『古事記』の国生みは、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が大八島国の8島を生んだところで終わりではありません。8島を生み終えた二柱は、帰る途中にさらに6つの島を生みます。吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島、両児島の6島で、それぞれに建日方別、大野手比売といった神名が添えられています。この6島は、なぜ大八島国に数えられなかったのでしょうか。この記事では、6島を1島ずつ取り上げて、神名の意味と現在のどこにあたるのか、その島が古代の海路でどのような場所だったのかを見たうえで、生まれた順序の不思議と、大八島国に入らない理由をめぐる説を整理します。
1. この場面の位置(基本情報)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場面名 | 国生みの六島(大八島国を生み終えて帰る途中に生まれた6島) |
| 『古事記』での位置 | 前の場面: 大八島国の8島の誕生 / 次の場面: 神生み(大事忍男神から始まる神々の誕生) |
| 登場する神 | 伊邪那岐命、伊邪那美命 |
| 舞台 | 瀬戸内海の東部から西部へ、豊後水道を経て九州の西の海へと広がる海域 |
| 生まれた神・生じた物 | 吉備児島(建日方別)、小豆島(大野手比売)、大島(大多麻流別)、女島(天一根)、知訶島(天之忍男)、両児島(天両屋)の6島 |
大八島国の8島が淡路島から本州までの国土の骨組みだとすれば、この6島はその骨組みのあいだを埋める、海の道の島々です。8島がすべて大きな島か、壱岐・対馬のように海外との境に位置する島であるのに対し、6島は瀬戸内海と九州の西の海に点在する、比較的小さな島ばかりです。この場面は、8島がどのような順で生まれ、どのような神名を持つのかを扱った大八島国の記事の続きにあたります。
『古事記』はこの6島についても、8島と同じように島の名を挙げ、「亦の名は」と神名を添えていきます。ただし、8島のあとに「大八島国と謂ふ」というまとめの一文があったのとは違い、6島には全体をまとめる名前がありません。同じ形式で語られながら扱いが異なる。その差がどこから来るのかが、この記事の主題になります。
2. 『古事記』にはどう書かれているか
「還ります時」の一文。 大八島国の名の由来を述べたあと、『古事記』は次の一文で6島の場面を始めます。
「然して後、還ります時、吉備児島を生みき」
そうして後、帰るときに吉備児島を生んだ、という意味です。どこへ帰るのかは書かれていません。二柱が淤能碁呂島から出発して国土を生んで回り、その帰り道に生まれた島々と読むのが一般的です。ここから先は、島の名と神名を順に挙げていく形が続きます。吉備児島の別名は建日方別、次に生まれた小豆島の別名は大野手比売、大島は大多麻流別、女島は天一根、知訶島は天之忍男と続き、最後の島については次のように記されます。
「次に両児島を生みき。亦の名は天両屋と謂ふ」
これで6島が終わり、国生みの場面が閉じられます。6島の名、読み、神名、そして一般に比定されている現在の場所を、生まれた順に並べます。
| 順 | 島名(読み) | 神名(読み) | 現在の比定地 |
|---|---|---|---|
| 1 | 吉備児島(きびのこじま) | 建日方別(たけひかたわけ) | 岡山県の児島半島とされています |
| 2 | 小豆島(あずきしま) | 大野手比売(おおのでひめ) | 香川県の小豆島(しょうどしま)とされています |
| 3 | 大島(おおしま) | 大多麻流別(おおたまるわけ) | 山口県の周防大島とされています |
| 4 | 女島(ひめじま) | 天一根(あめひとつね) | 大分県の姫島とされています |
| 5 | 知訶島(ちかのしま) | 天之忍男(あめのおしお) | 長崎県の五島列島とされています |
| 6 | 両児島(ふたごのしま) | 天両屋(あめふたや) | 所在は定かでなく、長崎県の男女群島とする説があります |
8島の場合、四国と九州については「身一つに面四つ」として中の国々の名まで列挙されていましたが、6島にはそのような内部の説明はなく、島の名と神名だけが淡々と並びます。書き方だけを見れば、6島は8島の延長として同じ形式で語られていることになります。
3. 名前と言葉の意味
ここからは、6島を1島ずつ取り上げ、神名の解釈、現在の比定地、そしてその島が古代の海の道でどのような場所だったのかを見ていきます。神名の語義はいずれも後世の注釈に基づく解釈で、『古事記』自身は意味を説明していません。
吉備児島(建日方別)
吉備児島は、現在の岡山県南部、倉敷市・玉野市・岡山市にまたがる児島半島にあたるとされています。今は陸続きですが、かつては瀬戸内海に浮かぶ島で、16〜17世紀以降の干拓によって本土との間の海が埋め立てられ、島から半島へと姿を変えました。『古事記』が「児島」と呼んでいたころは、文字どおりの島だったことになります。
神名の建日方別(たけひかたわけ)は、「建」を猛々しいという意味の美称、「日方(ひかた)」を風の名と見る説があります。日方は地域によって東南風や西南風など指す方向が異なる風の名で、島に吹きつける風から島の性格を表した名と解されています。末尾の「別(わけ)」は、8島の隠伎之三子島や大倭豊秋津島の神名にも付いていた語で、島を人格を持った神として扱う擬人的な命名です。この「別」を、『古事記』の景行天皇の段に見える、皇子が国や郡を分け治めるという思想に由来する称号とする説があります。また、「別」「比古」「比売」の付く島名は、天武天皇の時代以後に加えられた比較的新しい層だとする説もあります。
海路の上では、児島は瀬戸内海の東西の航路の要となる場所でした。国生みの帰り道が吉備児島から始まることには、海上交通における児島の重みが反映されているという読みがあります。
小豆島(大野手比売)
小豆島は、香川県の小豆島(しょうどしま)にあたるとされています。現在は香川県に属していますが、古代には備前国の児島郡に属していました。吉備児島の次に小豆島が生まれることと、この帰属関係との間には、次の節で触れるつながりがあると考えられています。
神名の大野手比売(おおのでひめ)は、6島の中でただ一つ「比売」の付く女神の名です。名の意味は未詳とされることが多いのですが、「野手(ので)」を「苗手(なえで)」、つまり稲の苗の束と見て、吉備の「黍(きび)」、小豆島の「小豆」、そして苗の「稲」という穀物の連想がこの並びに働いているとする説があります。一方で、大きな野という地形からの命名とする説もあります。
小豆島は瀬戸内海の東部で最も大きな島の一つです。児島から見て東にあたるこの島が、西へ向かう帰り道の2番目に置かれていることが、6島の順序をめぐる問題の出発点になります。
大島(大多麻流別)
大島は、山口県の周防大島(屋代島)にあたるとされています。瀬戸内海の西部、周防灘と伊予灘の境に位置する大きな島です。ただし、「大島」という名の島は瀬戸内海に多く、芸予諸島の大三島にあてる説もあります。
神名の大多麻流別(おおたまるわけ)は、「多麻流(たまる)」を「溜る」と見て、渦潮を乗り切るために多くの船が集まり、留まる港の意とする説があります。周防大島は、『万葉集』に収められた遣新羅使の歌に見える瀬戸内海航路の寄港地です。船が潮待ちのために集まる場所という名の解釈は、この島の海路上の性格とよく合っています。
女島(天一根)
女島は、大分県の国東半島の沖に浮かぶ姫島にあたるとされています。周防灘の中の孤島で、瀬戸内海から豊後水道へ抜ける海路の目印になる島です。
神名の天一根(あめひとつね)は、広い海にただ一つ根を張る孤島の意とする説と、天に接する一つの根元の意とする説があります。この名は、8島の中の壱岐に与えられた天比登都柱(あめひとつばしら)と命名の発想が共通しており、「一つ」という語が海上の孤立した島の姿を表していると解されています。また、天一根は「別」「比古」「比売」のいずれも含まず、島を人体になぞらえた命名ではない点が指摘されています。
知訶島(天之忍男)
知訶島は、長崎県の五島列島にあたるとされています。「知訶(ちか)」は五島列島の古い呼び名にあたるとされ、九州の西の海に連なるこの島々が、6島の中で瀬戸内海を離れて最初に現れる島になります。
神名の天之忍男(あめのおしお)は、「天」を冠し、「忍(おし)」に「男」を続けた名です。「忍」は隠岐の神名である天之忍許呂別にも見える語ですが、知訶島の神名全体の意味は、はっきりしたことが分かっていません。女島の天一根、知訶島の天之忍男、次の両児島の天両屋と、後半の3島は「天」を冠した一続きの名になっています。
五島列島は、九州から東シナ海へ出る際の最後の寄港地でした。この位置づけは、6島が大八島国に入らない理由をめぐる説と深く関わりますので、第4節で改めて取り上げます。
両児島(天両屋)
両児島は、6島の中でただ一つ、所在が定かでない島です。五島列島の南に浮かぶ男女群島に比定する説があり、男女群島が女島と男島という二つの主な島から成ることが、「両児(ふたご)」の名と結びつけて考えられています。ただし、これは有力な説の一つにとどまり、確定した比定地はありません。
神名の天両屋(あめふたや)は、海上遠くに家が二つ並んで見えることからの名と解されています。島の名の「両児」も神名の「両屋」も、二つのものが並ぶ姿を表しており、双子のように並ぶ島影を沖から眺めた命名だという読みです。8島の隠伎之三子島が「三つ子」の名を持つのと同じく、島の数を子に見立てる発想が見られます。国生みの最後を締めくくる島が所在の分からない島であることは、この6島が海の道の記憶として語られたものであることを示しているとも受け取れます。
4. 物語の中での役割
帰り道は西へ向かう。 6島を地図の上でたどると、瀬戸内海の東部にある吉備児島から出発し、周防大島、姫島と瀬戸内海を西へ進み、豊後水道を抜けて九州の西の五島列島に至り、さらにその南の海へと向かう道筋になります。大八島国の8島が最後に本州で締めくくられたのに対し、6島はその本州から再び西へ向かう「帰り道」として、瀬戸内海から九州の西の海へ抜ける海路をなぞる形になっています。
順序の問題。 ところが、この西向きの流れの中で、吉備児島から小豆島への一歩だけは東へ逆行しています。小豆島は児島の東に位置するため、西へ向かうならば小豆島を先に置くのが自然です。この不自然さについては、二つの説があります。一つは、小豆島が古代に備前国の児島郡に属していたため、児島の付属の島として児島のすぐあとに挙げられたとする説です。もう一つは、児島の港が東南の風を受けやすく、風向きによっては小豆島を予備の港として使っていたことが反映されたとする説です。どちらも、6島の並びが当時の海上交通の実際の運用に基づいているという理解を前提にしています。
なぜ大八島に入らないのか。 『古事記』の原文は、6島を「還ります時」に生んだと述べるだけで、6島がなぜ大八島国に数えられないのか、理由を一切述べていません。この点はまず押さえておく必要があります。そのうえで、研究の上では次のような説が示されています。6島の誕生は、大八島国の話ができたあとに付け加えられた要素であり、大宝年間以後に遣唐使が用いた南路、すなわち瀬戸内海から九州の西へ出て五島列島を経由する航路の寄港地を反映しているとする説です。遣唐使船が通る海の道の島々を国生みの中に組み込むことで、航海の安全を神話によって保障する意図があったと解されています。8島とは別の時期に、別の目的で加えられた層だからこそ、大八島国という枠には入らなかった、という読みです。
もう一つ、名前の連想からの指摘があります。国生みの初めに生まれて子の数に入れられなかった淡島の「粟」、吉備児島の「黍」、そして「小豆」と、島の名に穀物の名が連なっていることから、この並びには穀物の連想が働いているとする指摘です。大野手比売を「苗手」と読む説と合わせると、6島の初めの部分には、海の道とは別に、穀物にまつわる命名の層が重なっているとも考えられます。
次の場面へ残すもの。 両児島を生み終えると、二柱は島ではなく神々を生む神生みへと移ります。国土の骨組みである8島と、海の道である6島、合わせて14の島によって舞台が整い、その上に住まう神々が生まれていくという流れです。国生みの最初の段階、天の沼矛と淤能碁呂島、そして水蛭子・淡島とやり直しについては国生みの記事で扱っています。二柱の生涯の全体像は伊邪那岐命と伊邪那美命の記事をご覧ください。
5. 『日本書紀』との違い
『日本書紀』神代上の第四段には、『古事記』の6島にあたるまとまった記述がありません。そのうえで、6島の一つひとつを『日本書紀』の大八洲と照らし合わせると、扱いが大きく異なることが分かります。
| 『古事記』の6島 | 『日本書紀』での扱い |
|---|---|
| 吉備児島 | 吉備子洲として、本文や多くの一書で大八洲の一つに数えられます |
| 小豆島 | 国生みの記述に見えません |
| 大島 | 大洲として、本文などで大八洲の一つに数えられます |
| 女島 | 国生みの記述に見えません |
| 知訶島 | 国生みの記述に見えません |
| 両児島 | 国生みの記述に見えません |
第一に、吉備児島の位置づけが逆転しています。『古事記』では帰り道の6島の先頭に置かれた吉備児島が、『日本書紀』では吉備子洲として大八洲の一つに数えられています。本文だけでなく多くの一書でも大八洲に入ることから、吉備子洲を8島の一つとする形のほうが古い層だとする説があります。
第二に、大島も『日本書紀』では大洲として本文などで大八洲に入っています。『日本書紀』本文は淡路洲を胞(え)、つまり胞衣として8島から外していますので、その分を補うために大洲が数えられたとする説があります。
第三に、小豆島・女島・知訶島・両児島の4島は、『日本書紀』の国生みにまったく見えません。『日本書紀』本文が対馬・壱岐やその他の小島を潮の泡が凝り固まってできたものとして生まれた島に数えなかったことと考え合わせると、瀬戸内海から九州西方の小島を一つずつ名指しして神名を与えているのは、『古事記』に特有の書き方だといえます。第4節で触れた遣唐使の南路との関わりも、『古事記』側の事情として考えられています。
6. 信仰と祭祀
6島の場面は、瀬戸内海から九州の西の海へ抜ける海の道の島々を、神の子として語る場面です。そのため、この場面は航海の安全と結びつけて受け取られてきたとされています。大多麻流別の名を船が集まる港の意と読む説や、天一根を海上の目印となる孤島と読む説は、いずれも島を海路の側から見た理解で、島の神名そのものに航海者の視点が織り込まれていると解されています。
一方で、6島の神名は『古事記』の国生みの中にだけ見える名で、それぞれを祭神として祀る信仰はほとんど育ちませんでした。そのなかで、小豆島の大野手比売は例外的に、島の名を負う神として島の中で祀られてきたとされています。島の名と神名が、土地の信仰の中に残った例といえます。
国生み全体への信仰は、6島の神名よりも、島を生んだ伊邪那岐命と伊邪那美命への信仰として、とりわけ淡路島を中心に受け継がれてきました。
7. ゆかりの神社
6島の神を主祭神として祀る神社は、ほとんど知られていません。そのなかで、小豆島には島の神名を負う社があります。
阿豆枳島神社(あづきしまじんじゃ) は、香川県小豆郡小豆島町の星ヶ城山にある神社で、江戸時代の後期に再興されたと伝えられています。西峰に大野手比売を祀り、『古事記』の小豆島の神名がそのまま祭神の名になっています。
淡路島にある伊弉諾神宮と、淤能碁呂島の伝承地にある自凝島神社については、国生みの記事で所在地と祭神を紹介していますので、そちらをご覧ください。
8. 関連する神々・場面
大八島国 は、この記事の前の場面です。淡路島から本州までの8島と、それぞれの神名、「身一つに面四つ」の意味、生まれた順に見える国土観を扱っています。大八島国
国生み(淤能碁呂島とやり直し) は、大八島国のさらに前の場面です。天の沼矛と淤能碁呂島、天の御柱を廻る結婚、水蛭子・淡島の誕生と天つ神の太占によるやり直しまでを扱っています。国生み
伊邪那岐命 は、6島を生んだ男神です。国生みから神生み、黄泉の国、禊までの全体像はこちらの記事で扱っています。伊邪那岐命
伊邪那美命 は、伊邪那岐命とともに島々を生んだ女神です。国生みのあと神生みを行い、火の神を生んで亡くなります。伊邪那美命
造化三神と別天つ神・神世七代 は、二柱に国生みを命じた「天つ神」の中心と解される神々と、二柱に至る神々の系譜です。造化三神
国生みと神生みの後、伊邪那岐命は黄泉の国から戻って禊を行い、多くの神々を生みます。その一覧はこちらの記事にまとめています。イザナギの禊で生まれた神々一覧
国生みと神生みで生まれた島と神々の全体は、国生み・神生み(まとめ) の一覧で生まれた順にたどれます。
9. 現代につながる読み方
6島の場面を読んで印象に残るのは、『古事記』が国土の骨組みだけでなく、そのあいだをつなぐ海の道の島々にも、一つひとつ名前を与えていることです。周防大島の潮待ちの港、周防灘の目印になる姫島、東シナ海へ出る前の最後の寄港地である五島列島。これらの島は、大きさや政治的な重みでは8島に及びませんが、船で海を渡る人にとってはなくてはならない場所でした。その島々を神の子として語ることは、海の道そのものを神話の中に位置づけることにほかなりません。
もう一つは、『古事記』が6島の大八島国に入らない理由を語らない、ということです。理由を語らないからこそ、後の人々は順序の逆行や神名の連想を手がかりに、この6島がいつ、どのような事情で加えられたのかを考え続けてきました。遣唐使の航路を反映したという説も、穀物の連想を指摘する読みも、原典の沈黙に向き合った結果として生まれたものです。書かれていないことを埋めようとする営みが、書かれていることの理解を深めていく。6島の場面は、そのことをよく示しています。
そして、吉備児島が島から半島になり、両児島がどこにあったのか分からなくなっているように、島の姿も記憶も時とともに移り変わります。それでも『古事記』の中では、6島は今も帰り道の海に浮かんでいます。神話が土地の記憶を留める器であることを、この短い場面は教えてくれます。
まとめ
- 国生みの六島は、大八島国の8島を生み終えた伊邪那岐命・伊邪那美命が「還ります時」に生んだ吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島、両児島の6島で、それぞれ建日方別、大野手比売、大多麻流別、天一根、天之忍男、天両屋という神名を持ちます。
- 比定地は児島半島(かつては島で、干拓により陸続きになりました)、小豆島、周防大島、姫島、五島列島とされ、両児島だけは所在が定かでなく男女群島とする説があります。
- 神名には、風の名に由来するとされる建日方別、船が集まる港の意とする説がある大多麻流別、孤島の姿を表すとされる天一根など、海路の側から島を見た解釈が多く示されています。
- 6島は瀬戸内海から九州の西へ向かう順に並びますが、吉備児島から小豆島だけが東へ逆行しており、児島郡への帰属や予備の港としての利用を反映したとする説があります。
- 『古事記』は6島が大八島国に入らない理由を述べていません。研究上は、遣唐使の南路の寄港地を反映した後付けの要素とする説や、粟・黍・小豆という穀物の連想を指摘する読みがあります。
- 『日本書紀』では吉備子洲と大洲が大八洲に数えられ、小豆島・女島・知訶島・両児島は見えないなど、『古事記』とは扱いが異なります。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 三浦佑之 訳『口語訳 古事記[完全版]』文藝春秋
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
- 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
