八十禍津日神(ヤソマガツヒ)とは?穢れから生まれた禍の神の役割【古事記】

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)のアイキャッチ画像

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)は、黄泉の国から帰った伊邪那岐命が川の流れの中で身を清めたとき、その体に付いていた穢れから生まれた神です。名前に「禍(まが)」の字を含み、日本神話の中では珍しく「災いそのもの」を体現する神として知られています。この記事では、『古事記』の記述、「八十」という数字の意味、本居宣長と平田篤胤による解釈の違い、『日本書紀』での表記、そして福岡の警固神社や伊勢の荒祭宮との関係までを順に見ていきます。

目次

1. 中つ瀬で最初に現れた禍の神

項目内容
神名(古事記)八十禍津日神
神名(日本書紀)八十枉津日神(一書第六)
読みやそまがつひのかみ
親神(生まれた由来)伊邪那岐命が禊で洗い流した穢れ(汚垢)から成った
誕生の場面筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原、川の中つ瀬に潜って身を洗ったとき
神格・性格災い・穢れの神。悪を懲らす正義の神とする解釈もある
別名や同一視される神禍津日神(総称)。天照大御神荒御魂(荒祭宮の神)との同一視は『倭姫命世記』の伝承

阿波岐原での禊は、2つの段階に分かれています。前半では、伊邪那岐命が杖・帯・衣・冠・手纏など身に着けていた物を次々に投げ捨て、そこから12柱の神が生まれました。後半は、いよいよ川に入って体そのものを洗う場面です。その後半の最初、禊の神々の中では13番目に生まれたのが八十禍津日神で、続いて大禍津日神が生まれました。

つまり八十禍津日神は、伊邪那岐命の「持ち物」ではなく「体」から生まれた最初の神です。黄泉の国で身にしみ込んだ穢れが、水に洗われて初めて外に出てきたとき、それが神の姿をとった。そう考えると、この神は禊という行為の核心に立つ存在だと言えます。

2. 原文が語る「汚垢」から成った2柱

『古事記』は、伊邪那岐命が川のどの流れに入ったかから語り始めます。

是に詔りたまひしく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕り潜きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日神。次に大禍津日神。此の二神は、其の穢繁き国に到りし時の汚垢に因りて成れる神なり。

意味を取ると、「伊邪那岐命は『上流は流れが速すぎ、下流は流れが弱すぎる』と言って、初めて中ほどの流れに降りて潜り、体を洗った。そのとき成った神が八十禍津日神、次に大禍津日神である。この2柱は、あの穢れの多い国に行ったときの汚れによって成った神である」となります。

ここで目を留めたいのは、最後の一文です。禊の神々の多くは「投げ棄つる御杖に成れる神」のように、何から成ったかが一言で示されるだけです。ところがこの2柱については、「此の二神は」と改めて主語を立て、「穢繁き国に到りし時の汚垢」が原因だとわざわざ説明し直しています。黄泉の穢れがどれほど重いものと受け止められていたかが、この書きぶりから読み取れます。

原文はこのすぐ後に「次に其の禍を直さむとして成れる神」と続け、神直毘神・大直毘神・伊豆能売の3柱を挙げます。直す側の3柱については、それぞれの記事で詳しく扱っています。

3. 「八十」は何を数えているのか

神名は「八十(やそ)」「禍(まが)」「津(つ)」「日(ひ)」の4つの要素に分けて考えられています。

「八十」は文字通りの80ではなく、「非常に多い」ことを表す言葉です。『古事記』には「八十神」「八十島」など、多数を表す「八十」の用例がたくさんあります。そうすると八十禍津日神は、「数え切れないほど多くの禍の神」あるいは「あらゆる災いを司る神」という意味になると考えられます。

「禍(まが)」は「曲がる」と同じ語源を持つとされ、正しい状態からねじ曲がること、すなわち災いや不吉を意味します。「津」は「〜の」にあたる古い助詞、「日」は霊力や神霊を表す言葉と解釈されています。全体では「多くの禍の霊威をもつ神」と理解するのが一般的です。

では、何がそれほど「多い」のでしょうか。黄泉の国は、原文で「穢繁き国」、つまり穢れの多い国と呼ばれています。その国で身に付いた汚れが洗い出されたのですから、生まれる禍も一つや二つでは済まない、という感覚が「八十」の語に表れていると読むことができます。なお、こうした神名の分析はいずれも後世の解釈で、『古事記』本文が語源を説明しているわけではありません。

4. 禍が生まれ、直される流れの出発点

八十禍津日神の位置を理解するうえで大切なのは、この神が単独で置かれていないことです。

まず、すぐ後に大禍津日神が続きます。「八十」が数の多さを表すのに対し、次の神は「大」、つまり大きさを名に持ちます。2柱を並べることで、災いの「多さ」と「深刻さ」の両面が表されているという読み方ができます。

そして、禍の神2柱のすぐ後には、「其の禍を直さむとして」直しの神々が生まれます。『古事記』は禍を生んだところで話を止めず、間を置かずに直す働きを登場させているのです。八十禍津日神は、単独で恐れられる存在というより、「禍が生まれ、それが正される」という一連の流れの出発点として置かれていると考えられます。

さらにその後には、水の底・中・上で海の神々が生まれ、最後に目と鼻を洗って天照大御神ら三貴子が生まれます。穢れから禍、禍から直し、直しから清浄へという順序の、いちばん底にいるのが八十禍津日神です。

5. 『日本書紀』の八十枉津日神

『日本書紀』神代上 第五段の一書第六にも禊の記事があり、そこではこの神が八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と表記されています。伊弉諾尊が穢れを洗い流そうとして八十枉津日神が生まれ、次にその枉を直そうとして神直日神・大直日神が生まれた、という趣旨です。

『古事記』との違いは主に2点です。1つは表記で、「禍」が「枉」になっています。「枉」もまた「曲がる」「ゆがむ」の意味で、同じ「まが」の音を写したものです。もう1つは神の数で、一書第六には大禍津日神に相当する神が見えず、禍の神は八十枉津日神の1柱として語られています。『古事記』が禍を2柱に分けて描いたことは、『日本書紀』と比べることでいっそうはっきりします。

6. 悪神か、正義の神か――宣長と篤胤の読み

禍を司る神は、どう受け止められてきたのでしょうか。この点をめぐって、江戸時代の国学者の間で解釈が分かれました。

本居宣長は『古事記伝』およびそこに収められた『直毘霊』で、世の中の悪事や災いはすべて禍津日神の心のしわざだと述べ、禍津日神を「悪をなす神」として明確に位置づけました。これに対して門下の平田篤胤は、禍津日神を「悪を憎み、悪を懲らす正義の神」と読み替えました。

同じ神が、師弟の間で正反対に近い姿に描かれたことになります。どちらも後世の解釈であり、『古事記』本文は八十禍津日神の善悪を語っていません。原典が伝えるのは、穢れから成ったという由来と、直後に直しの神が続くという配置だけです。

民間の信仰では、災いの神だからこそ、その神に祈れば災いを遠ざけられるという考え方から、厄除けや災難除け、不正を退けることと結び付けられてきたとされています。

7. 警固神社と伊勢の荒祭宮

八十禍津日神を祭神とする神社は多くありませんが、次の2社はよく知られています。

警固神社(福岡県福岡市中央区)八十禍津日神を、神直日神・大直日神とともに祀っています。禍の神が、それを直す2柱と同じ社に並んでいる点に、この神の性格がよく表れています。

伊勢神宮内宮 荒祭宮(三重県伊勢市)天照大御神荒御魂を祀る、内宮の第一別宮です。中世の『倭姫命世記』には、この荒祭宮の神を八十枉津日神と同一視する伝承があります。ただし、これは中世の書物に見える伝承であり、『古事記』『日本書紀』にそのような記述はありません。禊の最後に生まれる天照大御神と、禊の中ほどで生まれる禍の神が、後世の伝承の中で結び付けられた例です。

8. 禍を「なかったこと」にしない神話

禊の親神である伊邪那岐命は、黄泉の穢れを洗い流しました。けれども、その穢れは水に溶けて消えたのではなく、八十禍津日神という神の姿をとって世界に残りました。災いや不運は完全に取り除けるものではなく、形を変えて存在し続けるという認識が、この神話の根底にあるように思われます。

一方で、禍の神が生まれた直後に直しの神が生まれることは、「禍は直せるものだ」という考え方も同時に示しています。失敗や災難が起きたとき、それを否定するのでも、それに飲み込まれるのでもなく、起きたことを認めたうえで直していく姿勢を、この神話から読み取ることができるかもしれません。

宣長と篤胤の読みの違いも示唆的です。同じ災いを「ただの不幸」と見るか、「何かを正すための出来事」と見るかで、受け止め方は大きく変わります。禊で生まれた26柱の神々を一覧で確認したい方は、イザナギの禊で生まれた神々一覧 の記事をご覧ください。

まとめ

  • 八十禍津日神は、身に着けた物から12柱が生まれた後、伊邪那岐命の体の穢れから最初に生まれた禍の神です。
  • 『古事記』は「此の二神は」と主語を立て直し、黄泉の汚垢が由来だとわざわざ説明しています。
  • 「八十」は多数を表し、「穢繁き国」の穢れの多さを映した名と読むことができます。
  • 『日本書紀』一書第六では八十枉津日神と書かれ、禍の神はこの1柱だけです。
  • 本居宣長は悪をなす神、平田篤胤は悪を懲らす正義の神と、正反対に近い解釈をしました。
  • 警固神社で直しの神々と並んで祀られ、荒祭宮の神と同一視する伝承が『倭姫命世記』にあります。

ゆかりの社をたずねるなら:皇大神宮と近くの宿、警固神社と近くの宿(神社めぐりと歴史旅の帳)

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
  • 本居宣長『古事記伝』(『直毘霊』を含む)
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