野」は、現代語では平らな土地を思わせますが、古い用法では、山の裾に広がるゆるやかな傾斜地を指す語だったと解されています。山と里の間にあって、木が茂るほどではなく、草が生い茂る場所です。この理解に立つと、「カヤノ」は茅の生える山裾の草地ということになり、山の神 大山津見神と対になって置かれていることとも、よく合います。
野椎=野の精霊
別名の「野椎」は、「野つ霊(ち)」と読み解かれています。「ツ」は「〜の」を表す古い助詞、「チ」は大蛇を表す「ヲロチ」、雷を表す「イカヅチ」の「チ」と同じで、精霊や霊力を持つものに付ける尊称です。木の神 久々能智神の「チ」も同じです。つまり野椎神は「野の精霊」を意味する名と解されます。鹿屋野比売神が「茅の野の女神」という草に寄った名であるのに対し、野椎神は「野の精霊」という土地に寄った名です。同じ神に、草の側から見た名と、野の側から見た名の二つが与えられていることになります。
野の神か、草の神か
二つの名の違いは、『古事記』が「野の神」、『日本書紀』が「草の祖」と呼ぶ違いにも重なります。野と草は切り離せず、この神は両方の性格を併せ持つと見られていますが、どちらに重心を置くかは書物によって少し違います。この点は第5節で改めて扱います。
4. 神話の中での役割
鹿屋野比売神には行動がありません。役割を考えるには、神生みの列のなかの位置を手がかりにすることになります。
陸の自然を描く4柱の締めくくり
神生みの第2群は、風、木、山、野の4柱です。目に見えない風から始まり、目に見える木、木が立つ山、そして木のない野へと、土地の姿が順に描かれていくように読めます。鹿屋野比売神は、その最後に置かれた神です。山と野が並んで、陸の自然の描写がひとまず閉じられます。この4柱を一組として数える『古事記』の書き方は、風・木・山・野が一つのまとまりとして意識されていたことを示しています。
山と野を分けて見る
『古事記』は、山の神と野の神を別々に立てています。山と野は地続きで、はっきりした境があるわけではありません。それでも二柱に分けたのは、古代の人々にとって山と野が違う場所だったからだと考えられます。山は木を伐り、獣を追う場所です。野は草を刈り、火を入れ、家畜を放つ場所です。同じ「持ち別けて」という語が第1群の水戸の神の夫婦にも使われていることを思い合わせると、河と海、山と野という対で土地を捉える見方が、神生みの系譜を貫いているようにも読めます。これは並びから導かれた解釈で、『古事記』がそう述べているわけではありません。
山の神と対で8柱を生む
第2群のうち、風の神と木の神には子の系譜がなく、山の神と野の神だけが8柱を生みます。8柱の名が土、霧、暗がり、迷いと、山野に入った人が出会うものを並べていることは、山と野が踏み込めば迷いもする場所として捉えられていたことを思わせます。その親として山の神と並んで野の神が立てられていることは、野が山と対等な一つの世界と見られていた証しと読めるかもしれません。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』本文の神生みは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八洲(おおやしま)を生んだ後、海、川、山を生み、次に木の祖である句句廼馳(くくのち)、草の祖である草野姫を生む、という簡潔な構成です。草野姫には「亦は野槌と名す」という注記があり、『古事記』の鹿屋野比売神・野椎神に対応することが分かります。
違いは三つあります。第一に、呼び方です。『古事記』が「野の神」と呼ぶところを、『日本書紀』本文は「草の祖」と呼びます。「祖」はすべての草の親、草というものの源という位置づけです。野という場所の神なのか、草というものの祖なのか。同じ神を指しながら、重心が異なります。第二に、並びです。『古事記』は木・山・野と並べますが、『日本書紀』本文は山の次に木の祖と草の祖を一組にして並べます。木と草を植物として一組にする発想は、『古事記』が山と野を土地として一組にする発想とは少し違います。第三に、『日本書紀』本文には、大山祇神(おほやまつみのかみ)と野槌が8柱を生んだという話がありません。山野の8神は『古事記』にだけ見える系譜です。
一方で、『日本書紀』にしか見えない野槌の姿もあります。天石窟の話を伝える一書と、神武天皇の即位前の記事に、野槌の名が出てくるのです。これらは祭祀と関わる記録なので、次の節で扱います。
6. ご利益と信仰
鹿屋野比売神は野の神、草の神であることから、後世の信仰では、農耕や牧畜、草木の生育、そして草で葺いた家屋の守護と結び付けて語られてきました。ただし、『古事記』がそうしたご利益を述べているわけではありません。この神の信仰で注目したいのは、野に入って草を刈る前に野の神を祭る、という古代の作法が記録に残っていることです。
大嘗祭で野の神を祭る
平安時代の『延喜式』に、天皇の即位後に行われる大嘗祭の次第を定めた践祚大嘗祭式があります。そこには、祭りの場や大嘗宮を造るために卜部(うらべ)が材木や萱を採るとき、山に入って材木を伐るときには山の神を、野に入って萱を刈るときには野の神を祭ることが見えます。大嘗宮は、木を柱にし、草で屋根を葺く建物でした。その材料を採るにあたって、山の神と野の神をそれぞれ祭るのです。ここでは野の神は、屋根を葺く萱を採る場を守る神として現れています。「カヤノヒメ」という名と、野に入って萱を刈る前に野の神を祭る作法とは、よく重なります。
天石窟の一書と薄の玉籤
『日本書紀』神代上 第七段の一書第二は、天照大神(あまてらすおおかみ)が天石窟(あまのいわや)に隠れた場面を伝える異伝です。そこでは、神々が祭りの用意をするなかで、野槌に五百箇野薦(いほつのすすき)の八十玉籤(やそたまくし)を採らせる、と記されています。野薦は薄(すすき)、玉籤は玉を付けた串と解され、野槌は野に生える薄で祭りの道具を作る役を担っているのです。同じ一書では、山の神が榊の玉籤を採る役を担っており、山と野が一対で祭りの材料を出す形になっています。『古事記』の天石屋戸の場面には野椎神は登場しませんが、『日本書紀』の一書では、野の神が祭りを支える側に立っています。
神武紀の厳野椎
『日本書紀』の神武天皇即位前紀には、東征の途中で天皇が丹生川上(にうのかわかみ)で神々を祭る場面があります。そこでは祭りの道具や役に「厳(いつ)」を冠した特別な名を与えており、草の名を厳野椎と名づける、と記されています。祭りの場で用いる草を、野椎の名で呼ぶのです。ここでも野椎は、祭りに欠かせない草と結び付いた名として現れています。
三つの記録に共通するのは、野の神が、萱や薄を採る場、祭りや建物の材料になる草と結び付いていることです。『古事記』が名しか記さない野の神は、祭祀の記録のなかでは草と暮らしをつなぐ神としてはっきりした姿を持っています。
茅葺きの屋根と茅場
野の神の信仰は、茅葺きの屋根という形で現代の暮らしにもつながっています。ここで一つ区別しておくべきことがあります。以下は現代の茅葺き文化の話であり、『古事記』に鹿屋野比売神が家を建てた話や屋根を葺いた話があるわけではありません。神名の「カヤ」が屋根を葺く草の総称であることから、草と暮らしの結び付きを現代の側から見ていく、という位置づけです。
日本茅葺き文化協会によれば、屋根を葺く草の総称が「茅」で、ススキが最も多く使われ、ヨシ、カリヤス、チガヤ、ササやワラも使われるとされています。茅は毎年刈り取ることで持続的に採れる材料です。茅を採る「茅場」は集落の入会地として共同で利用され、毎年の刈り取りと野焼きによって維持されてきました。放っておけば草原は木が生えて森になります。人が毎年草を刈り、火を入れることで、野は野のままに保たれてきたのです。古代には宮殿や神社も茅葺きで、後に檜皮葺きや瓦葺きに替わり、江戸時代以降は農家の屋根として発達したとされています。ススキやヨシの屋根は30年から50年もつといいます。
五箇山のコガヤと「結」
具体的な例として、世界遺産の合掌造り集落がある富山県南砺市の五箇山を挙げます。白川郷五箇山世界遺産センターの資料によれば、五箇山では湿気の多い気候に合わせて、コガヤと呼ばれるカリヤスを屋根に使ってきたとされています。コガヤは茎が空洞で水をはじき、乾きやすく、細いので束ねたときに隙間ができにくいのだそうです。各家が茅場を持ち、「結(ゆい)」と呼ばれる共同作業で屋根を葺き替えてきました。野の草が屋根になるまでには、茅場を守る一年の手入れと集落の人々の手が要ります。野の神の「カヤ」の名は、そうした暮らしの技と切り離せないものです。
7. 祀られている神社
鹿屋野比売神を祭神として祀る社として確かなものは、次の2社です。
| 神社 | 所在地 | 祭神と位置づけ |
|---|---|---|
| 樽前山神社 | 北海道苫小牧市 | 大山津見神(山霊)・久久能智神(木霊)・鹿屋野比売神(草霊)の三柱を祀る。詳しくは 久々能智神 の記事にある |
| 萱津神社 | 愛知県あま市 | 鹿屋野比売神を祀る。漬物の祖神を祀る社として知られ、毎年8月に「香の物祭」が行われる |
萱津神社は、社名に「萱」の字を持つ神社です。この社が漬物と結び付くのは、野の草や野菜を塩で漬けて保存する暮らしの知恵を、草の女神に重ねた後世の信仰と見られます。『古事記』の鹿屋野比売神と漬物の間に直接の物語があるわけではありません。それでも、野の恵みを保存して食べる技を草の女神に結び付けた信仰は、草と暮らしを結ぶこの神の性格をよく表しています。
8. 関連する神々
大山津見神 は、鹿屋野比売神の直前に生まれた山の神で、鹿屋野比売神と山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生みます。山の神と野の神は、『古事記』の神生みでも祭祀の記録でも、一対で現れます。大山津見神
久々能智神 は、第2群の2番目に生まれた木の神です。「クク」の読みが定まらない神名の謎と、森の木が家の柱の神になる信仰の流れは、野の草が屋根になる鹿屋野比売神の信仰と対をなします。樽前山神社では鹿屋野比売神とともに祀られています。久々能智神
志那都比古神 は、第2群の最初に生まれた風の神です。見えない風から始まって、木、山、野と、陸の自然が順に描かれていきます。志那都比古神
水の八神 は、第2群の直前に系譜として記される8柱です。水戸の神の夫婦が河と海を分担して生んだ神々で、山の神と野の神が山野を分担して8柱を生む系譜と、同じ形をしています。水の八神
山野の8神 は、大山津見神と野椎神が生んだ天之狭土神・国之狭土神・天之狭霧神・国之狭霧神・天之闇戸神・国之闇戸神・大戸或子神・大戸或女神の8柱です。別の記事で扱う予定です。
大事忍男神 は、神生みの最初に生まれた神で、神生み全体の見取り図はこの記事にあります。大事忍男神
伊邪那岐命・伊邪那美命 は、鹿屋野比売神の親神です。二柱の生涯の全体像はそれぞれの記事で扱っています。伊邪那岐命 伊邪那美命
天照大御神 は、『日本書紀』の一書で野槌が薄の玉籤を採る場面の主役です。石屋戸に隠れた天照大御神を迎え出すために神々が祭りの用意をしました。『古事記』の天石屋戸の場面は場面記事で扱っています。天照大御神 天石屋戸
神生みが伊邪那美命の死で終わった後、伊邪那岐命が禊で生んだ26柱の神々は、一覧記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
国生みと神生みで生まれた島と神々の全体は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。
9. 現代につながる読み方
鹿屋野比売神の神話から読み取れるのは、野は何もない場所ではない、という見方です。木の茂る山や実りをもたらす田畑と比べると、野は空き地のように見えます。しかし『古事記』はその野に女神の名を与え、山の神と対等に並べ、8柱の親としました。大嘗祭では、野に入って萱を刈る前に野の神を祭りました。野には草があり、その草が屋根になり、祭りの道具になる。野は人の暮らしを支える恵みの場所として見られていたのです。茅場が毎年の刈り取りと野焼きで保たれてきたことを思えば、野は放っておいてできたものではなく、人が手をかけて守ってきた場所でもあります。何もないように見える場所に名前を付け、神を見る。その見方は、今の暮らしのなかの見過ごしがちな場所や仕事にも向けられるかもしれません。
もう一つは、野の主役を決めすぎない、ということです。『古事記』は「野の神」と言うだけで、何の草の神かを決めていません。「鹿」の字に引かれて鹿の女神と決めるのも、茅葺きの話に引かれて屋根の女神と決めるのも、原典から少し離れます。カヤは屋根を葺く草の総称であって、ススキかチガヤかスゲかを決めない語です。土地によって使う草が違い、五箇山ではコガヤが選ばれたように、野の恵みは一様ではありません。決めすぎないことで、それぞれの土地の野が、それぞれの草を持てるのです。野の神の名の広さは、そのまま野の多様さでもあります。
そして、一本の草と束ねた屋根の関係です。一本のススキは細く、簡単に折れます。しかし刈り取って束ね、重ね、集落の人々が「結」で葺けば、何十年も雨と雪を防ぐ屋根になります。野の神の力は一本の草の中にあるのか、束ねる人の手の中にあるのか。『古事記』の一行はどちらとも言いません。ただ、野に入る前に野の神を祭った人々は、草を採る場そのものに感謝を向けていました。草と暮らしを結ぶこの女神は、野が何もない場所ではないことを、静かに思い出させてくれます。これは現代の目から見た読み方です。
まとめ
- 鹿屋野比売神は、『古事記』で伊邪那岐命・伊邪那美命が山の神 大山津見神の次に生んだ野の女神で、別名を野椎神といいます。風・木・山・野の第2群の最後の神で、4柱のなかで唯一の女神です。
- 『古事記』は「野の神」と役割を明記し、大山津見神と野椎神が山野を分担して天之狭土神以下の8柱を生んだと記します。行動や言葉は記されていません。
- 神名の「鹿屋」は「カヤ」の借字で、鹿の女神ではありません。カヤは屋根を葺く草の総称、ノは山裾の傾斜地、野椎は「野の精霊」と解されます。
- 『日本書紀』本文は「草の祖 草野姫、亦は野槌」と記し、『古事記』の「野の神」とは重心が異なります。『日本書紀』本文には8柱を生む話がありません。
- 践祚大嘗祭式では野に入って萱を刈るときに野の神を祭り、『日本書紀』の一書では野槌が薄の玉籤を採り、神武紀には厳野椎の名が見えます。野の神は、草と祭り、草と建物を結ぶ神として記録に残っています。
- 茅葺きの屋根と茅場、五箇山のコガヤと「結」は現代の文化で、『古事記』に女神が家を建てた話はありません。樽前山神社(北海道苫小牧市)と萱津神社(愛知県あま市)に祀られています。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
- 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
