辺疎神(ヘザカル)とは?右の手纏から生まれた岸辺の神と沖の神の対【古事記】

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辺疎神(へざかるのかみ)は、伊邪那岐命が禊の前に投げ捨てた右の手纏(たまき。腕輪のこと)から成った 3 柱の、最初の神です。左の手纏の筆頭である奥疎神(おきざかるのかみ)とは「奥」と「辺」の一字だけが違い、「沖」に対する「岸辺」の神と解されています。左の 3 柱が名を連ねたあと、語りが右手に移って最初に呼ばれるのがこの神です。この記事では、右側から見た手纏の神々という視点で、辺疎神の名と位置を読んでいきます。

目次

1. 辺疎神の基本情報

項目内容
神名辺疎神(へざかるのかみ)
成った物伊邪那岐命が投げ捨てた右の手纏(腕輪)
右の手纏の中の順番3 柱の最初
12 柱の中の順番10 番目
神名の読み「岸辺へ遠ざかる」神と解されている
対になる神左の手纏の筆頭、奥疎神

禊の場面の全体と、身に着けた物から成った 12 柱の顔ぶれは イザナギの禊で生まれた神々一覧 で、左右の手纏の 6 柱に共通する沖と岸辺の対構造、『日本書紀』に手纏の神が見えないことなどは、左側の筆頭 奥疎神の記事でまとめて扱っています。

2. 語りが右手に移って最初の神

『古事記』は、左の 3 柱を挙げ終えると、右の手纏に移ります。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎神。次に辺津那芸佐毘古神。次に辺津甲斐弁羅神。

「次に、右手の手纏を投げ捨てて成った神の名は辺疎神。続いて辺津那芸佐毘古神、辺津甲斐弁羅神」という意味です。

右側で品物の名と一緒に記されるのは、この辺疎神だけです。続く 2 柱は「次に」でつながるだけなので、同じ右の手纏から成ったと読めます。本文がこの神について語るのは、名前と「右の手纏から成った」という由来だけで、何をつかさどるのか、どこに祀られたのかは一切書かれていません。

3. 「辺」と「疎」――岸辺へ離れていく名

名前は「辺(へ)」と「疎(さかる)」に分けて読まれるのが一般的です。

「辺」は岸辺、水際を指す語と解されています。左側の「奥」が沖と読まれることと合わせて、「奥=沖」「辺=岸辺」と対応させるのが通説です。

「疎」は「離れる、遠ざかる」の意味と解されています。したがって辺疎神の名は、「岸辺のほうへ遠ざかる神」あるいは「岸辺に離れていく神」といった意味だと考えられています。

少し面白いのは、同じ「遠ざかる」でも、向かう先が反対だという点です。奥疎神は沖へ、辺疎神は岸辺へ離れていきます。水辺に立つ人から見れば、一方は遠いほうへ、もう一方は足元に近いほうへ動く神ということになります。

4. 腕輪の落ちる場所という説明

なぜ腕輪から沖と岸辺の神が成るのかについて、投げた手纏の飛び方に由来するという説があります。水辺で腕輪を投げ捨てると、遠くへ飛んで沖に落ちるものもあれば、近くの岸辺に落ちるものもある。その様子が神の名になった、という読み方です。

この説に立てば、奥疎神は遠くへ飛んだ腕輪、辺疎神は手前に落ちた腕輪の神、と対にして思い描くことができます。投げ捨てるという動作が、そのまま二つの神名の違いになっているわけです。

ただし、これも神名から導かれた後世の解釈で、『古事記』本文が語源を説明しているわけではありません。

5. 12柱の10番目、右側の先頭という位置

身に着けた物から成った 12 柱を数えると、辺疎神は 10 番目にあたります。左の手纏の最後、奥津甲斐弁羅神(奥津甲斐弁羅神)のすぐあとに名が挙がる神です。

右側の 3 柱は、辺疎神、辺津那芸佐毘古神、辺津甲斐弁羅神の順に並びます。この並びは左側と同じ順番で、「遠ざかる神」「渚の神」「甲斐弁羅の神」が左右でちょうど向かい合います。辺疎神は、その右側の列の頭に立ち、岸辺の側の広がりをまず定める神と読むことができます。

杖から冠までの 6 柱には、「道」「時」「煩い」など陸の暮らしにかかわる名が並んでいました。それに対して手纏の 6 柱は、水辺の空間を沖から岸辺まで区切るような名を持っています。禊の舞台が「橘の小門」と呼ばれる水辺であることを思えば、これから水に入る場所の広がりを、脱ぐ段階の最後に神々の名で示しているとも読めます。「沖へ遠ざかる」奥疎神に続いて「岸辺へ遠ざかる」辺疎神が呼ばれることで、水に向かって遠い側と、陸に向かって近い側の両方がそろうわけです。ただし、これは名の並びから導いた考察で、原典がそうした意図を述べているわけではありません。

そして右側の最後の神で 12 柱が終わると、伊邪那岐命は水に入り、八十禍津日神が成ります。辺疎神から始まる右の 3 柱は、身に着けた物を脱ぐ段階の、最後の一続きということになります。

6. 名だけが残る神の伝わり方

辺疎神について、特定のご利益や信仰が伝えられているという確かな記録は知られていません。「岸辺」の神と解されることから水辺の安全と結び付けて語られることはありますが、古い信仰の記録に基づくものではありません。この神を単独で祀り、由緒として伝える神社も確認できておらず、手纏から神が成る話は『日本書紀』にも見えません。

この神に触れるには、『古事記』の本文を読むことが、今のところ最も確かな方法です。

7. 遠くと近くをそろえるという読み方

伊邪那岐命は左の腕輪だけでなく右の腕輪も投げ、沖の神だけでなく岸辺の神も成しました。遠くを見る目と、足元を見る目の両方をそろえてから、次の段階に進んだとも読めます。

何かを始めるとき、遠い目標に気を取られて、手の届く範囲を見落とすことは少なくありません。「沖」に対して「岸辺」を置いた辺疎神の名は、遠くと近くの両方に名前を与えてはじめて、その場所の全体が見えてくることを示しているようです。

ほとんど何も語られていない神でも、『古事記』は名を落とさず、右側の先頭という位置を与えています。親神の 伊邪那岐命が脱ぎ捨てた物の一つひとつに名が残されていることは、神話の細部を読む楽しみの一つです。

まとめ

  • 辺疎神は右の手纏から成った 3 柱の最初の神で、右側で品物の名と一緒に記されるただ 1 柱です。
  • 名は「辺(岸辺)に離る」と読まれ、沖へ離れる奥疎神とは反対の方向へ遠ざかる神になります。
  • 投げた腕輪が遠くと近くに落ちる様子から名が生まれたとする説があります。
  • 12 柱の 10 番目にあたり、右側の列の頭として岸辺の側の広がりを示す位置にあります。
  • 信仰や神社の記録はほとんどなく、本文を読むことが最も確かな手がかりです。

参考文献

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
  • 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
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