天照大御神(アマテラス)はどう生まれたか?イザナギの禊と三貴子の分治【古事記】

天照大御神(あまてらすおおみかみ)のアイキャッチ画像

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、黄泉の国から戻った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)の最後に左の目を洗ったとき、生まれた神です。日本神話でもっとも名の知られた神であり、皇室の祖神、伊勢神宮の祭神として現在も広く信仰されています。ただし、この記事で扱うのは天照大御神の長い物語の「はじまり」だけです。三柱の貴い子が顔を洗う中から生まれる場面と、父がその三柱に天・夜・海を割り当てる「三貴子の分治」を、原文とともに通してたどります。あわせて、天照大御神だけが受け取った首飾りの珠、名前の意味、『日本書紀』との違い、伊勢神宮内宮までを見ていきます。岩戸隠れの物語は、天照大御神と須佐之男命の誓約と天石屋戸の記事で扱います。

目次

1. 天照大御神とは(基本情報)

項目内容
神名(古事記)天照大御神
神名(日本書紀)大日孁貴(本文)。一書に天照大神
読みあまてらすおおみかみ
親神(生まれた由来)伊邪那岐命が禊で左の御目を洗ったときに成った神
誕生の場面竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原。禊の最後、三貴子の第一
神格・性格太陽の神。高天原を治める神。皇祖神
別名や同一視される神大日孁貴(おおひるめのむち)、天照大神、天照坐皇大御神(伊勢神宮での称え名)

天照大御神は、『古事記』上巻の禊の段の最後に生まれた三柱、いわゆる三貴子(みはしらのうずのみこ)の第一の神です。禊で生まれた神は全部で26柱あり、天照大御神はその24番目にあたります。26柱の全体はイザナギの禊で生まれた神々一覧の一覧で確かめられます。

三貴子の三柱は、同じ場面で続けて生まれ、同じ場面で父から役目を与えられました。そのため、三柱の誕生と分治を語る原文は、この記事でまとめて紹介します。月読命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の記事では、それぞれの神に関わる部分だけを取り上げています。

2. 顔を洗って生まれた三柱――誕生の原文

伊邪那岐命は、亡くなった伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉の国へ行き、変わり果てた姿を見て逃げ帰りました。穢れを落とすために阿波岐原で禊を行い、身に着けた物から12柱、汚垢から2柱、禍を直す3柱、川の底・中・上から6柱の神を生んだあと、最後に顔を洗います。

是に左の御目を洗ひたまふ時に成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成れる神の名は、建速須佐之男命。

現代語に直すと、次のようになります。そこで左の目を洗ったときに生まれた神の名は天照大御神、次に右の目を洗ったときに生まれた神の名は月読命、次に鼻を洗ったときに生まれた神の名は建速須佐之男命です。

左の目、右の目、鼻と、顔の中心にある三つの部分から三柱が続けて生まれています。直前に生まれたのは、川の上の方で身をすすいだときに成った上筒之男命です。穢れから禍の神が生まれ、それを直す神が生まれ、海の神が生まれたあと、最後に最も貴い三柱が生まれるという順序になっています。

3. 天・夜・海を三柱に割り当てる――三貴子の分治

三柱の誕生に続いて、伊邪那岐命がそれぞれに治める世界を割り当てる場面が語られます。

此の時伊邪那伎命、大く歓喜びて詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得たり」とのりたまひて、即ち其の御頸珠の玉の緒母由良邇取り由良迦志て、天照大御神に賜ひて詔りたまひしく、「汝命は、高天原を知らせ」と事依さして賜ひき。故、其の御頸珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ。次に月読命に詔りたまひしく、「汝命は、夜の食国を知らせ」と事依さしき。次に建速須佐之男命に詔りたまひしく、「汝命は、海原を知らせ」と事依さしき。

現代語に直します。このとき伊邪那岐命はたいへん喜んで、「私は子を次々に生んできたが、その最後に三柱の貴い子を得た」と言いました。そして首にかけていた珠の飾りを、緒を揺らして音を立てながら取り、天照大御神に授けて、「あなたは高天原を治めなさい」と委ねました。この首飾りの珠を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)といいます。次に月読命に「あなたは夜の食国(おすくに)を治めなさい」と委ね、次に建速須佐之男命に「あなたは海原を治めなさい」と委ねました。

「三貴子」という呼び名は、この場面で父が口にした「三はしらの貴き子」という言葉に基づいています。割り当てられたのは、天照大御神に高天原(たかまのはら)、月読命に夜の食国、建速須佐之男命に海原という三つの領域でした。高天原は神々の住む天上の世界であり、三つの領域の中でも中心に位置します。

この分治のあと、三柱の歩みは大きく分かれます。月読命は命を受けたきり『古事記』の物語にほとんど姿を見せず(月読命)、建速須佐之男命は海原を治めずに泣きわめいて父に追放されます(建速須佐之男命)。そして天照大御神は、以後の物語で天上の主宰神として振る舞うことになります。

4. 首飾りの珠「御倉板挙之神」が語る特別な信任

分治の場面でいちばん目を引くのは、三柱のうち天照大御神だけが珠を授けられていることです。月読命と建速須佐之男命には言葉で領域が告げられるだけですが、天照大御神には、父が首にかけていた珠の飾りが、緒を揺らして音を立てながら手渡されました。

父が身に着けていた宝物を渡す行為は、領域の割り当て以上の特別な信任を示していると読めます。しかも『古事記』は、その珠にわざわざ御倉板挙之神という神の名を記しています。同じように領域を任された三柱の中で、天照大御神だけが形のあるしるしを受け取ったことは、この神が別格の存在として描かれていることをよく示しています。

弟の建速須佐之男命が高天原に昇ってくる話や岩戸隠れの話は、この分治を前提に展開します。天照大御神が任された高天原を舞台とする続きは、天照大御神と須佐之男命の誓約の記事からお読みください。

5. 「天照」「大御神」「大日孁貴」の読み解き

『古事記』は天照大御神の名の由来を説明していません。ここからは、神名の語構成にもとづく解釈です。

「天照(あまてらす)」 は「天を照らす」という意味で、太陽の光が天空を照らすさまを表すと解されています。太陽神としての性格は、この名にそのまま示されています。

「大御神(おおみかみ)」 は、「大」と「御」という二つの敬語を重ねた、最高の尊称です。『古事記』の中でこの称号で呼ばれる神は限られており、天照大御神が別格の神として扱われていることがうかがえます。珠を授けられた場面と合わせて読むと、名の上でも扱いの上でも特別な神であることが分かります。

『日本書紀』本文の 「大日孁貴(おおひるめのむち)」 は、「日の女(ひるめ)」すなわち太陽に仕える女性、日の巫女という意味と解されています。「貴(むち)」は尊い方を表す語です。太陽に仕える巫女が、やがて太陽神そのものとして信仰されるようになった、という説がこの名から立てられていますが、これは考察であり、原典が語るところではありません。

6. なぜ「左の目」から生まれたのか

「左」から生まれたこと については、古代において左を右よりも上位とする観念があったことと結び付ける説があります。三貴子の第一の神が左の目、第二の神が右の目から生まれるという並びは、この観念と合っているように見えます。

また、左目から太陽の神、右目から月の神が生まれる構図は、中国の盤古神話に見える、巨人の左目が太陽に、右目が月になったという話との類似も指摘されています。ただし『古事記』自身はそうした説明をしておらず、いずれも後世の考察です。原典から確かめられるのは、左の目を洗ったときに天照大御神が成った、という事実までです。

7. 『日本書紀』本文では夫婦神の子とされる

『日本書紀』の神代上では、本文と一書(あるふみ)で三貴子の誕生の語り方が異なります。この違いは天照大御神だけでなく、三柱すべてに共通するものです。

本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が国生みに続いて共に神々を生み、その中で大日孁貴(天照大神)、月神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を生んだとしています。つまり本文では、三柱は禊ではなく、二柱の夫婦神が共に生んだ子として登場します。伊弉冉尊は、『古事記』の伊邪那美命にあたる神です。

一方、伊弉諾尊が黄泉から戻って禊を行い、その中で三柱が生まれるという『古事記』と同じ形は、第五段の一書第六に見えます。『古事記』が父一柱の禊による誕生だけを語るのに対し、『日本書紀』は夫婦による誕生を本文に据え、禊による誕生を異伝として併記している点が、両書の大きな違いです。

8. 伊勢神宮内宮と「お伊勢さん」の信仰

天照大御神は太陽の神、皇室の祖神として、国家の安泰と国民の平安を祈る神とされてきました。太陽が万物を育てることから、五穀豊穣や開運、所願成就などの願いとも結び付けられています。古くは皇祖神として朝廷の祭祀の対象でしたが、伊勢参りが広まるにつれて庶民にも親しい神となり、「お伊勢さん」の呼び名で親しまれる信仰は現在まで続いています。

伊勢神宮内宮(三重県伊勢市) は、天照大御神を祀る神社の中心です。正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)といい、天照坐皇大御神を祀ります。内宮の別宮のうち荒祭宮は天照大御神の荒御魂を、月読宮は月読命を祀っています。

このほか全国各地に天照大御神を祀る神社は数多くありますが、ここでは中心となる伊勢神宮内宮のみを挙げておきます。

9. 穢れの果てに現れる光と、信頼を託す珠

天照大御神の誕生の場面から読み取れるのは、「最も尊いものは、穢れを落とす過程の最後に生まれる」という考え方です。伊邪那岐命の禊は、禍の神が生まれるところから始まり、直す神、海の神を経て、最後に三貴子に至ります。太陽の神は、清らかな場所にはじめから用意されていたのではなく、穢れと向き合った末に現れました。

もうひとつは、「分治」という考え方です。伊邪那岐命は三柱の子に、それぞれ天・夜・海という領域を委ねました。すべてを一人で抱え込むのではなく、役割を分けて任せる。その際、天照大御神に珠を授けたように、任せる相手への信頼をかたちにして示す。この場面は、責任の委ね方のひとつのかたちとして読むことができます。

まとめ

  • 天照大御神は、伊邪那岐命が禊の最後に左の目を洗ったときに生まれた太陽の神で、禊の神々26柱のうち24番目、三貴子の第一です。
  • 父は三柱を「三はしらの貴き子」と喜び、高天原・夜の食国・海原を割り当てました。この分治の原文は、三柱の中でこの記事にまとめています。
  • 首飾りの珠を授けられたのは天照大御神だけで、その珠には御倉板挙之神という名が記されています。
  • 「天照」は天を照らす意、「大御神」は最高の尊称、『日本書紀』の「大日孁貴」は日の巫女の意と解されています。
  • 『日本書紀』本文では三柱は伊弉諾尊・伊弉冉尊が共に生んだ子で、禊から生まれる形は一書第六に見えます。
  • 伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)に祀られ、皇祖神として信仰されています。岩戸隠れの場面は天石屋戸の記事で扱います。

ゆかりの社をたずねるなら:皇大神宮と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
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