意富斗能地神(おほとのぢのかみ)と大斗乃弁神(おほとのべのかみ)は、神世七代(かみよななよ)の第5代にあたる男女一組の神です。一見すると長く読みにくい名ですが、飾りの言葉やつなぎの言葉を一つずつ外していくと、意味の中心は「斗(と)」というたった1字に絞られます。この「斗」を住む場所と読むか、身体の門と読むか、家や村の門口と読むかで、神の姿は大きく変わります。さらに『日本書紀』では、この2柱に数多くの別名が添えられ、男神と女神の名が釣り合っていないという不思議な問題も抱えています。この記事では、神名の分解から始めて、形が生まれた次に「場所」と「性」が定まる段階をどう読めばよいかを考えます。
1. 意富斗能地神・大斗乃弁神の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 神名(古事記) | 意富斗能地神(男神)・大斗乃弁神(女神。原文では「妹大斗乃弁神」) |
| 神名(日本書紀) | 大戸之道尊・大苫辺尊(第二段本文)。ほかに多くの別名がある |
| 読み | おほとのぢのかみ・おほとのべのかみ(おおとのじ・おおとのべ とも) |
| 神世七代での位置 | 第5代。角杙神・活杙神の次、淤母陀流神・阿夜訶志古泥神の前 |
| 神格・性格 | 「斗」を人の住む居処と見る説、男女の身体の門と見る説、家や村の門口に立つ依り代と見る説がある |
| 別名や同一視される神 | 『日本書紀』の大戸之辺、大戸摩彦尊・大戸摩姫尊、大富道尊・大富辺尊 |
読みは、本記事では歴史的仮名遣いに従って「おほとのぢ」「おほとのべ」を用います。現代仮名遣いでは「おおとのじ」「おおとのべ」と書かれます。
『古事記』の記述は、次の名前の列挙だけです。
次に意富斗能地神。次に妹大斗乃弁神
第4代と同じく「成れる神の名は」という書き出しも、行動の記述もなく、以後の物語にも登場しません。神世七代の全体の数え方や、女神に付く「妹(いも)」の意味は、最初の対偶神の記事で扱っています。宇比地邇神・須比智邇神
2. 同じ「おほ」を書き分けた2つの名
2柱の名を並べると、表記に小さな違いがあります。男神は「意富斗能地」と、漢字の音を借りた仮名で頭から終わりまで書かれています。これに対して女神は「大斗乃弁」と、頭の「おほ」だけを「大」という訓字で書いています。
同じ「おほ」という語を、男神と女神で書き分けている理由は分かっていません。ただ、『古事記』の表記が一様でないことを示す例として指摘されています。名前しか伝わらない神の場合、こうした文字の選び方そのものが、読み解きの材料になります。
3. 長い神名を部品に分ける
『古事記』は神名の由来を説明していないため、以下は語構成と注釈書の解釈です。部品に分けると、構造はとても単純です。
| 部品 | 男神 | 女神 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 頭 | 意富(おほ) | 大(おほ) | 「大きい」「立派な」という美称 |
| 中核 | 斗(と) | 斗(と) | 問題の1字 |
| つなぎ | 能(の) | 乃(の) | 「〜の」という助詞 |
| 語尾 | 地(ぢ) | 弁(べ) | 男子/女子を表す語 |
「意富」と「大」は、神名の頭によく付く飾りの言葉で、それ自体が神の性格を決めるものではありません。「能」と「乃」は助詞で、これも意味の中心にはなりません。
末尾の「地(ぢ)」は男子、「弁(べ)」は女子を表す語と解されています。「ぢ」は、別天つ神の宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)の「比古遅」にも見える、男性を指す語尾です。「地」と「弁」がきれいに対応していることから、2柱が男女の対であることは、名前そのものからも読み取れます。
こうして美称・助詞・性別の語尾を取り去ると、残るのは「斗」の1字だけです。2柱の名は「大いなる斗の男」「大いなる斗の女」という意味になり、問われるのは、この「斗」が何を指すのか、その一点になります。
4. 「斗(と)」の三つの読み解き――居処・身体の門・門口
居処(ところ)と読む説。 「斗」を「所(ところ)」の意味に取り、場所や居処を表すと見ます。2柱は人の住むべき居処の成立を表す神になります。前の代の宇比地邇神・須比智邇神を土砂、角杙神・活杙神を湿地を固める杭と解する立場からは、杭で固めた土地が人の住める場所として完成した段階、つまり農耕のための湿地造成になぞらえた大地の完成を表す、と読まれます。
身体の門(と)と読む説。 人の身体の出入り口の意味に取り、「斗」は男女の性を表す場所を指すと見ます。2柱は、身体に性を備えた男神と女神が初めて現れた段階を表すことになります。それまでの対偶神が泥や砂、杭といった物の名で呼ばれてきたのに対して、ここで初めて、生命が生まれる入口を備えた男女の身体が姿を現す、という理解です。
通路の門口(と)と読む説。 古くから村や家の門口には、外から悪いものが入り込まないように、依り代や神像が立てられてきました。その門口に立つものの姿を神として表した、という読み方です。2柱は境界を守る神という性格を帯びます。
三つの説は別のことを言っているようでいて、「内と外が分かれ、何かが出入りする場所」という一点では重なっています。
5. 「大殿(おほとの)」説はなぜ認めにくいのか
もう一つ、古くからある読み方として、「意富斗能」「大斗乃」を「大殿(おほとの)」、すなわち立派な御殿の意味に取る説があります。「住まいの神」という分かりやすい理解につながる説です。
しかし、この説には言葉の面から批判があります。奈良時代以前の日本語では、現在なら同じ「と」と書く音に甲類と乙類の2種類の区別があり、万葉仮名の使い分けにその区別が表れています。「斗」の字は甲類の「と」を写す仮名であるのに対し、「殿(との)」の「と」は乙類に属します。上代の人にとって両者は別の音であり、「斗」を「殿」の意味に当てることは、この上代特殊仮名遣いの点から認めにくい、とされています。
「大殿」説は古い説ですが、現在の注釈書では慎重に扱われている、という程度に理解しておくのがよさそうです。耳で聞けば同じ「おほとの」でも、書かれた仮名の種類を確かめると別の語だと分かる。名前の読み解きでは、音の響きだけに頼らないことが大切だと教えてくれる例です。
6. 形の次に来るもの――第5代の位置
神世七代を国土の形成と見る立場では、土台、原野、土砂、杭と整えられてきた大地に、この代で人の住む居処が成立します。男女神の身体の完成と見る立場では、前の代で生まれた「形」に、この代で男女の「性」が備わります。角杙神・活杙神
どちらの立場でも、この2柱は「形の次に来るもの」を担っています。形ができただけでは、まだ誰も住めず、何も生まれません。形に場所が与えられ、あるいは性が備わって初めて、次の段階へ進めます。
その次の第6代、淤母陀流神・阿夜訶志古泥神は、整った姿とそれへの感嘆を表すと解される神で、その後に実際に国を生む伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)が現れます。淤母陀流神・阿夜訶志古泥神 伊邪那岐命 伊邪那美命
7. 『日本書紀』の大戸之道尊・大苫辺尊と、釣り合わない別名
『日本書紀』では、この2柱は第二段の本文に、大戸之道尊(おほとのぢのみこと)・大苫辺尊(おほとまべのみこと)として見えます。本文に採られなかった角杙神・活杙神とは対照的です。その分、『古事記』では対偶神の3組目だったこの2柱が、『日本書紀』本文では2組目に繰り上がっています。
『日本書紀』がこの2柱に添えている別名は、神世七代の中でも群を抜いて多いものです。
| 区分 | 男神 | 女神 |
|---|---|---|
| 『古事記』 | 意富斗能地神(おほとのぢ) | 大斗乃弁神(おほとのべ) |
| 『日本書紀』本文 | 大戸之道尊(おほとのぢ) | 大苫辺尊(おほとまべ) |
| 男神の別名 | 大戸之辺(おほとのべ) | ― |
| 別名の組(1) | 大戸摩彦尊(おほとまひこ) | 大戸摩姫尊(おほとまひめ) |
| 別名の組(2) | 大富道尊(おほとみぢ) | 大富辺尊(おほとみべ) |
大富道尊・大富辺尊は「おほとみぢ・おほとみべ」と読まれ、『古事記』の名とはわずかに音が異なります。
この表には奇妙な点があります。『古事記』では「おほとのぢ」「おほとのべ」と末尾だけが違うきれいな対なのに、『日本書紀』本文では男神が「おほとのぢ」、女神が「おほとまべ」で、中ほどの「との」と「とま」が食い違っています。しかも男神の別名「大戸之辺(おほとのべ)」は、末尾が女子を表す「べ」で、『古事記』の女神の名とまったく同じです。男神の別名の位置に、女神の名が紛れ込んでいるように見えるのです。
ここから、もとは「おほとのぢ・おほとのべ」と「おほとまぢ・おほとまべ」の2組の神があったのではないか、という推測が出されています。大戸摩彦尊・大戸摩姫尊は後者にあたります。『日本書紀』は代の数を整えるために、第二段本文ではこの2組を一組に合成し、第三段の一書ではこの組を除いた、と見るのです。実際に、第三段の一書第一には角樴尊(つのくひのみこと)・活樴尊(いくくひのみこと)が見える一方で、大戸之道尊・大苫辺尊にあたる神は挙げられていません。
これはあくまで推測で、定説ではありません。ただ、これほど多くの別名が残っていること自体が、この2柱をめぐる伝えが一つではなかったことを示していると考えられます。
8. 「斗」の読み方から語られる願い
固有のご利益は原典からは導けず、単独で祀る神社もごく少ないとされます。神名から語られる願いは、「斗」の三つの読み方にそのまま対応しています。居処と見れば住まいや土地の安泰、身体の門と見れば縁結びや子宝、家や村の門口と見れば家内安全や災いよけです。いずれも後世に神名から導かれたもので、原典に根拠があるわけではありません。神世七代の神々にゆかりのある参拝先は、国之常立神の記事で紹介しています。国之常立神 神世七代12柱の一覧はまとめ記事にあります。造化三神
9. 開け閉めのできる境目
意富斗能地神・大斗乃弁神から読み取れるのは、「形ができても、それだけでは足りない」という感覚です。『古事記』は、形ができたところで伊邪那岐神・伊邪那美神を出すのではなく、その間に「場所」と「性」が定まる代を置いています。何かが生まれるには、それが置かれる場所と、それを生む仕組みが要る。当たり前のようでいて、見落としがちな順序です。
もう一つは、「斗」という1字が示す、境目の大切さです。居処であれ、身体であれ、門口であれ、「斗」とは内と外の境目であり、そこを通って何かが出入りする場所でした。壁を作って閉じてしまうのでも、境目をなくしてすべてを混ぜてしまうのでもなく、開け閉めのできる門を持つこと。この2柱の名は、そういう境目のあり方を思い起こさせます。
そして、長い名前を分解していくと最後に1字だけが残る、という読み方そのものも示唆に富んでいます。飾りの言葉、つなぎの言葉、役割を示す言葉を一つずつ外していくと、本当に問うべきものが見えてくる。名前しか記されていない神を前に、注釈者たちはそうやって言葉の中心を探してきました。
まとめ
- 意富斗能地神・大斗乃弁神は神世七代の第5代で、角杙神・活杙神の次、淤母陀流神・阿夜訶志古泥神の前に成った男女一組の神です。
- 男神は音仮名だけで、女神は頭の「おほ」を訓字「大」で書くという、表記の書き分けがあります。
- 名を「美称+斗+助詞+性別の語尾」と分解すると、意味の中核は「斗(と)」の1字に絞られます。
- 「斗」は居処、身体の門(性の分化)、家や村の門口の三通りに読まれ、いずれも内と外の境目という点で重なります。
- 「大殿」と読む説は、「斗」と「殿」の「と」が甲類・乙類で異なるため、上代特殊仮名遣いの点から認めにくいとされます。
- 『日本書紀』本文では大戸之道尊・大苫辺尊で、別名が特に多く、男女の名が釣り合わないことから、もとは2組の神だったという推測があります。
参考文献
- 倉野憲司 校注『古事記』岩波文庫
- 次田真幸 全訳注『古事記(上)』講談社学術文庫
- 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波文庫
- 西宮一民 校注『古事記』新潮日本古典集成
