甕速日神(みかはやひのかみ)の名は、「日」の字で終わります。日と書くのだから太陽の神だろう、と思いたくなる名です。ところが『古事記』がこの神について語るのは、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神を斬った剣の、根元のほうに着いた血が岩へ飛んで成った、ということだけです。空も光も、その場面にはありません。この記事では名の終わりの「日(ヒ)」を軸にして、名を作る三つの音、太陽と読む説、霊と読む説、「速日」をひとまとまりに読む説、雷との関わり、『日本書紀』の「祖」の一字を順に確かめ、最後に、この「日」は太陽なのかという問いに答えます。
1. 「日」は太陽なのか――名をミカ・ハヤ・ヒの三つの音にほどく
| 音 | 当てられた字 | 解されている意味 | この音を分け合う神 |
|---|---|---|---|
| ミカ | 甕 | 「厳(いか)」、つまり厳めしいこと。「御厳(みいか)」のつづまった形とする説もある | 建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)。「御雷」のミカと同じとされる |
| ハヤ | 速 | 迅速なこと。または、勢いの盛んなこと | 樋速日神(ひはやひのかみ) |
| ヒ | 日 | 太陽とする説と、霊とする説がある | 樋速日神 |
読みは「みかはやひのかみ」で、別名は記されていません。
表の3列目は、『古事記』が説明していることではありません。國學院大學の神名データベースが挙げる説を、音ごとに並べ直したものです。本文は名を挙げるだけで、その意味には一言も触れていません。
三つの音を見比べると、ミカはどの説でも厳めしさの意に取られ、ハヤも速さ、勢い、猛烈さと、激しさを言う向きにそろっています。読みが割れるのは最後のヒです。神名データベースも、「日」を太陽と取るか霊と取るかを、説の分かれ目に挙げています。
2. 「御刀の本」の血――剣の根元から最初に呼ばれる名
伊邪那岐命は、妻を失った後、子である火の神、火之迦具土神 の頸を十拳剣(とつかのつるぎ)で斬ります。その剣に付いた血は、先、根元のほう、柄の三か所に分けて語られます。先の血からは 石拆神、根拆神、石筒之男神 が成りました。甕速日神の名が出るのは、そのすぐ後です。
次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、甕速日神。次に樋速日神。次に建御雷之男神
今の言葉に直すと、根元のほうの血も、先の血と同じように岩の群れへ走って着き、そこに神が成って、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神の順に名が挙がった、となります。
「本」は「もと」と読み、剣の根元のほうを指します。「も亦」の2字があるので、この血が剣の先の血と同じ動きをしたことが分かります。行き先も同じ湯津石村(ゆついはむら)、神聖な岩の群れです。「ゆつ」という語の読み方と、血が神に成るときに岩が果たす役目については、石拆神 の記事に詳しく書きました。
名に「根」の字を持つ根拆神は剣の先から成る神で、剣の根元から成るのは甕速日神たちのほうです。原典はこの3柱の後にも「三神」と注記していて、甕速日神はその先頭に立ちます。先・本・柄と8柱の対応は、剣の八神 の記事に見取り図があります。
この一文にあるのは、血の出どころと、行き先と、神の名です。甕速日神の姿も行いも、日が昇ることも、雷が鳴ることも書かれていません。
場面全体の読み方としては、火を鎮めること、刀剣を作ること、噴火という現象などを当てる解釈があります。神名データベースは、甕速日神の名もそうした読みとの関わりで理解されてきた、としています。
3. ヒを太陽と読む説――厳めしく、迅速猛烈な日
神名データベースによれば、名義の説は大きく三つあります。一つ目は、「日」を字のとおりに受け取る説です。ミカを厳、速を迅速、日を太陽と取り、名の全体を「厳めしく迅速猛烈な太陽」とします。
ただ、この説が述べているのは名の意味であって、場面の中身ではありません。甕速日神が成るのは剣の血が岩に着いたところで、太陽の現れる場面は本文にありません。
『古事記』には、太陽の神が別にいます。天照大御神 です。伊邪那岐命が禊の最後に左の目を洗ったときに成る神で、「天照」は天を照らすという意味に解されています。甕速日神とは、成る場面も成り方も違います。ヒを太陽と読む説を採っても、『古事記』がこの2柱を結び付けているわけではありません。
4. ヒを霊と読む説――形を持たない力
二つ目の説は、ヒを「霊」と取ります。ミカは厳、ハヤは勢いの盛んなこと、ヒは霊。この読み方は、甕速日神に雷の神の性格を認める説です。ここでは「日」の字は、太陽という意味では受け取られていません。
國學院大學の古事記ビューアーの注釈も、ヒを霊と取っています。注釈は名を四つに割ります。ミ(御)、イカ(厳)、ハヤ(勢いが強い)、ヒ(霊)です。1節の表ではひとまとめにしたミカが、さらに「御」と「厳」に分かれています。
太陽は空に見えますが、霊には形がありません。同じ「日」の1字が、目に見えるものにも、目に見えないものにも読まれていることになります。
5. 「速日」を一語と見る説――樋速日神と分け合う二字
三つ目の説は、区切り方から違います。名を三つではなく、「ミカ」と「速日」の二つに分けるのです。
ミカは「御厳(みいか)」のつづまった形と取ります。「速日」は、霊能が猛烈であることを表す接尾語、つまり名の後ろに付いて意味を添える部分と見ます。合わせると、神秘的で厳めしいことが猛烈である霊力、という名になります。その霊力の表れとして、雷が認められるとされます。
この説では、「日」は独り立ちした語ではなくなります。「速日」というまとまりの後ろ半分なので、「日」の1字だけを取り出して、太陽か霊かを問うことができません。
「速日」がまとまりであることは、次に成る神の名を並べると見えてきます。甕速日、樋速日。後ろの2字は同じで、入れ替わるのは頭の「甕」と「樋」だけです。2柱は対で成る神とされています。
樋速日神の「樋」は、ヒという音を写した仮名と見られています。そのヒには火、乾、霊と取る説があり、『日本書紀』はこの神を「熯速日」と書きます。これは樋速日神の側の話なので、ここでは名の形が対になることだけを押さえておきます。
6. ミカは建御雷之男神にもある――雷の神と見るかどうか
名の頭に戻ります。3柱目の 建御雷之男神 は、名のなかに「御雷(みかづち)」を持ち、甕速日神の「甕」は、このミカと同じとされています。建御雷之男神は別名を二つ持ち、後の国譲りの段で使いに立つ神ですが、それはその神の物語です。
では、名に「雷」の字を持たない甕速日神も、雷の神なのでしょうか。神名データベースは、これを説のもう一つの分かれ目としています。名義や刀剣、同じ列に並ぶ神などとの関わりから、雷の神の性格を認めるかどうか、です。4節の説は雷の神の性格を取り、5節の説は霊力の表れとして雷を挙げていました。このほかに、落雷によって火が出ることの霊威を神としたとする説もあります。
場面を落雷と読む解釈と、本文の岩
名ではなく、血が着いて神が成るという場面のほうを雷と結ぶ解釈もあります。神名データベースによれば、火の神が斬られたときに成る神々は、火にまつわる事象の誕生を語っていると見るものです。刀を振り下ろす姿は、稲妻が木に落ちてその木を折るさまや、それによって火が出るさまを思わせる。刀に付いた火の神の血は火を表し、それが地上の樹木などに着いて発火する落雷を表している。そう読んで、そこから生まれた神話だとします。
これは解釈です。『古事記』の本文で血が着く先は岩、湯津石村であって、木ではありません。稲妻が走る場面も、本文にはありません。甕速日神の誕生は、剣の根元の血が岩に着いて成る、と書かれているとおりに受け取り、木に雷が落ちる場面と入れ替えずに読む必要があります。
7. 『日本書紀』の「祖」の一字――父とは書かれていない
『日本書紀』にも甕速日神の名が見えます。ただし、後ろに続く神との結び方が、伝えによって違います。神名データベースと古事記ビューアーの注釈が示すところを、二つに分けて見ます。
一つ目は、第五段の一書(あるふみ)第六です。一書は、本文に添えられた別の伝えのことです。ここでは、剣の「鐔(つば)」から垂れる血が「激越(そそ)」いて神と為り、甕速日神、次に熯速日神が成ります。血の出どころは、『古事記』では「本」、この一書では「鐔」と書かれています。そのうえで一書第六は、甕速日神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)の「祖」である、と記します。さらに「亦曰はく」として、甕速日命、次に熯速日命、次に武甕槌神と、3柱を順に挙げる伝えも添えています。
ここにあるのは「祖」の一字だけです。父とは書かれていません。ですから一書第六をもとに、甕速日神は武甕槌神の父である、と言い換えることはできません。
二つ目は、第九段の本文、経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神を遣わす段です。こちらでは甕速日神は、稜威雄走神の子、熯速日神の親として出てきます。稜威雄走神、甕速日神、熯速日神、武甕槌神と続く、親子の系譜です。この系譜では、甕速日神と武甕槌神のあいだに熯速日神が入ります。
「祖」とだけ記す一書第六と、親子を一代ずつつなぐ第九段の本文は、別々の伝えとして読みます。なお、甕速日神の名は『先代旧事本紀』の陰陽本紀と『古語拾遺』にも見えます。
『古事記』はどうかというと、3柱は同じ血、同じ岩に「次に」で並んで成る神で、親子ではありません。『古事記』が国譲りの段で建御雷神の親とするのは、剣そのものが神となった伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)で、甕速日神ではありません。
古事記ビューアーの注釈は、この段で「三神」と括られる神々が、『日本書紀』では伊邪那岐命の子とされない場合があることに目を留めています。そして、『古事記』の「三神」という注記には、神々の関係を確定しようとする意図を読み取ってよいかもしれない、と述べています。
8. 太陽・霊・雷――読みが替わると像が替わる
ここまでの説を、名から浮かぶ像のほうから並べ直します。説の中身を足すものではなく、この記事の整理です。
- ヒを太陽と読めば、光と熱の神。
- ヒを霊と読めば、目に見えない力の神。
- 雷の神と見れば、剣と空をつなぐ神。
三つは、きれいに切り分けられるわけではありません。霊と読む説は雷の神の性格を取りますし、「速日」を接尾語と見る説も、霊力の表れとして雷を挙げます。それでも、初めに思い描くものは、空の光か、形のない力か、走る稲妻かで変わってきます。
そして、どの像も名から導かれたものです。本文は甕速日神に像を与えていません。本文から動かないのは、剣の根元の血、湯津石村、3柱の先頭という順番、「三神」の注記までです。ヒの読みと、雷の神と見るかどうかは分かれたままで、「祖」の一字と親子の系譜は『日本書紀』の側にあります。
9. 光を見て力を考える――「日」の一字への答え
以下は考察です。
「日」の字を見ると、まず光が浮かびます。けれども名を頭から読んでいくと、先に来るのは「厳めしい」と「速い」です。どちらも、何であるかを言う語ではなく、どんな様子か、どんな勢いかを言う語です。三つの音のうち二つまでが力の言い方に使われ、その後にヒが置かれています。
そう見ると、この名が言おうとしているのは、光るものの正体より、光って走るものの勢いのほうだ、と読むこともできます。太陽と取る説も、ただの太陽ではなく「迅速猛烈な」太陽と言います。霊と取る説も、ハヤを勢いの盛んなことと読んだうえでの霊です。ヒの読みが替わっても、厳めしさと速さは名に残ります。
場面でも、血は剣から岩へ「走り就き」ます。岩へ走った血に成る神の名に、「速」の字が入っています。もっとも、『古事記』がそう意図して名を置いたと言える根拠はありません。
初めの問いに戻ります。名の「日」は太陽なのでしょうか。太陽と読む説は、確かにあります。けれども、霊と読む説があり、「速日」をひとまとまりの接尾語と読む説があり、注釈もヒを霊と取っています。隣には同じ「速日」で終わる樋速日神がいて、その頭の「樋」は音を写した仮名と見られています。答えは、「日」の字だけでは太陽とは決められない、です。確かなのは、太陽の出てこない場面に成る神に、「甕速日」という名が置かれていることです。
名の列は、対になる 樋速日神 へ進みます。伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ島と神々から、この剣の場面までを通して見たいときは、国生み・神生み(まとめ) の記事に生まれた順の一覧があります。
まとめ
- 甕速日神は、剣の根元のほう(御刀の本)の血から成る3柱の先頭です。火の神を斬った剣の血が岩に着いたところに名が現れるだけで、姿も行いも書かれていません。
- 名はミカ・ハヤ・ヒの三つの音に分けられます。ミカは厳めしいこと、ハヤは迅速なことや勢いの盛んなことと解され、読みが分かれるのはヒです。
- ヒには太陽とする説と霊とする説があり、「速日」を霊能の猛烈さを表す接尾語と見る説もあります。「速日」は樋速日神と、ミカは建御雷之男神と共通します。
- 雷の神の性格を認める説や、場面を落雷と読む解釈がありますが、本文で血が着くのは岩で、木も落雷も描かれていません。
- 『日本書紀』の一書第六は、甕速日神を武甕槌神の「祖」と記すだけで、父とは書きません。第九段の本文には、別に親子の系譜があります。『古事記』では3柱は親子ではありません。
- 名の「日」は、字だけでは太陽とは決められません。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
